第7話:怪異

 神凪町かんなぎちょうという田舎において、大型ショッピングセンター【アオンモール】は老若男女問わず唯一の娯楽であると言っても過言ではない。ここに訪れれば大抵の者が簡単に手に入る。その利便さは田舎住まいの人間にはありがたい話だが、昔ながら経営していた八百屋などにとって、【アオンモール】の存在はあまりに痛手だと言わざるを得ない。



 でも、ここに来るんだけどな。冷房がしっかりと効いたフロアにて、景信は火照った身体を冷やしていた。学生である景信の資金はあまり多い方ではない、ので無駄使いは言語道断だ。

 見るだけならば費用はない。涼む傍らで景信は店内をのんびりと物色していく。



「あーここにあるゲーム機、俺ほしいんだけどなぁ。でもめっちゃ高いし……」

「あの……」

「はい?」



 不意に声を掛けたその女性に景信ははてと小首をひねる。

 めっちゃかわいい……! 思わず生唾をごくりと飲み込む景信。

 目の前にいる少女は十中八九、美女と評価して異論はなかろう。


 金色のショートボブと翡翠色という非常に珍しい瞳色が印象的なその美女は、景信の方へとつかつかと歩み寄る。当然面識がない景信は女性の美しさに見惚れながらも、警戒してすっと身構えた。



「別に取って食べたりしないので安心してください」



 女性がくすりと笑った。

 とりあえず敵意はないらしい。景信もおずおずと応答する。



「あの、さっき俺を呼び止めましたけど……俺に何か?」

「あ~うん、やっぱり憶えてないですかぁ。わたくしは君のこと、ちゃんと憶えているのに」

「え……?」



 どこかで会ったことがある、らしい。だが当の本人である景信にその時の記憶がまったくない。

 これほどの美女で、特徴が個性的であればまず忘れることはないのだが。うんうんと唸って沈思する景信の頬に、女性の手がそっと触れた。

 つ、冷たい! 人のぬくもりがない、まるで氷のように冷たい感触に景信は思わず飛び上がってしまう。



「せっかくこうして出会えたんです。いっしょにお出かけしませんか?」

「え、えぇ? 俺と、ですか?」

「君以外に誰がいるんですか。あの時は全然時間がなくて楽しめなかったけど、今はたっぷりと時間がありますしね」

「あ、あの……」



 有無を言わさぬ様子で女性は景信の手をガッと掴んだ。

 いくら大人と子供でも、景信は歴とした男である。ましてや祓流ふつのりゅうを体得するその肉体は、厳しい修練によって常人よりも遥かにずっと上だ。たかが女性如きに負けるはずがない、という景信の思惑はあっさりと根底から打ち崩れる。


 振りほどけない!? 女性の握力はさながら万力のように景信の手をしっかりと掴んで離す気配がまったくない。そこにひんやりとした女性の体温を相まって、景信に手錠のイメージを色濃く連想させた。



「ちょ、ちょっと離してくださいってば! 俺、アンタと出会ったことないですから!」

「ううん、ちゃんと会ったことがありますよ。そうでなかったらこうして声をかけることも、手を繋ぐこともしませんから――君だからこそ、ですよ景信くん」

「お、俺の名前をどうして……!」



 女は答えることなく、景信の手を引いたままずんずんと外へと出た。

 景信はなおも抵抗するが、女の力が緩むことはない。



「だ、誰か助けてください!」



 なりふり構わず景信は助けを求めた。

 しかし、いくら田舎と言えども人の出入りが多い時間帯であるにも関わらず、景信はようやく周囲の人の気配がまるでないことに気付いた。

 どうして誰もいないんだ!? ありえない事態が景信を更に困惑させる。

 そうこうしている内に女の足取りは一軒の古民家の前でぴたりと止まった。


 外見は酷くボロボロで今にも崩れそうな雰囲気がひしひしと伝わる。

 明らかにもう何十年と放置されていよう古民家の外観がそうであるように、内観も同様にボロボロだった。床板は所々穴が空き、踏む度に木が異様なほど大きく軋む。外と内の境界線という機能をとっくに失った扉を一歩進んだだけで強烈な異臭が鼻腔を突き刺す。


 なんなんだよ、ここは……。怯える景信はそのまま一室へと案内された。

 他と比べれば、その一室はまだ比較的マシな方だと断言しても相違あるまい。

 七畳半とやや広め。家具の類は一切なく、ではこの殺風景の内観を何が飾るかと言えば寝具一式のみ。一枚の大きめの布団と枕が二個、枕元には未開封のティッシュの箱が一つ。


「え……?」と、景信。

 女を見やるその顔は相変わらず恐怖と困惑で酷く歪んでいる。

 それがこの状況を前にしたことで景信の頬にはほんのりと赤らみが帯びた。

 本気なのか!? これより何が行われるのかわからないほど、景信も愚鈍ではない。

 むろん激しく困惑を禁じ得ない。何せいきなり見知らぬ人と情事をしようとするのだ。

 異性への興味が強い年頃の男児にとってはある種、このシチュエーションはご褒美かもしれないが、恐怖や不安が勝る景信はそうもいかなかった。



「ちょ……は……? あ、あの……」

「それじゃあ早速始めちゃいましょうか」

「いやいやいやいや! いきなりそれはだめですって! 俺まだ未成年だし、そういうことは本当に好きな人としかやっちゃいけないって父さんも言ってたし……!」

「でも、将来を結婚を訳した間柄ならそれも関係ないですよ」

「えぇ!? け、結婚!? 俺と、お姉さんが!?」



 にわかに信じがたい衝撃的な事実に、景信は激しく狼狽した。



「いや……いやいやいやいや!」



 そんな約束をした憶えなんかない! 景信は女の発言を強く否定する。

 今更ながら相手が異常者だと気付いた景信は、逃げ出そうと試みた。

 幸い女の手は景信から離れている。逃げ出すならば今しかない。



「あぁ、駄目ですよ景信くん。勝手に部屋を出ることは禁止です」

「えっ……?」



 景信の行く手を突如それは遮った。

 ぶよぶよした質感は不快感を指先から全身へと満遍なく伝達し、かさかさとした音は嫌悪感を植え付ける。黒く鈍い輝きを放つそれはまるで鎧のようだ、硬質感のある外皮に覆われた胴体はとにもかくもとてつもなく長く胴太い。

 無数の足が壁や天井を這い、その先を視線で追ったことを景信が過去一番後悔することとなる。

 美しい女はもうどこにもいない。景信の前にいるそれをわかりやすく形容するならば、それはきっと化け物以外に相応しいものはなかろう。



「あぁ……大変。景信くんとついまぐわえると思ったらつい……」

「あ……あ……」



 後退りする景信を、それは愛おしそうににこりと微笑む。

 もっとも、恐怖する景信の目にはその笑みも恐怖を助長する。

 端正な面立ちは百足を彷彿とする醜悪な形へと歪み、鋭い牙がかちかちと打ち合う。



「それじゃあ景信くん……しよっか?」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」



 景信は悲鳴を上げると同時に、掛布団を手に取った。

 布団で怪物を倒す逸話など、創作の中でも聞いたことなどない。

 倒すつもりなど最初から景信には毛頭ない。優先するはあくまで逃げること。

 布団で大百足の怪物の視界を遮ったその一瞬の隙を突いて、景信は外へと飛び出した。

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