第18話 倉島の問診成果2

 国際会議場へ向かう大型バスでも十分に通れる二車線の道路が深い森に包まれるように通っている。だから曲がり角に成ると森の緑が眼に優しく飛び込んで来る。そんな森に囲まれて切り拓かれた場所に溶け込むように店が建ち並んでいる。そこにある洋風的なデザインの洒落た喫茶店の窓側テーブル席に三人がたむろしている。そこから徒歩圏内には旧人類以前から存在する伝説の池で消息を絶った兄の話していた。

 話の焦点は今朝、倉島が受けた松木先生との問診だ。先生は前回の倉島についての資料を見せながら、色々と先生からの問診に対する倉島の反応について、あれこれと指摘して心理状況の在り方を説明した。特に到着したその日の夕闇に見た人影に付いては「君の話を纏めるとあの浮き島に向かって人影が消えた事になるがそれは有り得ない」と言われた。

 それは三島さんからも当時は幻視だと言った(もっとも昨日は否定したが)。それに付いて先生は、脱線事故から此処に到着した間に君の神経は本人の気付かないままに大きく損なっていると結論づけられた。その典型が幻覚症状の現れだと指摘されてた。この点に付いては目の前の二人からは正常だと言われ安堵した。特に仁和子になこさんからは、兄は事故後も普通の人と変わらなかった、と言われて兄のその後を考えると少し複雑な気分にさせられる。とにかく先生は治療を進めてゆく上で、過去の診察記録に沿って治療方針を行っていた。そこから倉島は似た症状と照合している事実を知った。これでお兄さんの診察記録も松木先生は残していると実感出来た。

 話を聞いていた仁和子に、それは凄いと絶賛された。何しろ彼女はあの施設には一度も足を踏み入れてない。余程の事が無い限り治療に影響するという口実で中々面会許可が下りないからだ。依って仁和子は兄の療法は全く知らずに今日、倉島から初めてそんな話を聞かされたのだ。そんな仁和子の気持ちを代弁するように先ずは三島が訊ねた。

「それでその場で直接に訊ねないでワンクッション置く形で先ずは佐伯に相談したのか」

 と訊ねる三島は、珍しく仁和子さんの前では煙草を全く吸わない。これはかなり彼女を意識していると思った。

「そりゃあそうだろう診察中にやぶ医者の腰を折ればへそを曲げて意地でも見せないって成るだろう」

 それでお兄さんが失踪するまでの心の状態を記録したカルテの存在が確かめられた。後はじっくりと外堀を埋めて行けば本丸に辿り着けると提案した。

 倉島の遣り方に間違いは無いだろう。藪医者のご機嫌を取りながら兄の記録に辿り着くにはそれしか方法は見つからない。なんせ二年前の出来事をあの深泥池に問う訳にもいかなければ、診察記録が唯一のお兄さんの真相を知る手段だ。しかしあの施設に来るまでのお兄さんに付いて仁和子さんは余り語らなかった。そんな訳ありな雰囲気を察して二人も訊ねなかった。

「佐伯と藪医者とは上手く行っているのかその辺を見極めて遠藤に鞍替えするかとにかく松木と一番折り合いの良い相手でなければ閲覧の交渉は難しいだろう」

 倉島の担当は佐伯だが、彼は使い走りだからその彼が倉島以外の閲覧を仲介すれば藪が不審がる。三島の担当も佐伯だからあとは遠藤になる。

「だが遠藤はどうもそんな話には突っ込まれたくないみたいだ」

「どうして別に担当相手が違うと越権行為になるんですか補助金と謂う形で国から金を貰っていても此処は役所じゃ無いですから行政に差し支えることは無いでしょう」

「ホウ、だいぶ佐伯から情報を仕入れているんだなあ、なら藪からカルテの閲覧はそう難しくは無いだろう」

 どうもそれがそうはいかないらしい。藪医者の松木にとっては、集めた患者の情報は将来の研究成果として今は出さない。いずれ時を見て発表して一躍脚光を浴びて学位や出世の糸口にするつもりだ。それまでは機密漏洩には相当の神経を使っている。とてもじゃないが佐伯ごときが口出しする隙がないらしいが、それでも佐伯は断らず保留扱いにしてくれている。そこに佐伯の苦労が滲み出ているように倉島は受け取っていた。

「あの代理の景山さんは公務員からの叩き上げで無く民間出身だけ有ってなんか気が許せそうな雰囲気があるんですが僕より長い三島さんはどう思います」

「あんたは本当に機関車の運転手か。中々良い感をしているよ。俺もそう思う前例の無い規則一点張りで雑談以外は応じてくれそうも無い役人と違って景山さんはまだそこは柔軟性がある」

 景山さんは今は国の出先機関に居るが、ある程度は理屈では社会が回らないと理解してくれてる一人だ。だが倉島はまだ入って間もないから付き合いはないが、三島はそこそこは話し込んで居るらしい。

「景山さんは少し前までは大阪の有名ホテルの宴会課長を遣ってた人だからそのノウハウを見込まれて公営の宿泊施設に引き抜かれた後にこの施設へ代理として赴任した人だ」

「あのホテルは大阪どころか全国的に有名なホテルなのにそんな所を辞めてまで来るなんてちょっと冒険心のある人ね」

 と仁和子は二年のホテル勤務である程度のホテル業界の内情を掴んでいるようだ。

「仁和子さんはあの景山さんの居たホテルに伝は有ったの」

「今のあたしの上司が景山さんのもとでホテルのノウハウをたたき込まれた人なの」

 それを聞いた瞬間に二人はグッと仁和子の前に身を乗り出した。

「それじゃあ俺たち二人で代理を口説くより篠田さんの方が容易そうだなあ」

 なんせ昔にホテルのイロハを教え込んだ教え子から、しかもその部下の兄に関することなら、景山さんも無下には出来ないだろうと三人は顔をほころばせた。

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