第10話 昭和台中市~大正橋通:台中駅前エリア(榮町、綠川町、橘町)

【大正橋通】

 昭和時代の台中で、街の東西の境目だったのが、この大正橋通(民權路)。線路下のガードで駅の南北を安全に繋いでいる唯一の車道でもありました(駅の南北を繋ぐ道は他にも何本かありますが、当時は全て遮断機なしの踏切)。

 駅前の建國路を、橘町一丁目に沿って榮橋通(民族路)の入口から大正橋通へ進む途中、建國路87巷と民權路14巷との角地にあたる部分のビル。昭和11年当時、橘町一丁目12番地だった頃のここには、一軒の病院が建っています。

 病院の名前は「清信婦人科醫院」、お医者さんの名前は、蔡阿信さん。台湾の女性で初めて医師免許を取得したのが、明治32年(1899年)生まれのこの人でした。


 台北で生まれた阿信さんは、五歳の時に父親を亡くします。生活に困った母親は阿信さんを牧師の家へ養女に出しますが、阿信さんは二度に亘って自力で家へ戻ってきてしまい、この養女縁組は最終的に解消されました。

 当時、母親が住んでいたのは萬華で、牧師さんの家があったのは大龍峒だというので、今で言うとMRTの圓山駅から龍山寺駅まで6駅以上、ざっと五キロ半の距離を五歳児が歩きとおしたことになります。このことからわかる通り、蔡阿信さんは纏足していない女の子でした。

 領台初期、臺灣總督府は纏足を悪習として認識してはいたものの、強制的に廃止しようとまではまだしていません。台北の台湾人漢方医が中心となって「臺北天然足會」を発足させ、纏足廃止を呼びかけ始めたのが明治33年(1900年)。一度は頓挫したこの運動が再燃し、盛んになったのが明治36年(1903年)。

 阿信さんが台北で生まれたこと、ちょうどその幼少期に天然足運動が起こったこと、父親の死亡と家の困窮、これらの事情が重なった結果、幼い阿信さんの足は纏足から守られ、医師になるという未来に彼女が踏み出した時、彼女を支えたのでした。


 阿信さんの母親はその後子連れで再婚。義父は阿信さんを可愛がり、教育もきちんと受けさせます。6歳から私塾に通って古典を学び始めた彼女は、僅か一月で千字以上からなる漢文『三字経』を暗唱できるようになるという驚異の記憶力を発揮。8歳で大稻埕公學校に、全校唯一の女生徒として入学しました。12歳の時には宣教師が運営する淡水女學校に、最年少での進学を果たします。

 この時期、臺北高等女學校は既にありましたが、台湾人生徒の入学が認められるのは大正11年(1922年)からなので、阿信さんが進学できる高等教育機関はまだミッションスクールしかありませんでした。しかし、公立の高等女學校の教育内容がどうしても「花嫁教育」の要素を帯びてしまうことを考えると、阿信さんが淡水女學校に入学したのはむしろよかったとも言えます。

 18歳での卒業時、学校側は留学を勧め、阿信さんは(母親に非常に心配されつつも)東京へ留学。立教高等女學校で日本語に磨きをかけた後、大正6年(1917年)から東京女子醫學專門學校で医学を学び始めました。

 この時期、台湾から日本への留学生はまだ百人程度と少なく、女子留学生はそのうち僅かに二、三人しかいません。自然と留学生同士の付き合いは増え、そんな中で阿信さんは将来の結婚相手となる彭華英さんと出会っています。

 大正10年(1921年)に帰国した阿信さんは「台湾人初の女医」として一躍時の人になりますが、その反面、よい就職口はありませんでした。阿信さんの専門は婦人科でしたが、当時、大病院には産科はあっても婦人科はなかったのです。このため阿信さんは大正13年(1924年)に台北で自ら「清信醫院」を開業します。そしてその年に彭華英さんと結婚。台湾人初の女医が、当時はまだ珍しい自由恋愛による結婚を、というニュースは台湾中を駆け巡りました。阿信さん自身は生涯に亘って政治運動の類に参加しようとしなかった人ですが、彼女の存在と一挙手一投足そのものが既に一種の社会運動でした。

 彭華英さんは埔里の人だったので、結婚後の阿信さんは埔里からほど近い大都市である台中で、大正15年(1926年)に改めて「清信婦人科醫院」を開業します。診察費は相手の経済状況次第で決め、産婆も頼めず自宅で自力出産していた女性の分娩を無料で補助し、生まれた赤ん坊の衣服やミルク、母親の食糧事情も援助する、という採算度外視というべきこの病院の事務一切は彭華英さんが切り盛りしました。

 加えて産婆学校を設けて台湾全国から生徒を募集し、在学中の衣食の面倒も見たので、数年で台湾の津々浦々に頼れる産婆が増えていきます。台湾女性が出産時に面する危険は、これによって大幅に軽減されました。


 しかし、『綺譚花物語』の時代である昭和11年から僅かに一年で状況は変わります。昭和12年(1937年)に日中戦争が始まると、医学を学んだ女性が徴用されるのでは、という懸念が市民の間に広がったため、産婆学校への入学希望者は低迷しました。

 加えて元々日本留学時代から台湾の民族運動に参加していた彭華英さんが危険人物視され、警察が見張りに付くという事態になったことも病院の経営に影響を及ぼします。

 彭華英さんが運動に打ち込んでいた背景には、阿信さんの病院のサポートをするだけの日々に自分の存在意義を見失い掛けていた、ということもあったようです。後に警察を避けて中国に渡った彭華英さんは、別な女性と二度目の恋に落ち阿信さんと離婚しました。

 一方で阿信さん自身も結婚式を教会で挙げ、台中では大正町一丁目の「臺中日基教會」に通っている熱心なクリスチャンだったことから、皇民化が進む台湾に於いては警察に目を付けられています。

 最終的に阿信さんは経営不振に陥った清信醫院と産婆学校を畳んで昭和13年(1938年)に渡米、ハーバード大学医学大学院で研究を再開しました。昭和16年(1941年)、阿信さんがカナダにいた時に太平洋戦争が勃発。台湾にもアメリカにも戻れなくなった阿信さんは「日本人」としてカナダで終戦までを過ごし、戦後にようやく帰国します。

 しかし今度は二二八事件が、戦後の台湾に対する阿信さんの希望を打ち砕きました。1949年にカナダ人牧師と再婚した阿信さんは、1952年に台湾を去り、カナダで暮らし始めます。国籍は台湾籍のままでしたが1979年に一度帰国した以外は台湾に戻ることなく、1990年にカナダで生涯を閉じました。台湾が完全に民主化された翌年のことでした。


 なお、阿信さんは日本時代の最後の年となった昭和20年の台湾を舞台にした、BARZ先生による台湾漫画『一九四五夏末』のヒロインのモデルでもあります。台湾の歴史に関する資料を展示する「國立臺灣歷史博物館」で行われた特別展「二戰下的臺灣人(第二次世界大戦下の台湾人)」でオーラルヒストリー研究の一環として作成されたこの漫画のヒロインは、客家人として生まれ、学校で優秀な成績を修めたことで台湾人富豪の養女となり、台北の日本人向け高等女學校を卒業後は日本に留学して医師となり、敗戦直前の台湾へと戻ってきた女性。

 新竹郊外の貧しい客家人の農家の長女である蔡雁萍として生まれ、日本語が公用語となっていたがゆえに言葉のギャップを乗り越えて台湾人富豪の養女である呂雁萍となり、皇民化が進む中、宮下萍子として高等女學校に通い、傍から見れば輝かしい人生の中でロストアイデンティティに苦しむこのヒロインは、生まれ年や出身地、卒業した学校名などの細部こそ昭和20年という舞台に合わせるためアレンジされていますが、そのベースとなっているのは明らかに阿信さんの人生であり、大きな眼鏡を掛けたヒロインの容貌もまたは、写真に残る阿信さんの姿そのものです。


 大正橋通は道幅も広く、道の反対側は壽町と千歳町になるので東側だけを見ながら進んでいきましょう。

 大正橋通に入ってすぐ、「清信婦人科醫院」の裏手へと通じる路地の民權路14巷には、入口から数軒、明らかに日本時代からの物と思われる赤煉瓦造や木造の建物が非常にいい状態にメンテナンスされて並んでいます。橘町一丁目の1番地と2番地に相当するこの場所に当時誰が住んでいたのかは定かではありません。ただ、昭和10年末の職業地図を見ると「司法書士行政代書彭増才」という名前が。ひょっとしたらここはこの人の事務所で、さらにこの人は彭華英さんと親戚で、清信醫院の運営をサポートしたりしていたのかも、と考えることも可能です。


 この通り沿いはやはり建て替えが進んでいて、特に東側にはほとんど当時の建物はないのですが、そんな中に一軒だけ目立つ建物があるのが榮町通(繼光街)との交差点角地。

 「黃小兒科」と文字のある三階建て(魔改造されて若干四階建てぽくなっています)がある部分は、日本時代の榮町一丁目1番地に該当。当時はこの建物ももっと大きく、隣のホテルや繼光街の奥までも合わせて民權路80巷と自由路二段4巷までが丸々一つの建物で、そこに無数の店舗が入居していたようです。

 ここに入居していた店舗の一つ、「津島商店」は食料品店。和洋食品と酒、味噌の販売を行うだけでなく、醤油の醸造も行っていたようなので、かなり広い場所が必要だったのではないでしょうか。また、「シンガー裁縫機械會社臺中分店」もやはりこの建物のどこかに入居していました。

 民權路80巷を過ぎれば大正橋通はもう大正町に入り、今は合作銀行となっている「臺中州立圖書館」が大正町通と大正橋通の交差点に聳えています。

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