7 - ノア
「この子はマチルダ。二人と同じ黒の毛よ!」
俺達がローランス家の養子となって生活していくうちに、驚かされたことがいくつもある。
まず、飼い猫だと言うマチルダが、近くにいると繁栄できない、死に近づくと噂の黒猫だったこと。
小声で「俺が言うのもなんだけど、これは大丈夫なのか……?」とボヤくと、お嬢様はあっけらかんとして「可愛いでしょ。私の相棒なの」と笑うのだった。
そして汚かった俺達の体は本物の貴族のように丁寧に扱われた。肩まで伸びていた髪の毛は綺麗に切ってもらい、よくわからない液体を入念につけられたりして手入れをしてくれた。
この家の人間は誰も黒髪を嫌がらないし、怖がらない。避けることもしない。むしろ笑顔を向けてくる。不思議だった。そんな人間に会ったことがなかったから。
三ヶ月以上もの時が過ぎた今、なんとなくわかる。たぶんあのお嬢様の黒への抵抗の無さから、周りにもそれが伝染してるのだと。
もちろん驚いたことはそれだけではなかった。専用の部屋が用意されてあったことや、俺の身体中についた傷口に塗る用の塗り薬をお嬢様自らが作ったということ。見るからに高そうな服も用意されていたし……
「ノア〜、まだ〜? ピピとアレクお兄様、もう庭園で待ってるよ」
部屋の扉をノックし、クローゼットの前で何を着たらいいのか迷う俺にティータイムの催促をしてくるお嬢様。
「……先行ってて下さい」
「部屋入るからね?」
痺れを切らした彼女は扉を開けると、『やっぱり……』と言いたげな顔をして俺の隣に並ぶ。
この感情の読めないお嬢様のことを観察していくうちに、微妙な変化にも気づくようになった。だんだん表情で何を思っているかがわかるようになっている気がする。今は俺の服の決められなさに呆れているんだ。
でも言い訳くらいさせてほしい。いくら見た目を綺麗にしてもらったところで、こんな立派な服を着たことがなければ選んだこともない俺は、自分にどれが似合うか、どれを着たら正解かもわからない。そもそも外でお茶をするなんて女のすることじゃないのか? とも思う。
「全部ノアに似合うと思って選んだんだけどな〜……ってことで、今日はこれなんてどう? ねぇノア、いいでしょ?」
「……わかりましたよ」
たまにこうして押しつけがましい瞬間がある。すぐにお嬢様に渡された濃いブルーのセットアップに着替えると、彼女は両手で口を押さえ感動したように眉に力が入っていた。
「か、か、わいい〜〜っ‼︎」
そこはお世辞でもかっこいいじゃないんだ……と思いながら、こういう反応には既に慣れてきてるのでスルー。俺やピピのことをこんなに考えてくれるのが不思議なことには変わりないけど。警戒するのもバカバカしいと思えてきた。
「お嬢様、早く行かないと二人が待ってるんでしょ」
「ノア、お嬢様じゃなくてピピみたいにセリィって呼んでよ」
「はいはい、セリィお嬢様」
「お嬢様ってなんだか他人行儀で嫌っ! それなら姉さんのほうがいいわ」
彼女は不貞腐れたようにプックリと口を膨らませ、「お兄様のことはアレク兄さんって呼んでるのに」とブツブツ文句を唱えている。
お嬢様って呼ばれるほうが嬉しそうなもんだけど……ほんと不思議だ。
「気が向いたら、呼びますよ……」
そう言うと、彼女は笑顔になって俺の体にお構いなしに飛びついてきた。ヒョロヒョロの時の俺だったらきっと床に倒れていただろう。
「っ、⁉︎」
「やったわ! 絶対よ、ノア! だいすき!」
「ちょっ、わかりましたから、離して……」
こんなことで全力で喜ぶお嬢様に、俺はいつも抵抗できずにいる。されるがまま、振り回されるんだ。
でも、なんだろうな、この気持ちは……うまく言葉にできない、優しくなるようなこの気持ちは。
♢
「遅い」
「遅いよ二人とも、待ちくたびれたわ」
外の庭園の近くにしゃれた白テーブルとイスが置かれている。そこに座って待っていたピピとお嬢様の兄であるアレクが、遅くなった俺達に文句を言う。最近ではこれが日課のようになってきた。というより、このセリィお嬢様、わざとピピとアレク兄さんをふたりっきりにさせようとしている。まだ何がしたいかは不明。行動が予測不可能だ。
そしてピピはどうやらアレク兄さんのことが気になってる様子。それが恋愛的な意味なのか、ただ人として憧れているのかというのはハッキリわからないが、双子だから感覚で感じ取ってしまうのだ。
「セリィ、今日のドレスどう?」
ピピはすっかり彼女に懐いていた。目をキラキラと輝かせて自分が選んだドレスを見せる。
ピピにこんな風に綺麗な衣装をいつか着せられたらいいと思っていたけど、髪が黒だからと諦めていたんだ。
ほんと、今この瞬間が夢みたいな話だよな……
「ん"ん、ピピ、かわいすぎる……っ」
大体いつもどんな衣装を着てもお嬢様の反応は同じ。ベタ褒めだ。
「黄色と白のふわりとしたドレスに、水々しい水色のレースのリボンと、その海の宝石のような瞳が映えてる! ピピノアが揃うと余計たまんないっ! 可愛くって誘拐されちゃうよ〜っ!」
「ふふふ」
誘拐した本人がそれを言うのかと突っ込みたいところだが、二人とも楽しそうなので我慢だ。
ピピも随分とよく笑えるようになってきた。それも結局このお嬢様とローランス家のおかげなんだよな……悔しいけど。
飯にも困らなくなったため、ピピを見ていてもわかる通りガリガリだった体はみるみるうちに健康体になり、男に見られていたピピは女の子らしくなっていた。
貧相で傷だらけだった俺の体も、既に健康体になってきている。塗り薬のおかげで傷も残らないみたいだ。この恩は必ず、彼女の言う戦士の力が手に入った時に何倍にも返していかなければ。
「あぁ、ありがとう世界……推しに囲まれて私は幸せですっ」
たまに『推し』という言葉が彼女から発せられるのだが、なんのことかはわからない。これから探っていくつもりだ。
「ノア、ちょっと来い」
と、突然アレク兄さんに腕を掴まれ、庭園の奥にある噴水まで来る。そしてピピとお嬢様が見えなくなったことを確認している様子だった。
「どうしたんですか?」
「お前、まだセリィの部屋で一緒に寝てるらしいな?」
「……お嬢様がまだダメだって」
俺が意識を取り戻してからというもの、毎日俺達はお嬢様のどでかいベッドで一緒に寝ることを強制されている。
「俺だって骨も元通りになったし、一緒に寝るのはさすがに断ってますよ。でも強引なんだからしょうがないでしょ。それにピピも一緒ですから」
「けどな……並び順言ってみろ」
「はい?」
「ベッドで寝る時の横並びの順番」
「ピピ、お嬢様、……俺です」
「おかしいと思わないか? 何でセリィが真ん中なんだ! 俺だって一緒に寝たいのにっ」
「それは……セリィお嬢様が、自分が真ん中がいいって」
そう言うと、アレク兄さんの目がキッと鋭くなって睨まれた。この表情だけ見ると確かに近づけないと言われるのもわかるのだが、こうなる理由を知ってるだけに怖さの欠片もない。なぜなら本来のアレク兄さんはただ妹のことを溺愛しまくっている、というだけなのだ。
死んだ魚のような目をした彼は、お嬢様より感情がわかりづらく、最初は冷酷そうな印象を受けた。
でもおそらくローランス家の人達はみんな、感情豊かで家族思い、こっちが本来の姿なんだろう。
アレク兄さんも整った顔立ちで好かれそうな見た目をしているはずなのに、ローランス家だからという理由で不気味に思われ避けられるらしい。しかし兄さんはそう思われるのは仕方がないと諦めている。世間の貴族様方はまるで見る目が無いんだな……
「じゃあアレク兄さんが俺の代わりに隣に寝たらどうです?」
「ばっ、そんなことしたらセリィにどんな顔されるか! それにな、セリィはお前達が思ってる以上にお前らのこと大好きなんだよ。俺たちにとってお前ら双子はもう既に大事な妹と弟だからな」
「それは……家族として、ですか?」
「あぁ。だから一緒のベッドに寝てるからって絶対変なことはするなよ? 今はまだいいが、男っていうのは成長していくと本能に逆らえなくなる。それにノアがもしセリィに対して、その……家族に対する気持ちとは違う感情を持ってしまったら、近くにいて気持ちを伝えられないのはきっと苦しくて耐えられないはずだ。だからそうなる前に適度の距離感を心がけてくれ、な?」
そう言ってアレク兄さんは俺の頭をポンと叩き、ピピとお嬢様がいるところへ戻っていく。
言いたいことはよくわかった。俺のことを弟だと思っているお嬢様に恋をしてしまったら、俺が苦しくなる。だから近づきすぎるな、と。
でも……──
「もう、遅いみたいです……」
ひとりになった庭園で、俺は無意識にボソッと呟いていた。その瞬間、行き場のない心臓から、キュッと切なく音がした気がした──。
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