第2話 娼館で一番値の張る底辺

 レザの客はレザを人目につくところで犯すことを好んだ。自分が金の髪に紫の瞳の少年を陵辱していることを一人でも多くの人に知らしめることを望んでいるようだった。彼らは紫の瞳の生き物を屈服させているという事実に興奮するらしい。


 レザは見世物で、館で一番値の張る底辺だった。


 今日もレザは玄関ホールにある噴水のそばで後ろから突かれていた。噴水を固めるざらざらとした石組みに両手をつき、大理石の冷たくてつるつるとした床に両膝をついている。手のひらや膝が痛い。


 本当はみんなレザがこういう扱いを受けて泣き叫ぶところを見たいのだろうが、レザの心はとっくに次の境地に移行していた。つまり、もうだいぶ前からただ黙って時が過ぎるのを待つばかりになっていた。怖がり痛がって客を喜ばせていた幼い日のことを愚かだったと、だから余計に粘着質に責められていたのだと認識するくらいにはレザは成長していた。肛門も緩んで男の逸物を受け入れるくらいならばそれほどの苦痛は感じなくなった。


 しかし、なぜかふと、昨日のパン屋のナリオのあんずパンが脳裏を過ぎった。そして、まだ小さかった頃、白いパンを食べることができていた頃を芋づる式に思い出した。


 二年前、この国では王政を打倒する革命が起こった。それまでこの国は一人の王を戴く大きな王国だったが、国の主権を得ようとする市民たちが蜂起し、贅沢ばかりする怠惰な王族を宮殿から引きずり出した。それは紛れもない正義で、自由と平等を愛する市民によって悪の王が倒される正当な鉄槌だった。


 当時十一歳のレザはどうして自分の家族が縄をかけられて広場に連れ出されるのかよくわかっていなかった。自分たち一族が裕福だとすら思っていなかったので、どうしてみんながこんなに怒っているのか察することができなかった。


 レザは王族の一員だったが、父方の祖父が先代の王の弟だったからで、直系の王子ではなかった。一応王位継承権はあったけれど、順位は十三番目だった。王の直系の家族が全滅するくらいの悲劇がない限り王冠が巡ってくることはない。


 最後の王と従兄弟同士だった父はレザをさほど厳しく育てなかった。帝王教育のようなものはあったが、どちらかといえばバイオリンを弾いたりフルートを吹いたりしてはべたべたに褒めて育てた。父は妻によく似て美しいレザを溺愛していて、この世のつらいこと苦しいことのすべてから遠ざけておきたいと望んでいたようだった。


 したがって親に愛されていることしか認識せずに成長した世間知らずのレザは自分たちがそんなに憎まれているとは思っていなかった。自分は平和で健康な暮らしをしていて、恵まれているのはなんとなく感じていたが、大人になったら領民を大切にしてつつがなく領地経営をしていれば民のみんなも慕ってくれるだろうと勘違いしていた。


 あらゆる人間を愛する、平等という綺麗な概念を理想に掲げた市民たちは、いくら王族といえど女子供まで根絶やしにすることは望んでいなかった。レザの父は軍隊を動員して先頭で戦った結果死んだが、レザやその母や妹たちを捕らえた市民たちはこの母子を殺そうとしなかった。しかし辱めを受けることを恐れた母は娘たちを刺殺した後どぶ臭い川に身を投げた。男の子だから安全だろうと思われたらしいレザは一人遺された。


 放り出された無力な子供であるレザに施しを与え仕事と住むところを斡旋してくれるという人が現れた。


 現在に至る。


 来る日も来る日も男に尻を嬲られているうちに、自分は王族特有の紫の瞳をもっている限り何をしても憎悪を受けるのだ、ということを悟った。だがいざ目を潰そうとすると手が震えてしまう。ならばいっそ死んでしまえばと思ってナイフで手首を傷つけたが、やはり痛みと恐怖で深く切れず、傷が残ることすらなかった。


 初めの頃こそ父母を想い境遇を嘆いて泣き暮らしていたレザも、今ではすっかり立派な男娼で、衣食住と引き換えに王族を辱めたくてたまらない市民の性欲と征服欲を受け入れている。抵抗もしない。声を聞かせることもない。ただ淡々と死ぬまでの時間を潰している。


 不意に笑い声が聞こえてきた。男娼たちがレザを嘲る声だ。


「よくみんなが見てる前であんなことできるよな」

「もらえるもんなら税金でも精液でも何でも搾り取るんだよ」

「おれだったら舌を噛み切って死ぬね」

「あいつにそんな度胸はないさ、覚えてるだろ、ここに来たばっかりの頃、お父様、お母様、ってそればっかり」

「お父様、お母様、えーんえーん」


 いつものことだ。昔だったら恥ずかしくて泣いていたが、それこそ客の思うつぼで、仲間たちにもっとよく見せてやれと言われたこともある。今となっては早く終わってくれるのならばなんでもいい。


 男娼たちの興味はすぐにレザから離れた。彼らは館の裏手に向かって歩いていった。


 去り際、こんな声が聞こえてきた。


「あ、早く行けばナリオに会えるかな」


 その名を聞いた時、レザの心はかすかに動いた。


「もうそんな時間? 早く部屋に帰って寝ないと夕方からの営業までに起きれないぞ」

「でもナリオの顔を見たいな。ちょっと起きてようと思う」


 くすくす、くすくす、と少年たちの楽しそうな声がする。


「ナリオ、いいよね。優しいし背が高いし、おれ、好きだなあ」

「おれもおれも。なんだかんだ言ってああいう人が一番だよね」

「オンナはいるのかな。ちょっと引っ掛けてみようかな」

「いるんじゃないの。でも奥手そう」

「きっとまだ童貞だよ」


 客が吐精したようだった。ようやく終わった。


 床に尻をつけて自分の両手を見た。手のひらが硬い石で擦り切れて傷になり血が滲んでいる。館の主人は商品、それもとびきり人気のあるレザが怪我をするのを嫌がるので、この客は出入り禁止になるかもしれない。


 ナリオの顔が浮かぶ。

 パンを卸しに来ているだろうか。今厨房に行けば会えるだろうか。

 あんずパンの感想を言わなければならない。

 しかし今の自分は客の体液にまみれていて彼に会うのにふさわしくなかった。


 ぼんやりしていると下働きたちがやってきてレザを引っ張り起こした。


 このホールには窓がないのでわからないが、少年たちがはけていったということはもう朝なのだろう。身を清めて床につく時間だ。


 疲れて体が重かったが、レザも、ぼんやり、ナリオに会いたい、と思った。


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