第4話:悪い男に絡まれた女子を助けるっていう王道的展開

 八千代から逃げてきたわけではない、と言えばそれは真っ赤な嘘になる。

 10年ぶりに再会したから妙な気恥ずかしさや、どう接すればよいかがわからなくなってしまった。

 確かにそれも理由の一つとしては挙げられよう。

 自分で言うのもなんだか、景信は感が鋭い方だった。

 自身の身に危険が迫ればいち早く誰よりも察知し、事前に回避する。過去、これで大きな事故を回避したことで多くの人命救助に繋がると言う功績を、この少年は作った。


 あの時の八千代は明らかに何か、怖かった。

 あの時、あのままずっと留まっていたらきっとよくないことが起きた――かも、しれない。

 預言者ならば未来を見通すことが可能だろう、生憎祓御ふつみ 景信かげのぶは至って普通の人間だ。強いて言うなら武術を取得しているぐらい。未来を見通せる力なぞ持ち合わせてないので、この感が自分の思い過ごしであることを心から望んだ。


 次の目的地はもう定まっている。

 いよいよ身体が休息を要し、喉は酷く渇きを訴え始めている。

 脱水症状で祖父母に迷惑をかけるのはむろん、そんなことで貴重な夏休みを台無しくしたくもない。その一心であるところに不快なものを目にしてしまったものだから、景信に口からは心底忌々しそうな舌打ちが一つもれた。



「なぁなぁ、いいだろう? せっかくかわいいんだからさぁ、もったいないってぇ」

「…………!」



 その少女のイメージは、なんというか静謐せいひつだった。

 男達に絡まれてパニックになっているだけなのかもしれない。

 炎天下にも関わらず大きなマスクですっぽりと口元を隠す少女と景信は不意に目が合った。

 助けを求めるわけでもなく、何かを訴えるわけでもない。

 ただジッと見つめるだけ。大抵目線を見やれば、何を考えてるかぐらいは想像がつく。

 しかしその少女には感情がなかった。完全なる無には、さしもの景信も戸惑う。


 ――いずれにしても、だ。



「その辺にしておいたら? その子、明らかに嫌がってるぞ」

「あん? なんだこのクソガ――」

「クソガ……何か?」



 わざとらしく聞き返す。

 男達は相変わらず呆然としたまま、自分達よりもガキである景信を見上げるのみ。

 その顔は非常に滑稽で、同時に一人がポケットに忍ばせたナイフを抜いた。



「て、てめぇやんのかコラァ!」



 ぱちりと音を立てて刃長二寸約6cmほどの刃物が飛び出す。俗に言うバタフライナイフと呼ばれる代物で、男は現時点で銃刀法違反という罪を犯したこととなる。

 ナイフを出せばこちらが怯む、と彼らはそう本気で疑ってないのも頷ける。

 平和ボケと言う他国から定評のあるここ、日本では危機に対する意識が極めて低い方なのは、改めて確認するまでもなかろう。危機に対する危機感や対応策がない、そんな人間にとってたかだか数cm程度のナイフでも十二分すぎるぐらい凶器となり得よう。

 ナイフぐらいで、と景信は内心で思わずほくそ笑んでしまう。

 ナイフは立派な殺傷道具だ、がこれよりもずっと強力にして凶悪な道具を景信はよく知っている。

 もっともそれは道具などという、生半可な代物ではない。呼称するならば、兵器、これよりも相応しい言葉を景信は知らない。

 ぱきん、という音の後にからからと地を擦る金属音が空しく鳴った。



「ナイフ如きで俺をどうにかできるって思ったら、大間違いだってこと先に言っておくわ」

「――――」



 男達が唖然とするの、まぁ無理もなかろう。

 何せガキと罵った相手が素手でナイフを両断したのだから。

 手刀が鉄の刃を上回る、その瞬間を目の当たりにした彼らに先の威勢はもうない。

 素手で刃を折るような輩に喧嘩を売ることがどのような結果を自身に招くのか。それを考えられるだけの頭はあったらしい。



「逃げるのならそのままどうぞ。ただしこれ以上もし何かしてくるって言うんだったら、その時は叩き潰すけど?」

「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!」「すすす、すいませんでしたー!」「ママ~!」



 男達が去って再び静かになったところで、景信はくるりと踵を返した。

 少女は呆然と立ち尽くしてこそいるが、一先ず外傷の類は見受けられない。

 放置しても恐らく問題はなかろう、それよりも今の景信がまず優先すべきは己の喉の渇きを、いい加減どうにかしてやることだった。ただでさえ渇いていたところ、余分に水分を消耗してしまった。


 別段お礼がしてほしくてやったわけでもなし。

 あの少女ならば自分の足で家に帰れるだろう。



「…………の」



 蝉の鳴き声にかき消されるほどの、とてもか細い声に呼び止められた。

 気のせい、という可能性は服の裾をぴんと引っ張られる感触によって抹消された。

 大方、さっきの謝礼の言葉を述べたいのだろう。

 それを突っぱねてしまえば、やっていることはあの男達とまったく同じ。

 同類とだけは思われたくない景信は、表情に決して出さぬよう強く己に言い聞かせた。



「…………これ」



 ひんやりと冷たい感触に、景信は一瞬困惑した。

 この炎天下において心地良い冷たさは、買ってそうまだ間もないことがうかがえる。



「このジュース、俺に……?」

「…………ん」と、少女はゆっくりと首肯した。



 どうやら本当にそうらしい。

 エスパーとかじゃないよな? そう錯覚してしまうぐらい、あまりにも状況的に一致したお礼に、この暑さで自分の頭もやられたかと景信は自嘲気味に小さく心中にて笑った。

 ありがとう、と一言だけ告げて素直に好意ジュースを受け取る。

 好みの味なのも、きっと偶然だろう。

 遠慮なく喉の渇きを潤すその間も少女はじっと、ライシを捉えて離さない。


 ――なんでこの子、めっちゃジロジロ見てくるんだよ……。

 ――あれか? 人の飲み食いするの見るのが好きっていう性癖かなんかか?


 ともあれ落ち着かないので、景信はそのままくるりと踵を返した。

 お礼はもうしてもらったし、別段これ以上仲良くなりたいと言う考えも今のところはない。

 なんとなく彼女とは一期一会の関係に留まるような、景信はそんな気がした。

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