第1章 秘密の共有
あの一年生のことを少しでも知りたかった。
昨日、家に帰った後もあの光景が目に焼き付いて忘れられず、スマホで一年生に妹がいるクラスメートにそれとなく話を振って聞いてみると、あの子のことが判明した。
一年三組、
ただ驚いたのは、クラスメートの妹が言うには、杏樹は病弱で、とても静かな子、らしい。体育は常に見学して、休み時間は本を読んでいる姿をよく見かける――。
信じられない。ていうか、ありえない。
桜の古木の枝に飛び移り、身体を振り子のように激しく揺らして地面に着地できるなんて芸当、並の運動神経で出来る事じゃないわけだし。
それもあの様子を考えると、あれが初めてってわけじゃないのは明らかだ。
俺は翌日、登校するなり、一年三組に顔を出して、たまたまそばにいた女子生徒に杏樹はもう学校に来ているのかと尋ねると、杏樹なら図書室にいると思います、という返答を得た。
礼を言って、図書室に行った。
が、図書室の扉の前に立つと、どう杏樹と接すればいいのか分からなくなった。
――昨日の技、めちゃくちゃ凄かったな!
――なんであんな危ないことしたんだ?
いろいろ考えたけど、どれもしっくりこない。
図書室のうんうん唸っていると、ガラガラと扉が開いた。
「あっ」
「えっ」
杏樹だった。
「お、おはよ……」
できるかぎり自然に挨拶したつもり、だった。
しかし彼女は俺の鼻先で扉を閉め、室内に逃げ込んだ。
俺は一瞬、遅れて、図書室に突入する。
「ちょっと待った!」
窓際に駆け寄る杏樹の背中に向けて声を張った。
「杏樹、待て、待ってくれ! 話を聞いて欲しい!」
窓を全開にして、今にも窓枠に右足をかけようとしていた杏樹は動きを止め、強張った表情で振り返る。
「!? ど、どうして、私の名前……」
「それは」
俺が近づこうとすると、
「くるな、ストーカー……! ど、どういうつもりっ!?」
杏樹は上体を低くすると椅子を掴み、いつでもそれで殴りかかれるような戦闘体勢を取った。
腹から声が出ているし、とても病弱とは思えない。
「違う、俺はストーカーじゃないっ。落ち着いてくれ。な?」
「人の名前調べておいて、何言ってるのっ。来ないで! それ以上、近づいたら容赦しないからっ!」
「昨日のあの桜の木に飛び移るあれ、すげえ綺麗だったから! 君のことが誰か知りたかっただけなんだっ!」
「へ……?」
俺の言葉に、杏樹は虚を突かれたみたいな声を出す。
警戒がゼロになったわけじゃないけど、今ならどうにか話は聞いてくれくれそうだ。
俺は相手を安心(これでしてくれるかは分からないが)させるつもりで、両手をとりあえず挙げる。
「確かに勝手に名前を調べたのは、不躾だった。謝る。一方的に自分のこと知られるのは気分悪いよな。ごめん。でも誓って、俺はストーカーじゃない。実はクラスメートに一年に妹がいる奴がいて、そいつが妹に聞いてくれて、それで……」
俺はしどろもどろになりながら、どうにか説明をする。
いくらか敵意が薄れてくれた気がした。
「……そのクラスメートの人の名字は?」
「長岡務。妹の名前は美砂」
「長岡美砂さん……。私のクラスメートです」
「そうか。それじゃあ、そろそろ椅子を置いてくれるか?」
杏樹はそれでも多少は警戒しているのか、ちょっとの間、椅子と俺とを交互に見た。
でも結果的には、椅子を下ろしてくれる。
ほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとう、分かってくれて」
「……ちょっと待って! 近づいていいとは言ってないっ! そこに座ってっ!」
「りょ、了解」
杏樹と四メートルは離れている場所に、腰かける。
「えーっと、それで……な、なあ、やっぱり話しづらいから、もうちょっと近づいても――」
「これ以上、近づいたら悲鳴を上げるわよっ」
「ア、ハイ……。昨日のことなんだけど。あれ、いつもやってるのか?」
「――それよりさっきの話だけど
「え?」
「フォームが綺麗だったって話。ほ、ほんと?」
「ああ。綺麗だった。まじで見とれた」
杏樹は少し俯き気味になった。
「……杏樹、どうした?」
すぐに顔を上げた。
変わらぬ無表情ぶりだけど、少し口元が緩んでいるように見えた。
それを指摘したら、この小康状態は完全に壊れるから何も言わなかったけど。
「でも危ないだろ。一つ間違えたら大事故に……」
「心配いらない。いつもしてることだし」
「マジ? な、なんであんな危ないこと……」
「玄関まで行くのが面倒だから」
「いくら何でも面倒がりすぎじゃないか?」
「放っておいて。あんたには関係ないでしょ」
「……はい」
「それから、くれぐれも昨日のこと誰にも言わないでくれる? まあ、話しても誰も信じないだろうけど」
「もちろん。あ、その代わりって言ったらあれなんだけど……」
「! やっぱり、このネタで私を脅そうって魂胆だったのねっ!」
「落ち着いて! 椅子を下ろしてくれっ! 変なことを要求するつもりはないからっ!」
「……じゃあ、何て言おうとしたわけ? その代わり、何?」
「今日みたいに話をしてくれると嬉しいなぁって。あ、もちろん椅子のやりとりとか、こんな風に距離を取ったりはナシの方向で」
「……あんた、友だちいないの?」
「孤独だからって訳じゃなくって。どうしてあんなことをしてるのか、いずれ教えて欲しいと思って。面倒臭いからって理由だけで、ああいうことはしないと思うし」
「一生、あんたに教えるつもりはないけど、ま、気が向いたら、ね」
「あ、ありがとう」
そこでホームルームを知らせる予鈴が鳴った。
「動かないで。私が部屋を出て一分経ってから、席を立って」
「そんなことしたら遅れるんだけど」
「…………」
なんて冷たい視線なんだ。
「……りょ、了解」
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