第3話:懐かしき人との再会

 家から一歩出れば再び真夏の太陽に身体はじりじりと熱される。

 肌をちりちりと焼く微かな痛みを憶える中で、景信の足取りは町の方へと向かった。

 この辺りはあの頃となんにも変わっていない。景信にとっては何せ10年ぶりとなる。



「なんで父さんも母さんも、あんなに行くのを拒んだんだろうなぁ……」



 理由について、景信の両親は明確に彼に明かすことはなかった。


 とにかく行く気はないし行かせない、という両親にはいつも不満しかなかった。



「しっかしアレだなぁ。この辺りは10年経ってもな~んにも変わってないな」



 昔となんら変わらない光景を景信は物色しては、懐古の情へと浸る。

 そんな中、前方から少女達がやってきた。

 別段おかしな話ではない。この町にいるのは何も景信だけではないのだから。

 通行人ぐらい他にたくさんいよう。あえて少女達――主に一人がなんだか変わっている、と景信が感じたのは違和感を憶えたからに他ならない。

 なんだろう、この感覚は……。言葉で形容するには相応しい言葉が出てこず、しかし第六感とも言うべき直感力がこの時景信の中で大いに働いた。

 そうこうしている内に景信は少女達とすれ違う。

 なんだか妙な気恥ずかしさを憶えて、咄嗟に景信は少女達から目線をそらした。

 それがいささか露骨すぎたのだろう。違和感を憶えた栗毛の少女が不意に視線を景信の方へやった。もちろん景信は目をそらしたまま無言だ。そのまままっすぐと足早に去る。

 そして件の少女と完全にすれ違った――



「……ようやく帰ってきてくれた」

「え?」と、景信。


 バッと慌てて振り返るが少女達の背中はもう遠くにあった。



「……なんだったんだ、今の」



 少女との面識は景信にはない。もしかすると10年前に出会った誰かなのかもしれない、と景信は沈思する。あの頃の景信はとにもかくにも好奇心旺盛な子供だった。気になったものはとにもかくにも進んで接する。あの子もその時に出会っているかもしれないが、名前も顔もよく思い出せないのが現状だ。何せもう10年も前のこと、憶えている方が寧ろ奇跡に近しい。

 よく、思い出せないや。

 景信はしばしその場にて佇み、小首をひねるしかなかった。




 まだ太陽が高くあるにもにも関わらず、その公園はしんと静まり返っている。

 この炎天下だ、わざわざ暑い中で遊ぶという考えも自然と消滅するのも頷ける。

 神凪かんなぎ公園は全国にある公園の中でもっとも大きいとしてちょっとだけ有名だったりする。過去にはアニメのモチーフにもされたぐらいで、わざわざ遠方から聖地巡礼としてやってくるオタクな観光客も少なからずいる。

 今日は誰もいないらしい。

 一番の目玉である噴水広場は、景信の除けば人の気配は皆無。

 シュッと噴出しては水面を打つ噴水の音色だけが、唯一の音楽として流れていた。



「ここも相変わらず変わってないなぁ……」



 懐古の情に浸るのもそこそこに、景信は公園を後にした。

 ここに訪れたのも単に懐かしかったからで、別段遊ぼうなどとい考えは更々ない。

 不便なことに自販機もないので、いざ脱水症状に陥れば大変危険だ。

 外は相変わらず真夏の太陽がじりじりと輝いて蒸し風呂のようだ。

 そろそろ涼しい場所にでもいこう。景信はそう思った、矢先のことだった。



「…………」



 いつの間にか、自分以外の来訪者がいたことに景信は気付いた。

 白いシャツとジーパンというボーイッシュな恰好と、腰をも越える濡羽色ぬればいろの髪がよく似合う。端正な面立ちはとても優し気で聖母と言う言葉が脳裏にふと浮かんだ。しかしそれよりも景信が一番印象的に思ったのは、彼女の身長そのものにある。

 なんて高身長なんだ。ざっと見ただけでも、女性の身長は景信よりもずっと高い。

 2m前後は明らかにあろう女性と、景信はふと目が合ってしまった。

 物珍しさで見つめていた下心があるだけに、景信は気まずさからさっと目線を外す。

 気付かれてない、よな? 噴水広場を通る傍らで、恐る恐る景信は横目に女性の様子をうかがう。



「こんにちは!」

「うわぁ!」



 すぐ視線の先に女性のきれいな顔がでかでかとあったものだから、景信は思わず驚いてしりもちをついてしまった。そんな様子を女性はからからと愉快そうに笑う。嫌悪感はなく、見惚れるぐらいかわいらしい笑い方をする。



「あっはっは。ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだけどね」

「あ、いえ……こっちこそ驚いてしまってすいませんでした」

「いーのいーのっ、気にしないで。それにしても、随分と大きくなったんじゃない景信ちゃん」

「ど、どうして俺の名前を!?」



 初対面の相手から名を口にされたことで、景信は大いに困惑した。

 すると女性がむっ、と頬を膨らませる。不満を露わにするが、外観不相応な反応だけに景信もどうすればよいかわからず狼狽するのみ。程なくして景信の態度に痺れを切らしたように、女性は小さな溜息を吐いた。



「いくら10年会ってないからって、お姉さんのこと忘れるなんてちょっと酷いんじゃないかな?」

「10年前に会ったことがある、んですか?」

「そうだよ? まぁそんなに濃密な時間を過ごし方って言われると怪しいところだけど、でもお姉さん的にはそれぐらいにあの頃は感じてたのよ?」

「……し、失礼を承知でお伺いします。その、お名前を教えてもらってもいいですか?」

「もう、本当に憶えてないの景信ちゃん。お姉さんショックで大泣きしちゃうわよ?」

「えっ!? そ、それはちょっと」と、景信。



 いくら人気がないとは言え、いつ他の誰がやってくるかわからない。

 大泣きした現場を理由を知らぬ第三者が目撃すれば、その時どちらが悪になるかなど一目瞭然だ。立派な冤罪事件となるが状況証拠だけにどちらを味方にするかは、言うまでもない。祖父母にも多大な迷惑が被るし、景信としてもこの事態は是が非でも回避したいところだ。

 ど、どうする? 土下座でもすればなんとかなるかも……! 景信の行動は極めて迅速だった。

 その場で両膝を瞬時に突き、額が地面に打ち付けるように深々と頭を下げる。

「ちょ、ちょっと景信ちゃん!?」と、女。

 明らかに動揺している様子だが、謝罪することで頭がいっぱいの景信が気付くことはない。



「本当に申し訳ありませんだけどマジで記憶にないんです! 不快な思いをさせてしまったのなら謝ります、ですからどうかここは穏便に一つ……!」

「ちょ、ちょっとやめて景信ちゃん! このままだとお姉さんが悪い人になっちゃうから! 全然怒ってないしさっきのも冗談だから~!」

「……本当ですか?」

「ホントホント! こう見えてもお姉さん超正直者だから!」



 胡散臭いんだけどそれは、と思わず口に出しそうになったのを辛うじて景信は喉を奥へとぐっとしまいこんだ。一先ず荒事にはならないとわかって景信もホッと安堵の息をもらす。

 しかし根本的な部分は何一つ解決していない。結局のところ彼女は何者なのか、景信はこの答えを知る必要がある。



「アタシよアタシ」と、女性。

「新手の詐欺ですか?」

「いや違うからね! そんなわかりやすい詐欺行為しないから! ――もう、アタシだってば。ほらっ、尺一さかくに 八千代やちよお姉さんよ」

「尺一……八千……あっ!」

「思い出してくれた!?」

 ずいっと身を乗り出す女性――尺一さかくに 八千代やちよに景信は苦笑いをそっと浮かべた。

「……今思い出しました。確かに俺達は過去に会っていましたね、八千代さん」

「やっと思い出してくれた~」



 10年前、夏休みを利用して両親とこの神凪町かんなぎちょうに訪れたまだ間もない頃。

 景信が最初に出会うことになったその女性の印象は、とにかく大きな人だ、というものだった。齢十を迎えていない幼い子供にすれば特にそう強く思うのも無理はない。

 確かあの時は、なんで出会ったんだっけ? 記憶の奥底へ景信はさかのぼる。



「――、そう言えば俺が確か八千代さんに落とし物を届けたのが切っ掛けでしたっけ?」

「そうそれそれ!」と、異様に喜ぶ八千代に景信もふっと微笑んだ。



 落とし物を見つければ交番へ届けるのは当然の義務である。今回の事例はすぐ目の前で起きたから、景信も直接本人に返した。その方が手っ取り早いし、そうした甲斐あって色々と遊びに連れて行ってもらってもいる。



「よかったぁ、ちゃんと思い出してくれて」

「あはは……まぁ、忘れてたことは素直に謝ります。だけどあの頃とお変わりないようで、俺もなんだか安心しました」

「うん! 八千代お姉さんはいつだって元気満々よ!」

「いや、そういう意味じゃなくて……」



 八千代さん、なんだかあの頃と全然変わってなくないか? 景信の疑問はここにあった。

 10年も経てば人間は必ず何かしらの変化が生ずるものだ。

 だと言うのに目の前にいる八千代は記憶にある頃とまったく同じまま。

 外見から雰囲気まで、何一つ変わっていない。

 まるで彼女だけ時間が停止しているかのようだ、という仮説に景信は思わず自身を嘲笑した。

 いくらなんでも、ありえないだろう。世の中はファンタジーじゃないのだから。結局のところ景信は、八千代は美魔女ということで納得した。



「ところでどうして今日はこっちに? 後どれぐらいいられるの?」

「今回は両親の仕事の都合でしばらくはいるつもりですよ。まぁ最低でも一年ぐらいとかじゃないですかね」

「本当に!? 今回はあの時みたいにすぐにバイバイしなくても済むのね!?」

「え、えぇ……てか俺、そんなにあっさりと八千代さんと別れましたっけ?」



 これについては記憶がまったく景信にはなかった。

 思い出そうとするが、両親ののんびりと電車で帰った記憶しかない。

 それ以前に家に帰る前、彼女と会っただろうか。思慮を巡らすほどにどんどん疑問だけが胸中に残る。一度浮上した疑問は解決することなく残り、やがてそれは一つの大きな渦へと変貌した。

 沈思する景信を強制的に現実へと帰還させた八千代は、外見不相応に頬をむぅっとハリセンボンよろしく膨らませている。

 相変わらずかわいいなこの人は。年上がやれば痛々しいことこの上ないが、八千代に至ってはそれが許されてしまうから景信も評価も甘い。

 俗に言う、ギャップ萌えと言うやつである。



「一年もいてくれるんだぁ! ――それじゃあ今度はゆっくりとできそうね」

「え?」と、景信。



 最後の言葉については小声だったため、よく聞き取れなかった。

 ただ、口を三日月のように歪めたことから景信は、どうせロクでもないこと考えてるんだろうなぁ、と察してしまう。見た目とは裏腹に八千代の内面は酷く子供っぽい。それが魅力的なのは十中八九そうではあるが、割かし平気でとんでもないイタズラを仕掛けてくることだけは、今も景信は受け入れられそうにない。

 いきなり服の中にカエルを入れられた時は、本気で殴りそうになった。それぐらいのトラウマを幼少期に味わっている身として、景信は八千代を強く警戒した。



「もう、ひょっとしてあの時のことまだ怒ってるの?」

「……俺にとっちゃ何年経とうが嫌な思い出であることには変わりないんですよ」

「ちょっとしたお茶目心じゃない」

「はっはっは。歳考えてからそういうセリフは言ってもらいたいものですねって痛い痛い! 頭をグリグリしないでー!」

「もう一回言ってくれるかなぁ? お姉さん肝心な部分、聞き逃しちゃったなぁ??」

「すすす、すいませんでしたぁ!」



 拳を作ってにっこりと笑う八千代に、景信は頭を深々と下げた。



「ところで景信ちゃん、この後って何か予定ある?」

「えっと、この後はちょっと買い物に行きます。ばあちゃんにおつかい頼まれたんで」



 景信は咄嗟に嘘を吐いた。

 八千代は親しい人間に部類される。嘘を吐く意味などないし、逆にせっかくの信頼に傷をつけることにも繋がりかねない。そうと理解していながら景信は嘘を吐いた。

 なんだかよくわからないけど、嫌な予感がする。理由にすればなんとも曖昧すぎて根拠の欠片もない。しかし景信には根拠なき確信があった。

「そう」と、八千代。

 あからさまに落ち込む挙措は景信の心に罪悪感を芽生えさせる。

 しかし景信は八千代に謝罪の意味を込めてもう一度だけ、小さく頭を下げるとそそくさと逃げるように公園を後にした。

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