6 - ノア
いたい……腹がへった……だれか、助けて……
そう願っても届かない。誰も俺たちの声は聞かない。俺とピピの髪が真っ黒だから。嫌われる。避けられる。怖がられる。大体その中のどれかだった。
毎日暗い檻のような隔離された部屋で、十分な食料も与えてもらえず、硬いパンを喉に通すだけ。孤児院にいた奴らからは、「髪が黒いから成敗してやる!」と、毎日石や木の枝を投げられ虐められた。言うことを聞かないと、大人達から躾だと蹴られたり鞭のようなもので叩かれた。
それでも、ピピがそばにいたから俺はまだ生きていられたんだと思う。
力の入らない目を少し開けると、いつもと違う高級そうな照明でうっすらと照らされる見覚えのない天井。
──夜、か? 何かがおかしいぞ……
記憶を思い出そうと痛みと重みのある頭を働かせる。
そうだっ、俺達は何者かによって薬品を吸わされ、意識を失ったんだ……それなら一体ここはどこなんだ……?
俺らを誘拐したところで何もいいことはない。金にもならず無駄足だっただろう。それなのにまだ生かしてるということは、他に何か理由があるのか。
変わらず傷や体は疼くし、むしろ酷くなっている気さえする。全体的に熱を帯びて呼吸も荒くなる。
あぁ……このままピピを守れず死ぬのかな……と思った瞬間だった。
「ノア……?」
「……⁉︎」
小さく俺の名前を呼ぶほうに視線を動かすと、自分と同じ年頃の女の子が傍にいて、さっきまでベッドを枕に寝ていた様子だった。
明らかにピピじゃない。誰だ……⁉︎
目に力が入らずよく見えない上に、どうやら貧相で不健康な俺の手は、綺麗な衣装を身に纏ったお嬢様らしき子にぎゅっと握り締められている。なんでお嬢様が汚い俺なんかの手を? と思うのに、振り払う力もない。ただただ伝わる感触が優しくて温かかった。
「辛いよね、もうちょっと我慢してね……絶対に元気になるから」
熱でうなされる俺より苦しそうな声に、どこか安心感さえ覚えてしまう。こんな優しい言葉をかけてくれる他人は今までいなかった。
「ノア、守るよ。ピピとノアのこと、これから何があっても私が守るからね」
このお嬢様は、何を言ってるんだろう。一体何者なんだろう。どうして俺達の名前を知ってるんだろう。なんのために、俺のそばに……――
気づけば重い瞼が落ち、まるで安心したように深い眠りについていた。
信じない。どんなに優しい言葉を向けられたって、俺は信じないよ。信じても裏切られるだけだから。すぐに迎えにくると言った母親だって結局迎えに来なかった。見捨てられたんだ。
それなのに俺の夢の中は、今までで一番穏やかで清らかな世界にいるようだった──
どうやらそのまま俺は丸三日も眠っていたらしい。驚いたことに目覚めた時には体の熱や痛みは消えていた。
俺が目覚めるとずっとそばにいたのか、ピピと灰色っぽい紫髪をしたお嬢様が大喜びで泣き出した。
ピピ……元気そうだな、よかった……顔色良くなってるみたいだ。それにしてもこのお嬢様、何者なんだ? 貴族の娘であることは間違えなさそうだけど。
ピピはそんなお偉いお嬢様と既に打ち解けている様子。俺達双子は黒髪のせいで今まで友達ができなかったこともあり、そんな片割れであるピピが今嬉しそうに笑っている。
ピピのこんな顔を見るのは久しぶりでしばらく思考停止していた。
「ノア、私達このローランス伯爵家の養子になるんだって!」
「……は?」
俺の無事を確認したピピは、更に思考を遮断させる爆弾発言をぶち込んできた。
昔母に教えてもらったことがある。養子とは、他人の子どもを自分の子どもにすることだと。
「よう、し……?」
確認のためにもう一度聞き直そうとするが、病み上がりの為声がうまく出ない。喉が渇いていた。それに気づいてか、感情のわからない顔をしたお嬢様は水の入った綺麗なカップを渡してくる。
カップの水面に思わず喉をゴクンとひとつ鳴らし、毒が入っていないか不審に思いつつも欲望に耐えきれずそれを一気に飲み干した。
「ここではご飯にも困らないし、石を投げられたり蹴られたりもしないわ。もしそういう人達がいたらセリィが守ってくれるって」
セリィ、とは、どこか不思議な雰囲気を纏うこのお嬢様のことを言っているのだろう。
もう名前を呼び合うくらい打ち解けたのか……
「……口ではなんとでも言える。現に俺達は誘拐されたんだ。こうして優しくするのにも、何か目的があるに決まってる」
だから嬉しそうな顔で心を許すのはやめてくれ……俺までそうなってしまいそうになる。
俺だけは信じないでいないと……もしもピピが裏切られて傷ついた時、誰が守ってやるんだよ……
「そうね……確かにピピとノアは、私の父であるローランス伯爵が誘拐した。私が頼んでお父様に誘拐してもらったの」
「っ……何が目的ですか? お金にもならないし利用価値もない。黒髪で疎まれる子どもを養子にするって、普通じゃないですよ」
「私の誕生日プレゼント、って言ったら納得してくれる?」
「……! 俺達を、奴隷にでもするつもりですか? 遊びの道具とか? 結局、俺らを殺すのか……」
ほんの僅かでもこの子に期待していた自分の愚かさに気づく。
結局どこに行ったって生涯俺達は嫌われ、誰かの言うことを聞いて、奴隷のように生きて死ぬしかないのだ。
すると彼女の目がなぜか悲しそうに見え、小さな頭がゆっくりと横に動いた。
「絶対に殺さないわ。ピピもさっき言ってたけど、酷いことも痛いこともしないしここでは二人の好きなことをしていい。自由に学んで、自由に生きていいよ」
「⁉︎……なん、で……」
「そんなの決まってるじゃない。好きだからよ。ピピとノアのことが大好きだから。それが理由じゃいけない?」
「……っ!」
何を言ってるんだこのお嬢様は……
好きだから? 好き? 『嫌い』の間違いだろ……好きって、なんなんだよ……
思いもよらなかった返事。平然と言った言葉。ありえない、わからないことが多すぎる。そもそも何で俺達の名前を知っている……?
彼女の小さな体の割に大きな紫目からは感情がわかりづらい。これじゃあ何を企んでいるかも読み取れない。
「ノアが疑い深くて人を信用しないのは知ってる。だから無理に信じてほしい、なんて言うつもりはないわ。でも私はそんなことが気にならないくらい、ノアにもノアの好きなことをやってほしいの」
それはまるで、以前から俺のことを知っている口調にも思えた。
「だから二人のことが好きだって理由が信じられないのなら、神のお告げがあったって理由ならどう? そうしたら少しは疑わなきゃっていう不安も無くなるでしょう?」
……完全に見透かされている。利益にもならず、役にも立たない俺達が、好きなように生きていいと言われるそれ相応の理由が欲しいということを。
"神のお告げ"については少し聞いたことがあった。神から授かる未来予知のようなものらしいけど……
「ピピとノアは近い将来、戦士の力を授かることになるわ。悪を倒す、選ばれた戦士の力よ。私にそういうお告げがあったから、お父様に二人の誘拐をお願いしたの」
「…………」
孤児院にいた俺達に悪を倒す力が授かるとは到底思えない。そもそも俺達自身が黒い髪の悪者じゃないか。
「それにしたって誘拐しなくてもいいじゃんって思うよね。でもだって、二人に酷い事をしてきた孤児院にお金を渡すだなんて吐き気がするんだもの。でも……怖い思いをさせたことは謝ります。ごめんなさい」
「……!」
貴族、というものはもっと偉ぶっていて、謝ったりしないものだと思っていた。特に俺のような下級の人間には。
頭を下げて申し訳なさげに謝るその姿に、自分でも気づかないうちに心が絆されていっている。
「ピピとノアは知らないだろうけど、このローランス伯爵家は他の貴族から距離を置かれてるような不気味な存在でね。私も社交の場にほとんど参加したことがないわ。そんな普通とはかけ離れた貴族だからノアが私のことを信用する必要もなければ、ローランス家のために手を汚せと言ってるわけでもない。ただ誘拐したからには、ピピとノアにひとつだけ約束してほしいことがあるの……」
その言葉に、ピクっと体が動く。俺は待っていたんだ。あんな地獄のような場所から連れ出してくれ、俺達に自由に生きていいと言うこのお嬢様。その対価となる要求のようなものを。
本当に俺達が戦士になって活躍できたなら、このローランス伯爵家とやらの価値や地位はもっと上がるのかもしれない。それが狙いならそれでいい。無償の優しさなんて、この世には存在しないとわかっているから。
「絶対に死なないで。誰かのために、死なないで……生きていてほしい……」
「……っ⁉︎」
その瞬間、俺とピピはたぶん同じ反応をしていた。じっとりと見据えた紫目からは静かに涙が溢れていたから。誰がこれを見て演技だと思えるだろうか。
「これだけは、約束してくれる……?」
ありえない。死なないことが、唯一の約束……?
「……俺達の髪は真っ黒だ。そんな生ぬるい約束だけじゃ、俺は何をするかわかりませんよ。隙をついてあんたのことだって……」
そこまで言うと、涙を流していた紫の目を珍しくまんまるにさせたお嬢様。まるで小動物みたいにも見える。
かと思えば、今度は声を出して笑い出した。何もかも見透かすような大きな瞳が見えなくなっている。その初めて見た笑顔は、この世界で一番汚れていないものじゃないかと思った。
「ごめんね、ノア。ノアは私のことを信じなくても、私はノアのことを信じきってるの。もちろんピピのことも」
「っ、なん、で……」
「ねえ、ピピ、ノア。私の妹と弟になってよ。同い年だけど、私のほうが誕生日早いから私がお姉ちゃんでいいでしょう? それで、家族になろう?」
そのまだ小さく何も守れないであろう両手は、俺とピピの手をぎゅっと握りしめている。
まるで夢かと思うくらいの空間、言葉に、思わず鼻がツンとした。俺は気づいていた。黒髪だからと差別せず、血も繋がってないのに家族になろうとまで言ってくれるこのお嬢様を、信じたい……と思っていることに。
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