第13話 9歳



え?と、もう一度声に耳をすませたが、声はもう聞こえず耳鳴りも治まっていた。

そっと耳を塞いだ手を外せば、思い出したように街の喧騒が耳に聞こえてきた。

今の、なに…?

唖然としながらもう一度声の内容を思い出す。

助けてと言っていた。あの子が連れていかれると。

周りを見渡しても助けを求めている人はいない。

いや、あの声が聞こえたのはもっと遠くからだ。

リズは後ろの路地を振り返る。聞こえたのはこちらから。

とても苦しくて弱々しい声だった。

焦りと不安が募る。助けに行かなきゃと思った。

だって、このまま放っておくことなんてできない。

先を歩くウィルを引き止めようと口を開いたが、声を出す瞬間でピタリと止めた。

これはあいつが言う、同情して後先考えない行動なのだろうか?

ウィルの背中を見つめる。

もし、この事を伝えたとしてこいつは信じるのだろうか。変なことを言って、また周りに迷惑をかけたと、言われるのだろうか。

リズはそこに棒立ちで考える。

きっとこのまま、何もしないことがリズが誰にも迷惑をかけない選択なのだろう。

でも、と。


それが正しい選択だと、本当に言える?


気づけば路地に向かって走り出していた。

きっと従者の男はこちらの様子が見えていたから、慌てて追いかけて来ればリズの足にはあっという間に追いつくだろうと思う。

けれども、それでも立ち止まらずにリズは走った。


だって、私は後悔したくない。

した事で後悔するよりも、きっと、しなかったことで後悔する方が、ずっとやだ。


声がしたであろう所には、走ればすぐに着いた。

息を荒らげながら周りを見渡す。

そこには誰もおらず、いたのはぐったりと倒れた犬が一匹だけ。

呆然と辺りを見渡す。

もしかして本当にただの空耳だったのだろうか。

いや、そんなはずない。あんなに苦しげな声、聞き間違いなはずがない。

リズは考え込むように、傍でたおれている犬の背を労わるように撫でた。

「くぅーん」と鳴く犬の鳴き声に、もしかしてと犬を見つめた。

さっきの声は、お前の声…?

そのまま犬をのぞき込むように見つめていれば、「いた!」と声が届いた。

ゼーハァゼーハァ言いながら、ウィルの従者が駆けつける。

そのまま立ち止まれば、疲れたのか中腰の姿勢のまま肩で息をしていた。


「…やっと見つけた、探しましたよ」


そう言う従者の後ろから慌てたようにウィルも駆けつけた。


「良かった、無事かい?」


心配そうなウィルの表情を見て、自分の行動を思えばリズは多少罪悪感が募った。

多分、というかかなり心配させたと思う。

「…ごめん」とリズの口から出てきた声は小さく弱々しかった。

ウィルは別にリズを責める様子はなかったけれど、眉をひそめて「どうして、急に走り出したりなんかしたんだい?」と問う。

リズはもちろん答えられる訳がなかった。

だってあんな、ありえないようなこと話したって信じてもらえるわけが無い。

けれどもウィルは黙ってこちらの言葉を待つ。

だからリズは仕方なしに口を開いた。


「…声が聞こえたの。助けてって、あの子が連れていかれるからって、苦しい声で…」


「声?」


ウィルは首を傾げる。


「僕には聞こえなかったけど…」


ウィルと従者は互いに目を合わせていた。

従者の方が口を開く。


「いや、そもそもこんな距離の声、聞こえるはずがないですよ」


そうこの距離だ。普通なら声なんて聞こえるはずがない。

正直、従者の反応の方が正しかった。

けれどもウィルは真剣な目でこちらを見つめる。


「本当に声が聞こえたんだね?」


リズは俯いた顔を上げて、コクリと頷く。

そう答えればウィルが真剣に考えるような動作をした。


「…あの子が連れていかれるって言うのは、誘拐されたという意味だろうか?」


「え!信じるんですか!?」


従者が驚きの声を上げてウィルを見下ろす。

リズもウィルの反応にもちろん驚いていた。

信じてもらえるわけが無いと、こんな荒唐無稽な話。

でも、ウィルは真剣に考えている様子だった。


「ともかく、何かあってからじゃ遅いんだ。動けるうちに動こう。とはいえ、情報が少ないな…」


リズも分かるのはそこまでだ。

そもそもあの声が誰のものだったのかさえ分からないのだから。

ここまでしといて何もできないことが情けなかった。


せめて、他にも何かわかったら…


チリン、と今度は鈴を転がしたような音が聞こえた。

え?っと耳をすませばまた声が聞こえた。今度はヒソヒソとした話声。


『あの女の子を探してるの?』

『あの女の子?』

『布に包まれた女の子』

『あの犬が叫んでいたからね』

『助けてって』

『でも、蹴飛ばされてた』

『可哀想に』


リズは耳に手を添えながら、怖々として上をむく。

建物の上からこちらを見下ろす鳥たちの姿。


『あ、こっちみた』


驚きのままその光景を見つめる。

もしかして、鳥の声が聞こえている?

鳥は口々に話している。


『驚いてる』

『僕たちの声聞こえてる?』

『聞こえてるよ、だって』

『あの子は特別だから』


呆然としたままそちらを見つめる。

確かに鳥の声が聞こえていた。

リズはゴクリと唾を飲み込む。

でも、聞こえているのなら…


「その女の子がどこに行ったか教えて!」


鳥に向かって叫ぶ。隣でウィルたちが驚いている気配を感じながら鳥の返答を待つ。


『いいよ』


その声が聞こえれば、一匹の鳥が飛び出した。

リズはその鳥を追いかける。

「え、ちょ、」と従者の驚いた声を後ろに聞きながら、リズは一心不乱に上を見上げて追いかけた。

鳥はスイスイと空を飛ぶため、見失わない為に必死だった。

リズには間違いなく鳥の声が聞こえた。

なら、あの助けを呼ぶ声だって、あの懸命にリズのもとに届いた声だって、本物だったのだ。

なら、助けないと。

自分にしか届かなかった悲痛な叫び。

きっと、私にしか助けることができないのだ。

何とか鳥を見失わないように走り続けたが、気づけば姿が見えなくなる。

嘘、と焦っていれば、『こっちだよ』と声がする。

声のする方に足を進めれば、先程の鳥がいた。

そして鳥が首を向ける方向には、閑散とした建物が並ぶ道に一台の荷馬車があった。

ありふれた景色に思えるけれど、鳥の目はあそこだと言っている。

きっとあそこに、助けて欲しいと叫んだ女の子がいるのだ。

役目を終えた鳥は空へと飛び去って行く。リズは飛び立つ鳥の姿にありがとうと見送った。

そしてそのまま視線を荷馬車に戻して、脇道に置かれた木箱の後ろからじっと眺める。

周りに人がいるようには見えない。今なら潜り込めるだろうか?

よし、いくぞ!という気持ちで走り出そうとすれば、肩をグッと強い力で引き寄せられた。

「待った」と言って止められる。

振り返れば、金の髪色が目に入る。言うまでもなく、あいつである。

ウィルはグッとリズの行動を押しとどめるようにして両肩を掴んでいた。

そして、視線は荷馬車の方へ向いている。


「ちょっと、離してよ」


「離したら君、このまま走り出してしまうだろう?だから、それは待った」


「何でよ」


「見てればわかるから」


そう言われて、リズはムッツリとしながらも大人しく待った。そうして大人しくしていると、しばらくして数人の強面な人達が集まってくる。


「あいつらで間違いないだろうね」


ウィルは真剣な表情でそう言った。


「女の子を攫った犯人ってこと?」


ウィルはリズの言葉に頷く。


「彼らが商品を置いて持ち場を離れる筈ないからね」


商品?

リズは首を傾げる。

荷馬車に積まれている荷物の話だろうか。

…って、そんなことはどうでも良くて、


「と、とにかく、あの中に女の子がいるから助けないと」


リズは焦る思いで口を開く。

こんなとこで呑気に見ていては助けられるものも助けられない。


「いや、もう少し待って」


それでもウィルは落ち着いた様子でただ傍観するだけ。

そんな様子にだんだんリズは苛立ってくる。

もしかしてこいつは、放っから助けるつもりがないのでは無いだろうか。

あの時と同じ。ただ見ているだけで、こんなの助けるほどのことじゃないと。

もしそうならこのままじゃ、私もこいつと同じになってしまう。

リズはスクッと立ち上がってウィルを見下ろす。


「私は、ただ見てるだけなんて嫌!分かんない先の話じゃなくて、今の自分の行動で後悔したくないの!だから、あんたに色々言われたって、私はあの子を助ける!」


じっと何も言わずにウィルはこちらを見上げていた。

こんな奴にどう思われようとどうでも良かった。

自分が自分らしくいられるように、それがリズにとっては大事だから。

スっとそのままリズは背を向けて歩き出そうとすれば、後ろから「いたー!!」と声が響く。

その声にはさすがに驚いて振り返れば、後ろでまたゼェーゼェーと息を切らしているウィルの従者がいた。

流石に叫ぶ声がデカすぎて、「うるさい、静かにしなさいよ」とリズが苛立ちをぶつける。

従者は「ふぇ?」と間抜けな声で返す。

ウィルは従者に向けて口を開く。


「ちゃんと仕事は終わらせてきたかい?」


「本当に人使いが荒い」


「うん、おつかれ」


笑顔で聞くウィルに対して、従者はぐったりした顔をしている。


「さて、じゃあ役者も整ったし。ロッジ、彼らに話しかけてきて」


「ふぇ?」


また、ロッジは間抜けな声を出す。

ちょっとそこまで行って来て、というノリでそちらを指さすウィルにロッジは訳の分からないといった表情を浮かべる。


「……話しかけるって何を?」


ウィルはロッジの言葉に笑顔で、「うん、行ってきて」と言うだけだった。

リズはさっきまで苛立っていた気持ちが急にスンと落ち着いて、2人の掛け合いを黙って見守る。

そして、次第に諦めたようにロッジが彼らの方へと歩き出した。

トボトボと歩く彼の寂しげな背中に、リズは何だか可哀想な気持ちになった。

そしてロッジは、ごろつきたちに話しかける。

見るからにロッジの方が弱そうで、彼らに敵うとは思えない。

しばらく、ロッジが彼らに取り囲まれるように話しをしていたかと思えば、何やらというかやはりというか、揉め始めた。

ここまではリズでも予想出来た展開だった。

可哀想なロッジと、リズは哀れな目でその成り行きを見守る。

けれども、予想外だったのはその後の展開だった。

一人の男がロッジに向けて拳を振り下ろしたのだ。

危ない!とリズは咄嗟に口に手を置いて悲鳴をあげそうになれば、ロッジはその拳を交わして逆に避けた男の腕を掴んで背負い投げをくらわしていた。

リズは目をパチクリさせる。

そして、「このやろう」と逆上した男達をロッジは片っ端から倒していく。

リズはその光景を呆然と見守っていた。

そして、気がつけばロッジの周りにいた屈強な男達は1人残らずロッジの足元に転がっていた。

リズはわけも分からずその場に佇んでいれば、「よし、じゃあ行こうか」と黙って一部始終を見守っていたウィルがそちらに歩き出す。

リズがポカーンとしてしまったのは仕方がなかった。

だって見た目はどこにでも居そうな従者なのに 、あんなに強いなんて思えるわけない。

リズは、はぁとため息をつき彼らの方へと歩き出す。

ロッジは、倒れている男を縛り上げていて、ウィルは荷馬車に乗り込もうとしていた。

その時、何故そう思ったのか分からない。リズの頭の中で唐突に危険信号が走った。

リズは咄嗟だった。自分の言葉を考える余裕なんてなかった。


「ウィル待って!危ない!」


そう咄嗟に叫べばウィルは立ち止まり、ウィルが乗り込もうとした馬車の中から一人男が飛び出してきた。

ウィルは直ぐに後ろに身体を引いて、その隙にロッジがその男を取り押さえる。

リズは彼らが無事なことを確認すれば、安堵のため息を零した。何事も無かったことに胸を撫で下ろす。

でも、なんで私、危ないって分かったんだろう。

男の姿が見えたわけでも、今度は声が聞こえた訳でもない。

一体…。

リズが考え込んでいる間にロッジが全ての男達を縛り上げ、ウィルは荷馬車に乗り手前に雑多に置かれていた荷物をどければ「うん、見つけたよ」とこちらに向けて言った。

そこには、後ろ手に縛られて気を失っている女の子の姿があった。

恐らくこの子が、あの声の主が助けてと言っていた子なんだろう。

リズは女の子が無事に見つかったと分かり「よかった」と安堵した。

そしてしばらくすれば、街の衛兵たちが駆けつけた。

どうやらロッジが彼らを呼んでいたらしく、そのせいもあってこちらに駆けつけるのが遅くなったらしい。

兵士たちは転がっているゴロツキたちに驚きながらも1人ずつ回収していく。


「いやあ、ご令嬢の方が誘拐されたと聞いた時は焦りましたが、ご無事で良かったです」


リズを見つめながら言う兵士に首を傾げて、そばにいるウィルを振り返る。


「どういうこと?」


そう聞けば、ウィルは目を逸らしながらも笑顔で飄々と答える。


「いや、貴族の令嬢が誘拐されたって事にしておけば衛兵たちも積極的に動くかなっと思ってね」


そう返すウィルをリズは半眼で見つめた。

とはいえリズはその言葉に何も言い返さなかった。

卑怯な手口には間違いはないのだが、実際いいタイミングで兵士が来た事には変わりなかった。

だって、結局のところリズひとりで上手くいくわけなかったのだ。

助かったのは2人のおかげだ。

リズはただ見ていることしか出来なかった。

周りがバタバタと後片付けに追われている中、リズが隅で黙りとしていればその様子を見てウィルが声をかけてきた。


「どうかしたのかい?」


「…あんたに、あんな大口叩いたのに、結局私は見てることしかできなかった」


ウィルは目を瞬かせる。


「でも、君のおかげであの子は見つかったじゃないか。僕らは見つける以前に、彼女が誘拐されていることもそもそも知らなかったんだから」


そうウィルが慰めてもリズはしょんぼりしたままだった。

その様子を見てウィルがふふっと笑いをこぼした。


「まぁ、そこがきっとリズのいい所なんだけどね」


リズの眉がぴくりと跳ねる。

一瞬聞き逃してしまいそうになったが今はっきりと言った。

リズは驚愕している瞳でウィルを見つめる。


「今、名前…」


そう、今初めてリズの名前を呼んだのだ。

いつも君呼びだったのに、唐突に。

微笑むウィルの顔をポカーンと見つめていれば次第にふつふつと怒り出す。


「な、何勝手に人の名前呼んでんのよ!」


「ん?だって先に僕の名前を呼んだのはリズの方だろう?」


「い、ったけど…あれは、咄嗟で…」


そう、確かに咄嗟に名前を呼んだ。

だって、他に呼びようが無かったのだから。

あんな場面、名前を呼ぶ以外に方法がない。

リズはしばらく口を開けては閉じてを繰り返していたが、結局言い返す言葉も浮かばず口を閉じた。

もうきっと、何を言ったって喚いているようにしか聞こえない。

わかってる。もうこいつにはどう頑張ったって敵わない。


その後は街の兵士たちが事後処理を行い、令嬢がかどわかされるような事件は世間体が悪いということで、今回の事件にはリズ達は無関係。ということにするためにウィルが何かしていたようだった。

アンリにも事件の事は内緒にしてウィルは、

「ロッジが帰りの馬車に向かう道を忘れて道に迷ってたんだ」

と、言われたロッジは「え!?」という前にウィルに脛を蹴られて悶絶していた。

そんなロッジをアンリは残念な人間でも見ているかのような目で見ていて、リズは、あーあ可哀想なロッジと不憫に思いながら見つめた。

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