第2話 療養所に着く
先ずは入った玄関前の受付で用件を伝えた。受付窓口にはパートとおぼしき普段着のおばさんが倉島さんですかお待ちしていましたと言われて「じゃあどうしてこの土砂降りの中を歩かせるんだ。待ってるんだったら迎えに来い」とムッとした。この日の来客を訊かされていたのか話は直ぐに伝わった。しかし此処の入院患者さんですねと言われて、俺は何処も悪くないとまたムッとした。
おばさんが紹介したフロント主任の
施設の北側には山が迫り、その山裾に有る施設の南側が深泥ヶ池だが直ぐでなく、淵まで数十メートルはあるが、なんせ草木が生い茂りその境目は湿地帯のようで見極めにくい。建物は背後の山と池の間に沿って東西に長く延びた三階建ての建物だ。従って玄関は西端になる。
池を取り巻く道路側とは境があるが、施設の玄関脇から奥に長く伸び建物との間は芝生広場で、北と東側は山になり南側は池で出入り口は西側だけで、保養施設としては人の出入りが管理しやすくなっている。
北山通りの地下鉄駅から田んぼが入り組み、簡素な住宅街を歩いて七百メートルぐらいの外れにある。駅の南は広大な植物園で車は観光客以外は余り通らず、夜は殆どひっそりとしてその外れになる。だから施設は保養には打って付けの場所で、昔は精神に異常をきたした兵士が収容される軍の病院だったそうだ。今は特殊法人として建物の外観も建て直す余地も無く、そのままにして内装は現代風に直して有る。かつては広い敷地内に病院も有ったが、今は行き来が出来ないように垣根で分離して、民間の病院として払い下げられて別棟になっている。
形体は特殊法人だが、旧軍から引き継いだ国の出先機関として、補助金を受けて運営されている。
支配人と副支配人と後は社員五人合わせて七人が、特別公務員待遇で他に従業員は数十人居るが、全て民間からの委託業者やそのバイトで占めている。
到着した倉島はフロント主任の坂井から大体その様な説明を受けて、奥に引っ込むともう一度先程のおばさんに代わった。
おばさんは受付窓口から出て来ると「荷物はそのバックお一つですか」と不思議そうに訊かれた。此処で療養するように言われただけですから、と寝間着と替えの下着類しか持参していない。第一にいつまで居るのかさえ知らない。それを訊ねると本人次第だと会社の連中と似たような事を云われて又々ムッとした。
通り過ぎて一度振り返ったロビーには、男女どちらかと云うと男が多いが、ロビーには七、八名が各自ソファーに座って寛いでいる。直ぐにおばさんがご案内しましょうと先ずはロビーの向こうにある従業員食堂を案内した。そこにも食事時間では無いが珈琲カップをテーブルに置いて喋りに興じている。その奥の仕切りカウンターの向こう側に大きな鍋や食器類があるから調理場だろうと思う矢先におばさんは朝昼晩と此処で摂ると説明して廊下に出て階段で三階まで上がった。
その階段の踊り場には自動販売機が幾つか鎮座していた。そこにも人が居て缶コーヒーを飲んでいた。男は新人さんですかと聞くとおばさんはそうよ仲良くしてあげてねと廊下に向き直った。長い廊下の両側にはドアとドアノブが間隔を空けて奥まで続いている。倉島の部屋は一番手前の三百一号室だ。
「一体此処には何人居るんですか」
「三十人は収容出来るけど今は二十人弱ほどでしょうか」
大半の逗留者は長居して人数は殆ど変わらないが、どうも収容されても異常が認められずに常に二、三人が入れ替わっている、それで正確な人数を把握していないらしい。
「でもみんな健康そうですが」
「表向きはねまあそれはお医者さんが決める事ですけれど」
とサッサと歩き出した。
「年齢もまちまちですね、みんななんか病んでいるんですか」
「さあー、あたしはこの近所の者ですからそれ以上は知りませんので難しいことは他の人に訊いて下さい」
「そりゃそうなるなあ、でも診察室は何処ですか」
「一階ですけれど常駐はしていませんからそれに神経科のお医者さんですから問診が殆どですから器具はなく普通のお部屋と変わりませんからどうしても具合が悪ければ隣の病院で診て貰います」
先生は常駐はして居ないけれど頻繁に来て、診察したあとは休憩室にしているそうだ。
「まあそうなるわなー」
「このお部屋ですビジネスホテルみたいな作りですからそう広くはありませんが寛げますので」
「みんなは何をしてるんです」
と引き揚げる彼女を呼び止めた。
「殆どの人がこの周囲の散歩ですけれど今日はあいにくの雨で施設内にいますよ」
「散歩って前の池ですか」
「チャウチャウ! この池は危のうて向こうの宝ヶ池へ行かはります」
あの慌てようが気になるが……。
「どうしてこの池は危ないんですか」
「ここの生まれやないさかい内はよう知りまへんけど人を呑んでしまうちゅう噂ですから」
「エヘー何でそんな物騒な噂のある処にこんな施設を建てたんやろう」
神経科の先生の話やとだから治療にはええらしい。精神に不安のある人にはある程度の刺激があったほうが生きると謂う防衛本能が自然と芽生えるらしい。
とおばさんはドアを開けながら説明して「昼食までごゆっくり」とサッサと引き揚げてしまった。
倉島にすれば合点がいかない。今度先生に診て貰うときに訊いてその根拠を確かめたい。それより三階から見る風景は良い眺めだ。おそらく反対側だと山だから見晴らしは良くないだろう。とは言え今日は雨でボンヤリと霞んで何処に何があるのか判りにくい。見えるのは二階建ての民家ばかりで、しかも田畑が点在して、さっきまで歩いた所はこうして上から俯瞰すると、どうして道に迷ったのか笑い話にもならないぐらいに滑稽に見えた。
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