第43話 三島と倉島が取り組む

 仁和子さんとは休憩時間を気にしながら別れたが、その後ろ姿に胸が痛むのは、三島が悪戦苦闘しているのに倉島ばかりが仁和子さんとデートする辛苦だろう。なんせデートの話題は三島が解析している内容ばかりだからだ。彼女にすれば口こそ出さないが、倉島さんも知識不足ながらも専門書の乱読でも良いから彼の解析に助言して欲しいのは山々なんだろう。でもこれは私の兄の事であって二人が直接関与する意味は乏しいから強要は出来ない。だからこれは善意の気持ちの問題だが、こうも三島が苦労すると、倉島のほっとけない性格は仁和子にさっき見透かされている。それでと言う訳ではないが、近在で取れたばかりの野菜を行商するおばちゃんを見つけた。そこでもぎたてのトマトを手土産に約束通り先ずは施設に戻り三島を訪ねた。しかし三島はまた紫煙の彼方でぼーっとしている。なんちゅうこっちゃと呆れて買ったトマトを早速差し入れた。これで三島の潤んだ目に活気がみなぎった。

「オイオイ来るなり今は頭の整理中なのに周りで騒がないでくれ」

 それでも三島は早速にトマトは頬張る以外は動かない。

「何もしないで煙草ばかり吸っているから気合いを入れただけさ」

「此の散らばった本を見れば今までどれだけ思案していたか分かりそうなものだけどなあ」

 倉島は散らばった本を整理して机の上に積み上げた。

「まずどの本を読めば良いんだ」

 と訊くと最初は意味不明に見返したが直ぐに手伝いに来たと分かると積んだ本から一冊を取り出して「先ずはこの本だろう」と手渡してくれた。倉島は黙って受け取り読み始めると三島に読むページを指摘された。そこを読み終わった頃合いを観て三島はお兄さんの治療カルテの一部を今度は指し示した。そこには松木との押し問答が示されていた。

 先ずは森林の伐採について上司の役人と意見した時に篠田は此の木は切ってはならないと頑強に言い続けた結果此処へ来るように指示された。それに付いて篠田は此の木は有史以前からある神の木だから切ってはいけないと反論している。

「どう思う」

 と三島に訊かれた。

「真面だと思う彼はおかしくない正常だよ」

「おそらく深い森の中で一本だけそそり立つ巨木に彼は神の木として崇めたんだよでもそれは営林署の職員としては有り得ないと周りは決めつけたようだ」

 精神科医の松木も篠田に同意しているが、これは医者も本心では無いだろうと言うのが三島の見解だった。

「どうしてそう決めつけるんだ」

「先ずは問診で相手の言葉を否定すれば正確な言葉が返ってこないからだ。それでは治療は続けられない」

 そう言えば倉島もそれで松木を藪医者だと決め付けて、以後の診察では取り合わなくなったのを思えば納得できた。

「相手が実にどんなに奇想天外な夢物語を答えても絶対に最初は否定しないんだそこからじゃあ此の場合はどうだろうと相手の浮ついた精神を現実に戻していく」

「でも篠田さんは真面な事を言っているようだが」

「俺に言わせれば此の世に神など居ない。依って神が宿る木もない」

「じゃあ伐採すれば良いってことか」

「まあ、今は俺の無神論を語っている場合じゃ無く、此処はそれが争点じゃ無いんだ。篠田さんの気持ちがどうだったかだが……」

 此の問診から彼は自然を畏怖して、この仕事に全身全霊を捧げている、と言っても過言では無いだろう。だから篠田さんはここに来てあの深泥池を観て更に考えを深めた。なんせ十四万年なら、数千年の巨木なんて足元にも及ばないからなあ。だからあの池は篠田さんに取っては神木以上に崇める対象、心の置き所になってもおかしくないと言える。

「いつそう考えたんだろう矢張りそれはあの池の存在意義を知ってからだろうなあ」

「勿論、だから畏怖する深泥池と共に自分の存在があるとすれば今まで以上に一体化を助長していくだろうその結果はどうなるか分からんがそれを意識して此の先を分析すれば彼の本心に近付けるだろう」

「なるほどそうするか」

 あの人は自然を崇拝する人なんだ。特に深い森に囲まれた木々に、中でも、特に大きな巨木には、仕事を抜きにして畏敬の念を抱いて接してきたんだろう。それよりも遙か太古から存続する池が目の前に有れば、篠田さんは暇さえあれば近寄っていたのだろう。それでも豪雨になればいつもより控えないといけないのに距離を見誤って足を取られてしまったんじゃ無いだろうか。ただ言えるのは皆は余り傍まで行かないのに、篠田さんだけは常に水際まで行っていたのは、そういう心理が働いていたと此の記録から覗えた。

「そうか」

「倉島さんはその体験を唯一されているからあの感触に気付いたときはもう抜けられないのは分かるでしょう」

「この前の仙崎さんの体験談は流石と思いましたよ誰も彼のように異常を感じる前に飛び退けられる超人はいませんからね」

「あれは長い訓練から身に付けた危険に対する条件反射だよ」

「そうでしたか、しかし条件反射とは在る指示を出すときにいつも同じ物と云うか同じ音や刺激等の条件を与えて繰り返すと指示を出さなくてもその提示だけで指示通りほぼ無意識に動けるまで訓練をすれば要するに頭で無く身体からだが勝手に覚えて行動するようにするんでしょう」

「まあ理屈ではそうだ」

 と云いながらも二人とも果たしてそれでまとわり付く死の恐怖から逃れられるのかまだ半信半疑だった。



 

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