第45話 松木の設問と意義

「処で松木先生は仁和子さんのお兄さんから何を把握したんだろう。なにを見つけたんだろうそれが我々の今やるべきテーマでしょう」

 ああそうだなあと煙草の煙をそのままにして、少し脱線しちまったなあと三島は本を閉じて机の上に戻した。

「その時に暇を潰した本達が今こうして俺の目の前でもう一度読んでくれと騒ぎ出すんだ」

 奇しくも倉島が積んだ本のタワーが机に戻した一冊の本のためにバランスを崩して床に散らばったのだ。二人はまた散らばった本をかき集めて整理した。

「これじゃあ本棚を買うべきだよ」

 と倉島が言えば三島は、要らんよ俺は精神科医じゃないただの船乗りに過ぎない、と吹かす煙草を揉み消した。

「さてとどこまで分析が進んだのだろう」

 と篠田さんのコピー資料を漁りだした。

「此処に面白い話があるなあ」

 三島が関心を示したのは篠田さんに対して説明したこの施設の意義だ。倉島もどれどれと二人は目を通した。

 この時まで篠田さんはまだ目の前に在る草木が生い茂る場所が池だとは思わなかったようですね。一般論として池も湖も一面が草木の無い水面だが、この池は浮き島が水面の大部分を占めている。しかもそれが島に見えるから、篠田さんも湿原みたいですと言っているから、最初は浮いているとは知らなかったようだ。それに付いて松木先生は、あれは氷河期からの生き残りで、国の天然記念物に指定されている。これに篠田は太古の地球の生き証人のような植物が蔓延はびこる池は、樹齢千年の神木以上に貴重だと決め付けて感動している。

 それで有頂天な篠田に、松木はあの池に神は存在しない。だからあの池を崇めないように警告している。

「それは正しい忠告だろう」

 松木の警告に篠田さんが辿り着くのも、大変な山深い場所なら別だが、目の前までバスが走り直ぐ傍まで住宅地で、更に此の奥には大学まで在るような俗世界では、神聖な気持ちなれないと漏らしている。

「そう言えばバス停付近にある池の由来を書いた立て札を観なければ誰も気が付かないほど俗化されていたよ」

「それも先生は気が付いて当時を説明しているなあ」

 なるほど今はすっかり町中に取り込まれているが昔は、そう、一昔前は昭和の初め頃は勿論わしもまだ生まれてないから観たわけじゃないが此の辺りは鬱蒼としていた。丁度近くの植物園が参考になるだろう、それより下鴨神社の糺の森、あそこと変わらぬ風景だったそうだ。違いは前に池があるところだろう、と松木言っている。

「そう言えば植物園には、この辺りの昔はこうだったと残した一角があった、その再現した原風景は鬱蒼とした森でその中に佇む今の深泥池を望めばその由来も頷けるが周辺が宅地化した現状では篠田さんの言い分はもっともだよ」

 そう、その前に何故なぜ戦前の軍部は、あの伝説が付きまとう深泥池のほとりに、あの病院を作ったか。まあ今は病院は民間に払い下げられて切り離されてこの施設だけが残っている。それは付き纏うあの伝説に堪えきれなくなり、仮病があばかれて又戦地に戻される。だからそうでない真面な人間とを振り分けている。昔はあの深泥池の施設はそう謂う施設だった。その前任者の偉大な功績をそのまま私は引き継がされた。だから今では誰が観ても健全な人ばかりが送られてくる。それを見極めるのが私の職務になってしまっているのが現状なんだと更に松木は付け加えている。

「閉鎖的な場所だから昔の趣旨が伝わった。だがあれだけ周囲の環境が変われば松木さんも診察目的の変更を余儀なくされるね」

「どうかなあ、此処にその問答があるよ」

 と三島が別のページを指定した

ーーそれは変ですね。だってじゃあどうしてあんな物騒な因縁のある池の淵で今でもするんですか。

 ーー極限の精神からの脱皮を狙っているが、柔な治療では又再発するが乗り越えられれば良しとしている。複雑な人の心理を考えると戦前のような完璧な完治療養を狙っている訳ではないんだ。

 ーーそれと深泥池とどう関係してるんですか。

 ーー此処は年間数万人にも及ぶ自殺についてどう減らすか、防ぐか、その手立てを研究するが、それは公認を得ていない国の出先機関らしい。そして此処に集められた人は見た目では気付かないが、伝説や超自然現象には反応すると判断された人だ。だからあの池に人は魅了されて引き込まれる。その過程を細かく調査対象にすれば、死に至る動機の解明に寄与出来る。だから此の国家プロジェクトを立ち上げて、引き続きその運営研究を私は任されている。

 ーーそれで成果は望めているんですか。新聞やテレビでは右肩上がりに増えているそうですね。

 ーーそれはだなあ、此の周囲が幾ら近代的な街にその装いを変えてもあの太古の地球の生き証人は変わらない、いや、替えられない。しかし付近から流れ込む排出物によって富栄養化がこのまま進めばあの池に未来は無い。

 ーーじゃあ此の施設はどうするんですか。

 ーーもっと奥地の適した場所へ移動しなければいけない。人間が死の恐怖に立ち向かえる適地を捜さねばならないがそれは私の仕事ではない。

 ーーじゃあもう真面な人間を恐怖に誘い込む深泥池に付いてはいいですから、私はあの池を畏怖して崇めることは無いですよ。だから私はもう調査対象には成らないでしょう。

 ーーいや、それが一番危ない。何故なら最近は生より死を軽んじた人達が引き込まれているんだよ。だからこそあなたは此処で療養する必要が生じているんだ。


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