第3話 三島の場合

 こうして雨で煙る景色を眺めていても何も始まらん。さあーなぜ俺が此処へ送り出されたかその理由がまだサッパリ解らん。見た所みんな普通だ。じゃあ此処にはだいたいどんな人間が居るのか何をしているのか不可解だらけだ。

 こんな所には長居は無用だがどうすれば退院できるか。さっきのおばさんの話だと最近の入院患者は直ぐに退院している。そいつらの様子を聴けば一番手っ取り早いが、みんなの健康状態は見た目では解らない。それもそのはず外見上は五体満足で何処も悪くない健康優良児の見本のような連中ばかりだ。今日は此の雨だから外出はままならないからさっそく調べるか。

 先ず両隣と言っても一番手前だから隣と向かいの部屋を訪ねることにした。同じ部屋ばかりが並んでしかも部屋番号しか表示されず表札が無い。そう言えばここへ来る途中には名刺を表に貼り付けた部屋もあった。だがあれは内の会社以外の社名だった。どういうことだ。

 おッ、そうださっきの階段の踊り場で缶コーヒーを呑んでいた奴がいた。ちょっと覇気がなかったから調査対象には打って付けだがまだいるか行ってみよう。

 どうやら空いた缶コーヒーを灰皿にしてまだ煙草を吸っていた。彼は倉島を見るなり慌てて煙草をもみ消している。それで禁煙かもしれんと思ったら矢張りそうらしい。

「いつもは表で吸うんですが外は今日は此の雨ですからねぇ」

 と罰の悪そうにこちらへ挨拶をされて内緒ですよと言われた。

 倉島は自販機のある踊り場に来たばかりで此処の様子を伺いたい、と休憩用の三点セットのソファーに勧めると、彼も応じて向かいに座った。

「此処は禁煙以外はそんなに難しい決まりはありませんよ」

 まあそうだろうなあ、あのおばさんにここまで案内されながら見ていると、みんな思い思いに寛いでいた。それが余計に不思議なんだ。どうして会社は特定の社員にこんな待遇を与えているのか、先ずは此処で一等航海士と名乗った三島みしまと謂う男の場合を聞かせてもらいたかった。それを言うと本人も最初にここに来てあなたと同じ疑問につかったと言い出した。

 彼もそうだが倉島も運転手で、今日始めて来たと伝えると、同じ運転手と謂う処に関心を示された。

 三島は歳は二十四歳で、国内航路の航海士をしていた。その彼が五百トンの貨物船を夜中に操船中に、瀬戸内海で座礁事故を起こした。それがどうも会社ではノイローゼに掛かって居ると判断されたらしい。

「その時は台風が来ていて船が流されてしまってねでも何とか満潮には離礁できたんですがねでもあの時はブリッジで操船をしていたのは船長でね俺は反対側の左舷を見張っていて直ぐに報告して舵を切ったが底を擦ってしまって直ぐに後進したがダメだった」

 干潮時でいつもなら見えていた岩が波を被って見えなかったただそれだけなのに経験不足を問われて療養しろと言われた。

「ほうー、あなたもそうですか。電車の運転手ですかそれは大勢のお客さんを乗せるんですから気を遣いますね」

「客車で無く貨物専用ですから殆ど停車しませんけれど新幹線みたいに高架を走っていれば楽ですが一般路線で踏切があって気が抜けませんよもっとも助手で運転は厳密には来月からなんですが」

「慣らし運転の途中で此処へ来たんですか」

「もうどれぐらい此処にいるんですか」

「もう三月ぐらいになるなあ」

「見た所は何処も悪くないようですが退院の当てというか目安は何なんです」

「さあそれは医者に聞かないと判りませんが倉島さん、あなたは何処が悪いんですか?」

 謂われてみれば其れもそうだ。身体からだはいたって健康そのもので何処も悪くない。ただどうも気分が優れない、それも此の雨で新天地に来たのに閉じこもざるを得ないせいだろう。

「いつも何をしてるんです」

「ああ定期的に心理テストを受けるのが此処の日課なんです」

「心理テスト? 何ですかそれは」

「さあー、心の闇に分け入るテストですからその心境が判ればテストが成立しないんでは無いですか」

 本人の無意識の心境を引き出すから、受験者がそのテストの遣り方が判れば正確なデータが出難でにくい。出なければ対処も出来ないから毎回ちがうテストで内容は決して他言無用と念を押されている。そこが此処へ送り出した上司の解りにくい説明と共通するようで、なるほどと一部は合点がいった。一つ大事な点はいったい此処に何日逗留すればいいのか。三島さんの知る範囲では何年もいる人もいればほんの数週間で出て行く(退院とは言いたくないそうだ外見では我々と何ら変わらないからだ)人もいる。滞在期間はまちまちで医者の判断で決まるらしい。そんな話をしている内に昼食の案内放送が流れて、初めてなので三島さんに手引きされて食堂へ行く。

 今まで見た数の倍ほどの十五、六人が食堂に集まって驚いた。これで全員だろうかと訊くと後四、五人いるが多分席がいてから来るんだろうと言う。

 調理場との間にあるカウンターに並んで、トレーに載った定食セットを持ってテーブルに着いた。一般には若い人が多いが四十代を越える人も居た。特に来る施設が違ってないかと思える年齢も一人いた。だが共通するのはみんなが健康そのものなのだ。それが返って此の施設の存在意義を己に問い直したくなる。


 

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