第50話 謎は解き明かされるか

 三島と倉島は紫煙が漂う中で資料と格闘して「お兄さんは幼い頃に何か衝撃的な出来事が在ったのでは」と云う結論に達した。これ程二人が苦労しても、両親はあれ程に怯えた顔を見たのはあの子が居なくなるまで無かったと、あの日の出来事を一言で締めくくられた。

「思うにあの頃は何も知らないからただ恐ろしくて怯えていたのでしょうが二年前は全てを知っていながら吸い寄せられたのでは無いでしょうか」

 仁和子の問いに三島は、うむ〜とただ唸るだけだった。

「それは無いと思うが……。そこに恐れと畏怖を抱いたかも知れないなあ」

 その後にポツリと自問するように囁いた。すかさず倉島があの資料からならそれも窺えると相槌を打った。

「そうね、でも歯痒かったでしょうね兄が何故にあれほどまでして浮き島が漂うだけの池に固執した理由わけをもっと早く報せてやれば違った反応したかも知れないのに」

「違った反応って?」

 倉島が仁和子の言葉に問うた。

「もっと慎重になったと思うの」

「それは言えてるなあ何も知らないから恐れない逆に知れば恐れて尻込みする大半の人間がこれで人生を無駄に過ごしているのも分かるが人生を危うくさせているのも事実だが深泥池は教訓としてそれを我々に教えているのかも知れんなあ君子危うきに近寄らずとね」

「失敗は成功のもと、と云う諺も在るけれどね」

 と倉島は三島の格言に一矢報いたいと反論する。それがこの場を面白おかしく取り持っている。

「お兄さんがあの池に魅入られたのは幼い頃に受けた精神障害を本人は自覚していないそれを取り除けば良いが哀しいかな俺は精神科医ではないもっと専門な知識とそれに対処しうる経験も教養も持ち合わせていないおそらく松木先生なら原因さえ判れば対症療法を心得ていたはずだがこの場合は両親の封印さえもっと早く解けていればお兄さんはあの池に取り込まれなかった」

 と三島は言い切った。

「偉い自信ですね」

 と言いながらも倉島は、これは仁和子さんへの配慮だと受け取っている。お兄さんはけして自殺じゃ無いんだ防げたんだと、ただ手遅れになってしまっただけで防げたんだと今一度己に言い聞かせていた。

「もっと早くお二人に出会っていれば兄は今頃は元気にして森の木々の声を聞き回れたのに」

 お二人と云ってくれた此の仁和子の配慮に倉島は仄かな愛情を感じた。それが恋になるかはまだ先のことだった。

「この場合はご両親が罪作りなんて、気が引けますでしょう」

「うちの親はそうは思ってないですよ」

 幼い頃の兄に、何か死にそうな事に出くわしていないか訊ねても、特に変わった様子はなかったそうだ。急に聞いた時は父も母もおかしな事を訊く娘だと怪訝けげんな顔付きで「そんな危ない事はないでしょう」と強く否定された。あたしが車に轢かれそうになったとか、高いところから落ちかけたとか、川で溺れかけたとか何か命に係わるようなそれこそ一つ間違えば死んでいたような事件は起こら無かったのと問い詰めた。今度は親からひつこくその理由わけを聞かれて「兄が本当に失踪したかどう知りたいからそれと何か関連したような出来事が過去になかったか知りたい」と懇願した。それでも父と母は否定はしないが今度は躊躇ためらいだした。そこで矢張り何か嫌な出来事が兄には有ったのね、とあれこれ突き詰めてやっと重い口を開けてくれた。そんな黙り通した過程からも解るように、兄が忘れたのを幸いに昔あった死にかけた大事な話なのに、生死の解らなくなった今も話そうとはしなかったのがその証拠だと言って仁和子は呆れていた。

「じゃあご両親は今でも失踪扱いなの?」

「勿論それもお墓も作らずに一切生前のままにしているのよそれが不思議なくらいに可怪おかしいでしょう」

 我が子が消えたと言うのに不可解だらけだ。それともどこかで兄が湿原の深みにはまり込んで溺れかけた遠い遠い昔の記憶が曖昧ながら意味も無く脳裏に去来したとしたら。そんな夢を兄が親に問い詰めたのなら、あたしに無関心を装うのも解らないでもないが。しかし精神科医でも踏み込めなかった領域に、何の知識も無い兄が探り当てられるはずも無い。矢張り兄は今まで知らなかったのだろう。そんな過去を持つ子だから親は今もきっと何処どこかで生きていると思い続けているのだろうか。

「まあ、それも不自然だよなあ」と三島も倉島も相槌を打った。

 兄は営林署の職員になってから、家を出てずっと山の寄宿舎を転々として、盆と正月それも仕事が手薄な時しか家に帰ってこない。だからもの心付く前の話なんて、そんな時に話題にものぼらないはずだ。

「あたしも倉島さんがあの池に引きずり込まれそうになった話を聞いてからです兄の死を認めて親から昔の話を聞き出して確信が持てました間違いなく兄はあの池の底で眠っていますだからこれからその現場を一度見てみたいのだけれど……」

「あそこは施設の敷地の一部だから部外者は立ち入れないよなあ」

「でも囲いも何もないから玄関からそっと裏へ抜け出れば解らないよなあ」

「入居者の身内ですから面接に来たと施設の許可をもらえればあたしでも入れるんでしょう」

「じゃあ行ってみるか」

 と三人は陽の明るいうちならまだ良いかと店を出た。外はまだ青空が望めるが、夏の終わりを告げるような入道雲が湧き上がる中を、真っ直ぐに施設に向かった。


 

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