君が戦場それを見る傍らで、おれが目を開いたときには、すでに戦場そこは声に溢れていた。


 斬る声(斬られる声)、刺す声(刺される声)、撃つ声(撃たれる声)。

 押し倒す声に、引き倒す声。

 鬨の声に、掛かる声。

 怒声に罵声、悲嘆の声に、怨嗟の声。


 溢れる音は(声は)波であり、だから当然その集合も波であり、その大元もまた波を成す。

 幾千の、幾万の音が(声が)――だから幾千の、幾万の人が(人々が)。

 波濤を成し、互いに襲い掛かる。

 此方こちらからも、彼方あちらからも。

 すでに衝突は諸所あちらこちらで起きていて、もはや自陣こちらのそれと敵陣あちらのそれの区別はつかない。


 それほどまでに、溢れている。

 音で、声で、人で、人々で、溢れ返っている。


 衝突ぶつかり合う音と音、声と声、響きと響き、波と波、それらを聴きつつ、彼方此方あちらこちらと、おれは周囲をぐるり、見遣る。


 そして、結論する。

 まだ早いのではないか?


 衝突はまだ小規模で、まだたおれ伏すものも多くはない。軍師の読みの通りなら今日こそが戦の趨勢を決めるその日であり、だから最大の衝突が起こるはずで、確かにそれは始まっているが――しかしまだ始まったばかりだ。

 先駆けの将兵ならばともかく、まだおれの、そしてなによりの、出番には、まだ尚早だ。


 君がおれの様子に気づいて言う。白く細い喉を震わせて。

 そう、まだまだ早いのだけど、と。

 悪いけど、目を覚ましてもらったの、と。


 君は胸下までかかる髪をさらりと手櫛で揺らす。

 君の起こした揺れが(つまり波が)ヴェールに隠れた目元の辺りに至る。

 まばたきをひとつ。円く大きな瞳が揺れ、長い睫毛が跳ねるように揺れる。


 そのすべてが、光を吸い込むように黒い。

 刺繍に彩られた襲衣かさねぎも、かざりせいの高い帽子も。

 くろぐろと、ゆらゆらと、影のように(影もまた)揺れている。


 君は戦場を眺めている。

 時が来るのを待っている。

 音は、声は、人は、その波濤なみは――まだ止まない。

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