第34話 三島喫煙復活を願う
さっそく朝食を終えて、最初に訪れた時に出会ったフロントのパートのおばさんに声を掛けて景山代理を呼んで貰った。あれから此のおばさんとはスッカリ慣れてしまった。毎回知らない旅行者が訪れるホテルと違って、毎回同じ顔触れの此の施設では此のおばさんの慣れた「あいよ」と云う返事は、愛想が有って此の雰囲気に似合っている。呼ばれて奥の事務所から出て来たのは佐伯さんだった。彼から景山さんは昨日は休みで、今日は昼からの勤務になると聞かされた。藪医者との首尾を聞こうと思ったが半ドンなら仕方がない。佐伯に言伝を訊かれたが、三島さんは今日は
四人部屋に慣れた三島は体調は良くなり、狭い部屋ぐらいは動き回れて交代で看護の妻達が来るまでこまめに動いていた。
倉島が訪ねた時には、三島は盲腸炎で開腹手術をして縫った糸を今朝抜いて貰った。医者から止められたにも係わらず、その日に直ぐに退院すると言い出した。通院と言っても歩いて数分の隣の施設だから問題ないでしょうと言い張って看護師を困らせていた。
「三島さんもう一日様子を見ないとダメでしょう」
と手こずる看護師に加担して諦めさせた。通院に切り替えたかったのは、施設の三階踊り場で煙草をふかしたいだけなのだ。それが解っているから倉島は内心は嗤っている。
看護師が消えると観念してベッドに横になると三島は景山の事を訊いた。それは明日直接訊けば良いと告げるとちょっと不安そうに「そうか」と自分に言い聞かすように呟いた。それから思いだしたようにパジャマの裾を少し捲くって縫った傷の痕を見せて「もうこの通り大丈夫だ」と脇腹を二三度叩いて見せた。
「自分のからだと仁和子さんのお兄さんの話とどっちが大事か良く考えれば切らずに済んだかも知れないのにね」
倉島は少し呆れながらも、彼女に寄せる三島の思いも、重くあの腹にのし掛かってくる。
「あの時は往生した何時間我慢したかなあ代理に言われなければ手遅れになったかもしれん」
「景山さんに指摘されたんですか」
「まあ、最後は自分で決めたんだがでも注意してくれなければそのままだったかもしれない」
今日帰りたかったのは、あの日の談判がどうなるのか結果を気にして、三島が駄々をこねているのもその辺にあった。
「仁和子さんも夏休みに入ってからあのホテルも忙しいそうですね」
「そうだなあ最近顔を見せないなあこっちから出向くか」
「三島さん退院してもまだ出歩いちゃあダメですよ」
「向こうが忙しければしゃあないだろう」
と自分の健康より、なんか遠回しに変な理屈を付けたがる人だと笑えそうだ。
夕食を終えて施設ロビーの自販機で缶コーヒーを買った。部屋に戻ろうとすると、フロント端の出入り口から、こっちに来る景山さんに声を掛けられた。三島さんがもう直ぐ退院出来ると確認すると、缶コーヒーよりビールはどうかと誘われた。立ち止まったのが承諾の返事と受け取ったのか、景山はそのまま玄関から外へ出るのに付いていかされた。
「仕事は大丈夫ですか」
ホテルじゃ有るまいし一般の人は来ないよ、と気さくに話し掛けられて松木の件はすんなり行ったと確信出来る。
暮れかかる北山通りの居酒屋へ入った。夏の明るいこの時間はまだ干渉されないほどに店は空いている。日中を過ぎた夕暮れ時は、まだ客は来そうも無い。夕食後で当てもそう多くは頼んでなく、今日はこの前のように大した用件もなさそうだからビールは一本で済みそうだ。
暑気払いに喉を潤してから、大原野は籠もって研究するには持って来いの場所だが、会社勤めには不便だが、たまに非常勤で出向ける松木には良く合っていると語った。
「だから今の暮らしがいいんだろう」
松木は今の生活が
「これは明日直接三島さんに渡すからよろしく伝えて欲しい」
どうやら三島さんが、あの苦しみに耐えて頼んだのだから、そうするのが筋のようだ。
よろしくは峰山の事らしい。それはもう一度ホテルマンとしてやり直したい、と熱弁を振るわれて解った。その話し振りからどうも、景山さんは今の環境に魅力を感じていないらしい。
此処で峰山の事を訊かれたが、倉島も三島もまだ会ったことがないと知って「そうか」と少し影を落とした。
失踪した男の妹しか繋がりが無いと判ると、この資料が唯一無二の仲介役を果たすと判れば、三島から篠田の妹に渡すときは同席を望まれた。これはこの施設に来てからの一年半は余程に味気ない年月だったんだろう。佐伯の話だと代理にもそろそろ転勤の辞令が出てもおかしくないと云っていた。景山さんにはホテルマンとしての
「それは私も三島も異論はありませんから何なら妹さんの都合に合わせても良いですよ」
これには景山も所望するところらしく話はまとまった。
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