第23話 三島を見舞う

 景山は会談途中で三島が盲腸炎で倒れて倉島を後任にすると、直ぐに佐伯から事情聴取して二人が篠田の失踪に関心を持っていることは知っていた。それだけに此処でその名を聞かされて、三島の苦悩で歪んだ表情を思い出して景山は手の動きを止めていた。

「それは失踪した篠田の親戚か」

「妹です」

 そうか、と静かに頷くと再び止めた手を、ゆっくりとつまみとビールに伸ばした。代理はそこから鋭く勘を働かせて「峰山はそのホテルに居るのか?」と訊ねた。

 倉島がそうですと返事をすると、景山はコップに残ったビールを一飲みすると追加を頼もうとする倉島を制した。

「もうえいわい」

 とコップを置くと、もう訊くのが辛気しんきくさいのか「つまりこう言うこっちゃやろうお前と三島が言いたいのは」と続けた。

 ーー峰山の部下である受付嬢の兄が失踪した。偶然か必然か判らんが、その心の奥底の経緯、心理をたまたま分析していたのが松木で、その資料の存在を受付嬢の篠田が知った。大体こんな処かと聞かれた。

「まあ早い話がそうです」

「そうかそれじゃあ三島もきちっと言いたいから痛みを堪えている場合じゃないとあんたに託したんやなあ」

 解ったと、取り敢えず店を出て歩き出すと、松木の話を始めた。

 松木はもう六十を越えている。とっくに定年を過ぎているが、前の医者は戦前から勤務していたが寄る年波で戦後の高度成長期に松木と交代した。それから四十年近くこの施設で診察している。四十年と言えばわしが子供の頃からあの施設に居るぬしみたいなもんや。だから松木にすれば自分の子供と同じ者から自分の遣り方に付いて言われたくない。まして過去の診療記録を見せろと云えばおそらく難色を示す。それが篠田さんの失踪原因を調べるためだと云えば、益々あの頑固爺さんは何を言い出すか判らん。

「代理の権威を持ってしてもですか」

「そこや、あの松木の爺さんは権力にはなびかん男やそれが国の出先機関に四十年も居るのは彼には不本意に違いなくて腑に落ちんやろ。そこからこじ開けていくしかないと思っているからそのつもりで交渉する」

 意外と景山さんはすんなりと受け容れてくれた。矢張り教え子の峰山さんの存在が大きく寄与していると勘ぐった。

「それでその受付嬢の篠田の上司が峰山か、するとあのホテルに居るんか」

「そうです」

 倉島の返事に、景山は奥歯を噛むように口元に力が入った。これは景山の癖で、彼が考え込む時に良くする癖だ。初めてじっくり対面した倉島には、その仕草が何なのか、もしかして気まずさを示す一種の表情かも知れないと捉えた。すると直ぐに篠田との繋がりを補填する説明に迫られた。

 そこで決して彼女への思慕が動機では無いと強調すればするほど代理は、そう剥きになるなと言い聞かすように、緩めた頬と共に眼も穏やかな視線を投げかけてきた。恋は若者の特権や、どんな相手か知らんが、峰山も教え甲斐のある部下なんやろ、と寛容に構えられた。これに倉島は我が意を得たりとほくそ笑んだ。

 住宅街を抜けると深泥池みどろがいけの淵が見えて来た。この辺りは道路が池の淵まで落ち込んでいてどんなに大雨が降っても道路と池の境はハッキリと港の岸壁のように分けられている。問題は北の方だ。あそこは池のきわが湿地帯のようになり、一旦雨が降り続くと何処までが陸地でどこからが池なのか見分けが付きにくい。ましてその境目を知る人ほど淵に近付いて呑み込まれるらしい。

 二人は池に沿った道路を施設に向かって歩いていた。施設はこの道路から舗装されてない道を数十メートル入った先に有るが、そのまま横道に入らずに真っ直ぐ歩いた。赤い色の路線バスが二人の傍を通り越した。深泥池前の次のバス停は三島が入院している総合病院前だ。施設を通り越した二人は、当然のように更に隣にある総合病院に向かう。倉島にはこのまま施設には行かないと思っていただけに、矢張り三島さんに会ってもう少し詳しい話を聞きたいのだろうと思い直した。

「盲腸ならもう面会しても大丈夫だろう」

 と景山さんに聞かれて、案の定に倉島の勘が当たった。そうですねと相槌を打つ内にもう病院の敷地に踏み込んでいる。自動ドアが開くのと同時に、何号室やと代理に訊かれて相部屋ですと答えた。急性で保険適用ならそうなるかと自問している。

「処で君と三島ではどっちなんだ」

 ハア? ときょとんとしていると代理は篠田の妹だ。彼女が今度の最大の要因だろう。どっちが思い入れが強いのかと訊かれた。

「どっこいどっこいです」

 それで何処どこまで分かったのか、そうかと返事をすると病室に入った。

 四人部屋で、それぞれの付き添いの親族にひと言挨拶をして、部屋に備え付けの丸椅子に座った。

「元気そうやなあわしの目の前で苦しんだあの悪い顔色もスッカリ取れて何よりや」

 と云われて三島もこんなに早く見舞いに来るとは想定外のような顔を倉島に向けている。まさか顔は知っていても、殆ど話した事の無い会館の館長代理がこうして倉島と揃ってやって来るとは夢にも思ってない。だから病室へ二人が来た時は相当に驚いていた。

 先ず三島が二人を見て真っ先に思い浮かべたのは交渉決裂、松木が今後の診察方針を変えたのかも知れないと。しかし近付く景山さんには全くそんな貌でなかった。しかし大らかな顔は病人を見舞う一種のねぎらいの儀礼に過ぎないと思った。三島にはまだ事の成り行きが飲み込めずに居た。


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