8 - ピピ




 私とノアがローランス家の養子になってあっという間に半年が過ぎた。

 そして今日もこうして、セリィの部屋の大きなベッドで眠る。ノアは嫌がっているみたいだけど、そんな光景も含めて今がすごく幸せで胸がいっぱい。


「ピピ、何かやりたいことができたら言ってね。何でも手伝うから」

「もう十分。今が幸せで夢みたいなの……」

「その顔っ、何でそんなに可愛いのピピ〜……」


 真ん中にセリィを挟み、今日も三人一緒に布団の中に入っている。そして私のほっぺはセリィの両手で挟まれた。よくされる。あとは頭をすごく撫でられたりも。

 きっとセリィがこうして私達と一緒に眠ろうとするのは、ここが孤児院とは違う場所だということを覚えさせるためじゃないかな……

 おかげで震えて熟睡できずにいた体も、今では安心して眠られるようになった。


「ノアは? 何かやりたいこととかある?」

「俺は引き続きこの国のこととか、何も知らないんで勉強したいです」

「ほんと真面目だなー……ま、そういうところがノアらしいけどね!」

「……ノアらしいって、いつから俺のこと知ってるんですか」

「へへ、いつからでしょう〜?」


 私達のいるほうと反対側を向きながらも、返事はちゃんとするノア。ノアもここに来て、だいぶ表情が変わった。よく優しい顔をするようになった。セリィは『顔色良くなったね』としか言わないけど、私にはそれがよくわかる。

 セリィがそばにいると、私達双子はどこか心が穏やかになっていくみたい。どうしてかな。わからないけど、きっとセリィのことが大好きでしょうがないからだわ。

 でもこの家には、セリィとは反対に嫌な人もいて……


「ねぇピピ、最近アレクお兄様とどう?」


 そう、アレク兄様のことである。


「……どうもこうも、最悪よ。この間もこっそり刺繍というものを練習して、一番良くできた刺繍のハンカチをセリィに渡そうとしていたんだけど──」


『ピピ。それなんだ?』

『アレク兄様。刺繍というものを練習しました。セリィにプレゼントしようと思って』

『?……蜘蛛か?』

『っ……‼︎』


「ってことがあって……! マチルダだったのに……アレク兄様はマチルダのヒゲが蜘蛛の足に見えたのよ? いくら私が下手くそでそう見えたとしても、言わないでほしかった……女の子の気持ちをまるでわかってないわっ」

「そ、そんなことがあったの? 知らなかった……私としたことがあ!」


 悔しそうにうつ伏せになるセリィ。そんな姿も可愛い。


「だから結局、セリィにハンカチ渡すのやめたの……」

「そのハンカチ、今度貰ってもいい?」

「え、でも……」

「どんなものでもピピにもらったものは嬉しいに決まってるんだからっ、お宝よ!」

「セリィ……大好きっ、私一生セリィのそばから離れないっ!」


 そう言ってギュッと抱きしめると、笑顔で私の少し伸びた黒い髪を嫌がりもせず撫でてくれた。

 少しでも隠したくて短くしたかった黒髪。そんな自分の髪の毛を今伸ばしているのは、セリィが私の髪を綺麗で大好きだと褒めてくれるから。そして日頃から黒の魅力をしつこいほど教えてくれるから。


「アレクお兄様は私が蜘蛛が好きだと思っているのかも……表紙に蜘蛛が載った小説を読んでいたことがあるから」

「そ、それだけで?」

「私があまり欲しいものを言わないせいか、売られてる物をただ見てただけで買ってきたりするお兄様なの……ふふ、ビックリするでしょう?」

「でも、きっと私のことが嫌いなことに変わりないわ……セリィのこといつもひとりじめしようとしてしまうもの」


 アレク兄様はセリィのことを溺愛している。私達が現れたことによって、大好きなセリィを取られたみたいで内心苛立ちを隠せないはず……


「そんなことない。アレクお兄様はピピのこともノアのこともすごく大切に思ってるよ。たまに空気の読めないことを言ってしまうかもしれないけど、お兄様のことをもっとよく知ってもらえれば、ピピも好きになると思うんだ」

「うん…………」


 本当は私もわかっていた。アレク兄様が、私達のことを思ってくれていること。

 それはまだノアが目覚める前、先に私が目を開けベッドから起き上がった時──。


『…………』


 知らない場所、空間に、言葉が出ず恐怖が襲ってきた。呼吸が乱れ、息ができなくなって、このまま死ぬんだと思った。

 

 "黒が無条件に避けられ嫌われる世界で、黒髪の私達はどうやって生きていけるというの?"


 ずっとそう感じていた。

 こんな生活が続くなら死んだほうが楽だと、何度も泣いていた。まるで死を目の前にした走馬灯のように、頭の中に浮かんでくる地獄のような孤児院での生活。

 

 そんな時に背中にそっと触れた暖かい温もり……その温もりは、以前から知っているような、どこか懐かしい感じがした。


『大丈夫か?』


 低めの穏やかな声が聞こえ、私より少し大きな手が背中を撫でている。その声の聞こえたほうを見ると、薄紫色をしたサラサラ髪の男の子が、私より目線が下になるようにしゃがみ込んでいた。


『ここではお前の怖がることは絶対しない。だから安心していい』

 

 あまり目つきは良くないけど、不思議と気持ちが落ち着いていく。例えるなら、そう……魔法みたいだった。

 その時感じた優しく暖かいものは、ずっと私が探し求めていたものだったんだ。


『ノアに、痛いことも、しない……?』


 涙が出た。こんなにも苦しくない涙は初めてで。この人になら甘えてもいいんじゃないかと思った。

 

『しない。もう何も心配しなくて大丈夫だ。お前達双子だけで、今までよく頑張ったな』

『ふっ……うぅ、う〜〜…っ!』


 どうしてそんなに優しくしてくれるのか。彼は何を考えているかわからない表情なのに、どこか少し苦しそうな顔に見えるのも、頭の中はわからないことしかないのに、彼の言葉で胸がいっぱいだった。

 

 その後出会ったセリィに話を聞いて、あの地獄から救ってくれたセリィは私の女神様になった。でもそれを言うと、「それは違う。私はピピの家族になるけど、恩人じゃないわ」と訂正される。そしてその理由も話してくれた。


『ピピとノアはね、酷いことをされたり言われたりすることに慣れて、優しくしてもらえるとその人のために尽くそうとするところがあるの。もちろん誰かのために尽くすことは悪いことじゃないけど、それじゃあ私が二人を誘拐した意味がなくなってしまうんだ……私はピピとノアが心から笑ってほしくて、自由に生きてほしくて、二人を誘拐してもらったんだから』と。


 あの時はセリィの思いが嬉しくて納得したけど、今ではこう思ってる。

 これからの人生、セリィのために尽くすことが生きがいで、それが自分のためになるって。

 セリィにとってはきっと嫌だろうけど、誰かのために生きようと思えたのは初めてだった。今までノアがいたから生きていられたけど、生きたいと思うことはなかったから。それは、幸せすぎるほど幸せな気持ちだわ。


 そしてそれはアレク兄様に対しても同じで……嫌というのはただ、自分の気持ちに素直になれないだけだということもわかってる。

 本当はアレク兄様を見かけるだけで、心臓が高鳴ってしまう。でも目の前にすると思ってることと反対のことを言ってしまったりして、アレク兄様の前の私は全然可愛くできない。

 ……やだ、まるでアレク兄様に可愛いって、思われたいみたいじゃない!


「ピピ? どうかした?」

「……なんでもない」


 熱くなる頬を隠そうとして無意識に触っていた。


「そう?」

「セリィ……いつも、ありがとう」


 セリィには素直に全部言えるのにな……ありがとうも……大好きも。

 いつか……、いつかアレク兄様にも、言えますように……。


 そう願っては、ゆっくり目を閉じた。カーテンの奥の窓から、ひっそりと流れ星が見えたことには気づかないまま。



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