第6話:狂いだす歯車

 相変わらずの猛暑日だと言うのに、居間の空気はどこかどんよりと暗い。そう感じたのはすべてこのニュースのせいなんだろう、黙々と朝食を摂る景信の視線はさっきからずっとテレビに釘付けになっていた。



「まさかこの町で殺人事件が起きるなんてねぇ……」

「ふぅむ。かわいそうに、第一発見者のトメさんの話によると、かなり惨たらしい殺され方をしとったらしいぞ。じゃが……」



 と、言葉を詰まらせる祖父に、景信も心の中では同情の意を示した。


 ――まさか、昨日絡んできた連中が死ぬなんてなぁ……。


 殺人事件の被害者がわずか数分間だったとは言え、一応知っているだけにさしもの景信も驚きを禁じ得ない。同様のその殺され方については、しかし本当にこれは人間の仕業によるものなのか、というのが素直な疑問でもあった。

 被害者は一様に、鋭利な刃物によって殺害されている。


 日本刀も値段から刀匠によってまちまちなのは言うまでもなく、人体をすっぱりと両断できるほどの代物を景信は見たことがない。いずれにせよ犯人はまだ逃亡中で、同時にこの町のどこかに今もひっそりと息を潜めていると考えるとこれほど恐ろしいものは早々なかろう。


 もし何かあったら俺がジイちゃんとバアちゃんを守らないと……! 朝食も終えて外へ行こうとする景信に祖父が待ったをかける。



「景信、お前は賢い子だからワシらがどうこう言う必要もないじゃろう。じゃが――」

「うん、わかってるよ。とりあえず夜遅くに出歩くことは絶対にしない。早めに帰ってくるから安心して」



 いくら武術を体得しているとは言え、人間を両断できるほどとなると十中八九素人ではない。

 景信も一人の武術家だ。売られた喧嘩を率先して買うつもりはないが、けれども負けるつもりも毛頭ない。


 神凪町かんなぎちょうは、あの残虐極まりない事件があってまだ間もないのだ。

 平穏を一瞬にして失ったとあって誰しもが酷く動揺している。

 一刻も早く殺人犯が捕まることを切に祈る中で、偶然なのであろうがばったりと出くわしたその女性は昨日同様、明るいテンションを崩さない。



「おはよう景信ちゃん!」

「……おはようございます八千代さん」

「それ」と、八千代。



 何がそれなのか。彼女の言葉には主語がなく、おまけになんだか不機嫌そうにむっと頬を膨らませているから、景信も小首をひねる他ない。



「八千代さんって、前々からなんだか他人行儀みたいで嫌だなぁって思ってたの。前みたいに八千代お姉ちゃんって呼んでほしいなぁ」

「え~……」と、景信。



 今更そう呼べって言われてもな。当時の景信は幼かった、心身共に成長したことでお姉ちゃんと呼称することに景信を気恥ずかしさが襲う。知人がいないので揶揄される心配はまずあるまい、がそれでも羞恥心をどうにかしない限り景信は彼女をそう呼ぶ日は訪れない。

 八千代本人には、景信の羞恥心など知ったことではない。



「もう! ちゃんとお姉ちゃんのことを八千代お姉ちゃんって呼びなさい!」

「ちょ、八千代さん……!」



 突然のハグだけでもいざ知らず、豊満なおっぱいに顔を顔を挟まれた景信を、がっしりと八千代は抱擁ホールドして離そうとしない。こうなればもう脱する方法は一つしかなく、致し方なしと景信も諦めるしか道がなかった。



「わ、わかった! わかりましたから離してください八千代お姉ちゃん!」

「ん、よろしい」

「はぁ……マジで窒息死するかと思った」

「でも気持ちよかったでしょ?」

「それは……」



 その質問はいささか卑怯すぎやしないか? 豊満な胸を挑発するように持ち上げる八千代に、景信ぷいっと顔を背けた。

 もっとも、彼も年頃の男児で異性に対しての興味は尽きないわけで、ちらちらと盗み見る景信に八千代はにこりと微笑んだ。

 不意にその表情を曇らせたのは、一台のパトカーだった。

 サイレンこそ鳴ってないものの、赤いランプはしっかりと転倒していて、大方今日のニュース関連だろうとそう察するのは容易く、どこか忌々しさすらある表情かおを示す八千代に景信はこの時わずかに恐怖を憶えてしまった。


 もしかして、あの死んだ人達の知り合い? まさか、その可能性は多分ない。



「……これまでずっと平和だったのに、なんだか一瞬にして物騒になったわね」

「えぇ、それは確かに」

「景信ちゃん、夜遅くに出歩いたりしちゃだめよ? 景信ちゃんはかわいいから危ない人に狙われやすいんだから」

「いや、確かにわざわざ自分から危険に首突っ込む気はありませんけど。それほど軟じゃないですすよ、俺」

「それでもよ。お姉ちゃんの見立てだけど、多分男達を殺したのは人間じゃない」

「え?」と、景信。



 人間じゃないなんてこと、果たしてありえるのか? あまりにも真剣みを帯びた顔でそう言うものだから景信の口からも間の抜けた声がもれて、しかし八千代の顔は未だ真剣なままだった。



「その、どうして人間の仕業じゃないって思うんですか?」

「勘よ!」



 と、気持ちがいいぐらいハッキリと断言した八千代。



「えっと……勘? 勘なんですか?」

「そうよ。勘。こう見えてもお姉ちゃんの勘ってばよく当たるんだから!」

「いやいや、そんなことあるわけが――」



 あるわけがないと口にしようとしたところで、そう言えば思い当たる節がいくつかあったことを同時に思い出す。改めて統計してみれば確かに、八千代の勘はよく当たっていた気がしないでもなかった。

 クジ引きや当たりのアイスなど、どうやって見分けているのか秘訣を尋ねたぐらい八千代の勘はよく的中して、ならばやはり今回の事件は人非ざる者と信じるかと言えば別の話だ。

 いくら勘が当たるからといって、人外が犯人というのは無理がありすぎる。


 俺をからかってるな。景信の疑念を孕んだ眼差しに対して八千代はしばしして、ペロッと舌を出した。親にいたずらがバレた時の幼子のようで、やっぱりからかっていたんだとわかった景信は小さく溜息を吐いた。



「いくらなんでも無理がありすぎますから」

「あっはっは! ごめんごめん。だけど本当に人間の仕業じゃないってそう思えるほど、今回の事件はあまりに猟奇すぎない?」

「それは、まぁ……」

「まぁとにかく景信ちゃんも本当に気を付けてね? もし何かあったらお姉ちゃんが守ってあげるから!」

「気持ちだけもらっときます。後、その台詞は俺がいうところでしょ」

「何? お姉ちゃんのこと守ってくれるの?」

「そりゃあもちろん……でも――」



 この人の場合は多分大丈夫のような気もするが。そんじょそこらの男性よりも高身長であることも相まって見下ろされた時の威圧感はなかなかのもので、かく言う景信の最初の時は驚いてしまった。

 今にして思えば、高身長をコンプレックスしている相手に対していささか失礼だったと思わなくもない。あの時は幼かったのだから致し方なかろう、自己解決したところで景信は不意に、すっと伸ばされた手に肩を掴まれた。八千代がにこりと笑うが、その頬は何故か紅潮している。



「ところで景信ちゃん。今日はお姉ちゃんと一緒にデートしない?」

「デ、デートぉ?」



 と、明らかに動揺する景信を八千代は愉快そうにからからと笑った。



「あれ? もしかして景信ちゃん、まだ女の子とデートとかしたことないの?」

「うぐ……」



 図星である。生まれてこの方景信は未だ女の子のとデートはおろか交際すらしたことがない。

 自身の環境をかえりみれば、確かに景信の周りにはかわいいに該当する女の子はたくさんいた。声を掛ければ少なくとも、よっぽど悪手でない限り返答はしてくれよう。

 しかし、景信はそれさえもしなかった。

 理由は、自分でもよくわからないというのが正直なところで、これまでに交際したいと心から思える相手との出会いがないために、どんどん周囲ではカップルが生まれる一方で景信だけが孤独だった。


 ――俺だって彼女ほしいよ!

 ――リア充爆発しろ!!


 恋人がほしいというのに、心がどこか求めない。

 だから八千代からのデートの誘いは気恥ずかしさもあるが、同時に嬉しさが景信の心を満たした。



「どう? お姉ちゃんとデートする?」

「お、俺はその……」

「……ん? ごめん景信ちゃん。やっぱりデートはお預けで」

「え? そ、そうなのか。いやぁ残念だなぁ……!」

「ごめんねぇ、でも次はちゃんとデートしてあげるから。楽しみにしといてね」

「期待しないで待ってますよ~」



 自分から誘っておいてなんだよ。そう一言文句を心中で吐いたものの、去り際にて八千代の顔がまたしても険しかったのを景信は見逃さなかった。

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