第19話 梅雨明け

 梅雨明けは祇園祭の頃になる。それは本格的な夏を前にして疫病を退散させる祭りでもある。しかし謹慎中に等しい現状で浮かれぬ倉島には祭りは遠すぎた。しかし仁和子になこはもう直ぐ勤務が明けて迎えに行くことになっていた。兄の痕跡が解る手掛かりを掴みだしてから、仁和子はヤケに倉島と一緒に宝ヶ池の周囲を散歩することが増えた。無理も無い兄を訪ねてあのホテルに就職したが、今まで何の手掛かりも掴めなかった。それが倉島と会ってから急速に兄への展望が拓けたからだ。

 今日の仁和子は午後の三時上がりだった。彼はメールを送って周回コースに一定の距離を空けて設置してあるベンチに座って本を読んでいる処へ彼女はやって来た。そのベンチは国際会議場から宝が池に出て周回コースを右に回る最初のベンチで待って居ると倉島は彼女にメールを送っていた。

「いやに細かい、本当にいやに神経質的なメールをする人なのね」

 と読書の倉島を呼び止めて、良いかしらと肩に掛かる髪が揺れて隣に座った。三日月の眼が目元だけは更にキリッとしている。それが倉島には知的に見える。

「気に障りました?」

 そうね〜と池を見ながら想い出したように微笑んだ。

「実は兄もそう言う処があるの」

 彼女はさも不思議そうに倉島を見ながら、あなたたちは遠い祖先は繋がって居たのかしらとおかしな事を言い出した。無論冗談だろうと聞き流すとその細かすぎる処が似ていると言われた。

「今朝のメールでは三島さんが隣の病院へ入院されたんですか?」

 それにしてはご一緒の方の安否が簡潔すぎると呆れたようだ。

「昨日の昼から腹痛がはじまって夕方にはもう我慢できずに隣の病院へ駆け込んだら急性盲腸炎で即手術をして盲腸を切ったそうです」

「エッ! 大丈夫なの」

「今朝はもうケロッとしているが糸を抜くまで一週間ほどは入院させられる」

「じゃあ景山さんとの交渉はどうなるのかしら」

 仁和子さんの不安はもっともだ、お兄さんの真相を知るためにここまで来ているのに。

「それで三島と相談したんですけれど……。篠田さんの上司の方が効果が有るだろうって謂ってましたよ。それでその上司について三島さんも詳しく知りたがってる」

 如何どうしてって云う顔で倉島を覗き込んだ。

 あの景山さんの一番弟子っていう処が攻略法の的らしいんだ。と三島の関心の的を漏らした。これは効果が有ったらしく彼女は、意外とアッサリと一番弟子の素性を明かしてくれた。

 一番弟子だった上司の名前は峰山みねやまと聞いて、三島の情報と合っていてすんなりと彼女の話を受け容れた。

 峰山が居た大阪の心斎橋筋に有る某ホテルは、泊まり客も一流な人が多いから、接客態度を修得する良い勉強になったと漏らしていた。勿論其処には景山のアドバイスが有ってのことで、最初から何も知らずに接したら、今頃はホテルの顔として表には出してもらえなかった。だからここまでホテル側から任されるようになったのは全て景山さんのお陰だった。そう謂う関係だから、幾ら君からの頼みでも引き受けづらいと今は躊躇ちゅうちょして居るらしい。仁和子さんがそのような状態だからそれまでのピンチヒッターとして、三島さんに期待していただけに彼の入院は辛そうだった。

「でも景山さんだって峰山さんを特に気に入ったから秘伝の接客方を伝授したんでしょう」

 なんか昔あった武術の免許皆伝の秘術を授けるような言い方が、仁和子には受けたらしく、其れもそうねと話に乗ってくれた。挙げ句は倉島さんって意外と面白い人なんだと益々好感を抱かれたようだ。だが矢張り付き合ってくれているのは今は兄の事だから、そこを何とかしなければ全面突破は出来ない。

「峰山さんってどんな感じの人なの」

 特に凄いって言える人じゃ無いことは確かだけど。流石に接客業にけた人だけに、人を見る目はかなり持ち合わせている。でもこれからどう成るかは占い師じゃあないから解らない。ただ景山さんに迷惑だけは掛けたくないから、それがあたしの相談に乗れるかどうかの思案のしどころらしい。

「そうか其処そこを何とかすれば良いのか、しかし言うは易けれどと思案の限りを尽くしているけれど」

 と言えば、仁和子は又そんな面白いことを云ってないで、何とかして欲しいとせがんでくる。

「今はそれどころじゃないけど」

 けど何なのと切れ長の眼が少し三日月に変わった。倉島にはその微笑みが何か不気味に見えた。

「その峰山さんって謂う人を如何どうすれば景山代理に引き合わせられるか考えたんだけど」

 微笑ましい瞳のままで、彼女はそんな秘策が有るならもっと早く言ってよと突っかかってくる。

「三島さんは腹痛でぶっ倒れる前に、景山さんに教え子の事を聞いていたんだ」

 それで、と彼女は急に大人びた瞳を輝かせて訊いて来る。

 三島さんから聞かされた言葉に、どうしていると景山さんは、眼の玉が飛び出さんばかりに詰め寄られた。これには三島さんも相当に思い入れの有る、おそらくは愛弟子まなでしなんだと納得して、これで次の戦略が立てやすいと腹の底ではにんまりとした。それならと居場所を聞く景山さんからもっと詳しく聞くために、もったいぶって話を延ばし始めた矢先に例の腹痛が始まった。最初は軽く痛みをいなしていたが、それで話が中断すると流石の代理も隣の病院へ行くように説得した。だが三島は、此処一番でそんなに躊躇ちゅうちょして居る場合じゃ無いと話を続けようとしている内に、益々苦しみだして後は倉島さんに聞いてくれと後事を任された。

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