第38話 三島の指摘

 景山と別れた三人は宝ヶ池通りを歩いた。

 三人の話題は景山さんは松木の言い分、戯言たわごとにどこまで真剣に耳を傾けて聴いていたのだろうと倉島が喋り始めた。

「多分真剣そうに上の空で聞いていたんだろう」

「そんな不謹慎な」と仁和子が言う。

「だってあの精神科医は藪に違いない大体問診は患者の気持ちをほぐすのが普通で毎回同じ動作ばかり遣られたら逆に変になるだろう。お兄さんはそれで雨上がりの池を出歩いたんだ」

「じゃあ兄の場合は治療に失敗したのかしら」

 とにかくあの医者の記録を見てみようと、丁度巡り会った別の店に入った。そこでアイスドリンク頼むと食い入るように三人は資料に眼を通した。

「なるほどこれはやはり僕の場合と同じ問診ばかりだ」

 と倉島はつぶやき、それに三島が笑って応えた。

「あの先生は初診はみんな同じなんだよそれから相手によって質問を変えて来る。そして一番幸福感に鋭く反応した物を今度はあの池にまつわる伝説と絡める。次に相手が落ち込で憂鬱になった時期を見計らって一番鋭く反応した言葉や物を刷り込んで行く。大体半年でそのような体制に持って行ければ良いがこれが中々様々で一様には行かないらしい。それが証拠に俺の場合は全然効き目がないんだ。だがお兄さんの場合は治療が順調にいっているみたいだ。俺の場合とは全く違うと云うか、あの医者の定番の治療に沿って進んでいる。これは布引さんや仙崎さんから聴いたのと似ているんだ」

「あの二人はどうなんですか」

「先生からの問診を受けていると自分でも全く普段から考えたことの無い答えが次から次へと飛び出してきて終いには先生、俺はどうなってるんですかと逆に訊く始末で、先生はそれがあなたの心の奥底に蠢くあなた自身の姿を此処に現しているだけなんですよと言われて、違う違うと否定し掛かるとやっと普段のあなたに戻られたようですから今日はもう治療を止めて日を改める。だから深層心理が導けそうなら問診を続けて出来なければ直ぐに打ち切られる。俺の場合はいつも続かなかったせいか診察間隔が次第に延びてひょっとすれば退院させられるかも知れない」

「それはおめでたいですねまた船に乗れますから」

「どうかなあ此処に長く居て周りを観察しているうちに船に乗るのが怖くなったよ」

「そりゃあカッパが長いことおかに上がれば参ってしまうのと同じ心境ですよまず水にならせば直ぐに治りますよそうなるともう立派な一等航海士チョッサーですよ」

 倉島は得意げに笑ってみせる、が仁和子は反対に呆れている。これはひと言多すぎると反省して話題を変えた。

「あの藪医者の診察の相手は殆ど男性ばかりですね」

「女性は二、三人だったがそれぐらい目立たないというかあの先生の研究には向かないそうだ」

「どうして」

 と仁和子に質されてさっきの失言は帳消しにされたと倉島は一息ついた。

「どうも女性はヒステリーぽくって動物本能が強すぎるそうだ」

「だって子育ての本能が女性には在るからよ下手に死ねないわよ」

 と仁和子がこの話に噛んで来る

「そう言えば平均寿命が伸びているのは大半が女性だった」

「変な処で感心しないでよ」

 と仁和子は注文したチーズケーキに齧り付いている。

「それで私は入って間もないからこの記録を見ても良く分かりにくいけれどぼくより長い三島さんは全部読んでどうでした」

「俺のは参考にならないよなんせあの先生は初診からして俺には治療方針に合わないらしく此処に書かれている問診や治療は受けてないよ。でも真逆に捉えていくとお兄さんの心理が朧気ながら浮かんで来るよ」

 それに他の二人がドリンクそっちのけで身を乗り出すと、三島が考えを整理した。

 三島はお兄さんの記録と自分の記憶とを重ね合わせ始めた。三島が来た頃は此処に記載された問診に変わりは無かった。だが少しずつ自分の記憶とズレて行った。ヘビースモーカーの三島には吸い込んだ煙草の煙が、頭をフラつかせてきつい思考を緩めてくれる。此処には煙草の喫煙などどこにも記載がないが、似た症状を松木は篠田に試みようとしている。それが俺のニコチンに取って代われるほど、お兄さんは松木の術中に嵌まってゆく過程が俺には眩しすぎて見てられなかった。何故と仁和子の質問に三島は少し間を置いた。そして仁和子の前で初めて煙草を吸い出したが、一服すると直ぐに揉み消してしまった。それがいつもの三島らしくないと倉島は思った。煙草を揉み消すと再び記録に眼を向けた。

 そこには次第に同じような質問が繰り返されている。それが三島には何の意味も持たないが、眩し過ぎるお兄さんは松木の治療にのめり込んでいったと三島は指摘した。

「でもそれがどうかしたの」

 仁和子は別にその診察方針には何も疑問を挟まないし、それが精神科医の治療の一環だと疑っていない。

「これは治療じゃ無いんだ実験だ松木の研究成果を確たる物にするためのシミュレーションに過ぎない」

 仁和子は更に言ってることが飲み込めないし、松木から診察を受けて間が無い倉島もどうだろうと云う顔をしている。

「でもそれで人が救われるのなら結果オーライだろう」

「だがお兄さんは亡くなっている」

「でも証拠が無い」

「倉島さん、あなたが深泥池のあの施設に来た夜を想い出せば答えはもう出ている」

 心を見失った人々があの池に取り込まれていると三島は云う。

 俺は自分を見失った事が無いと倉島は言い切る。じゃあ何故人影を観たと問い質されて答えに窮する倉島に、もうあなたは自分を見失っていると三島に責められる。あなたは自分の幻視まぼろしをあの池に投影させた。それで心の隙に死を招き入れたのだ。


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