第6話 9歳


「よし!逃げるわよ」


リズはベッドの上に立ち上がり、そう宣言した。

ノアは寝そべって本を読みながら、前も似たようなセリフ聞いたなぁとしみじみと思い出す。


「逃げるの、やめたんじゃなかったの?」


「やめるなんて一言も言ってないわよ!きゅうせんっていったの!」


「じゃあ、そのきゅうせんもやめたの?」


「そうよ」


当然のようにリズは頷いた。

短い安寧の時間だったなぁと、ノアは開いていた本を閉じてベッドの上に座り込む。


「逃げるのはいいけど、もう逃げても意味ないんじゃないかな?」


リズが不満げに唇を尖らせる。


「どうしてよ」


「だってウィルって、逃げて問題が解決するような奴には思えないんだもん」


今までだって隠れたところで幾度となく見つかったのだ。

家のものだって自由に出入りを許しているし、今更逃げても根本的に解決できるとは思えない。

リズはノアの言葉に眉をひそめた。


「いつから名前で呼び合うような仲になったの?」


「え?いつからって、昨日から?」


リズは益々目をつり上げる。


「なに、あんな奴に心許してるのよ!」


ノアは目をパチパチさせる。


「リズだって、仲良さそうにしてたじゃん」


「はあ!?私がいつ!どこで!あんなやつと仲良くしてたのよ!!」


「えーと、木の上で、2人仲良く笑って話してたじゃないか」


リズは唖然とすれば、プルプルと身体を小刻みに震わせて「そんなわけないでしょー!!」と叫んだ。


あの時、ノアからは2人の話している表情とか話し声は聞こえなかった。唯一聞こえたのはウィルの笑い声と、リズがウィルとチラチラと話している様子だけ。

あとは最後に「あんたなんか大っ嫌い!!」とリズが叫んではいたが、まぁリズの癇癪はいつもの事だからあまり気にするようなことではなかった。

だから、ノアからすればあの頑ななリズが普通に話をしていたというだけでも十分心を許しているように思えた。


「ともかく!あいつとはこんりんざい関わりたくないの!」


「まあ、別にいいけど...」


そう言ってノアはチラリと扉を見る。

でも、多分そろそろ...。

扉からノックの音がしてガチャりと扉が開く。


「やあ、こんにちは。何か色々聞こえたけど、今日も元気が良くて何よりだよ」


そう微笑みながらウィルが部屋にはいる。

リズは唖然とそちらを見ながら、はくはくと口を動かしながら言葉を探して、「あ、あんた!こっちが許可だす前に入ってくるなんて非常識じゃない!」と今更なことを叫んだ。

ウィルはコテンと首を傾げて「今更だろう?」とやっぱり返された。

リズはグッと言葉を詰まらせながら、何とか口を開く。


「こ、こっちの話聞いてたんでしょう?だったら話が早いわ、もうこんりんざい、あんたと関わるつもりは無いの!」


ウィルはリズの言葉に苦笑いを浮かべて、「うん、好きにしてればいいよ」と言った。


「はあ!?何よその言い方!わたしは!もう!あんたとは会うつもりは無いっていってんの!!」


「うん、だから好きにすればいいって。でも、まぁ...」と言葉を途切らせて、「逃げられるもんならね」と付け加えた。


プチンと切れたリズは「じょうとうよ!」と叫んだ。

ノアは2人の応酬を黙って見つめていたが、(ああ、これは...)と目を薄めた。


「だったら、次会う時に逃げ切れたら君の勝ち。逆に逃げきれなかったら僕の勝ちにしよう」


「いいわよ!やってやるわ!」


リズは高らかに叫んだ。

ノアはゆっくり目を閉じる。


(嵌められたな)





「うそ...」


呆然とリズが呟く。

目の前には、リズとノアと同じ髪色をした女性がにっこりと微笑んでいた。


「そうなの。招待を受けてね、ぜひ良ければって。息子の誕生パーティーだから、2人が来てくれたら喜ぶだろうってね」


母上はゆったりとした仕草でカップに口をつける。

リズははくはくと口を動かしていた。

ノアから見れば、リズの顔に嫌だとはっきりと書いてあるのがみてとれた。

けれども、リズは断らない。なぜなら...

カップから口を外した母上は嬉しげに微笑む。


「私ね、実は密かに楽しみにしてたのよ。みんなで、ウィルトリア君の誕生パーティーに行くの」


母上がこの上なく楽しみにしているからだ。

母上は社交界において、仲の良い友人は少ない。そのため、ルバント夫人は母上にとって貴重な数少ない友人の1人だった。

それを知っているからこそリズは断らない、というか断れない。

リズは母上が大好きだし、両親の前では凄くいい子の皮を被っている。だってリズが唯一言うことを聞く相手が両親なのだから。

だから、リズは両親に甘えることはあってもわがままを言ったことは無い。

きっとリズが本気で行きたくないと言えば、母も無理強いはしないと思う。基本的には子供の意志を尊重してくれる人だから。

でも、それをすれば母が悲しむから、リズはきっと、


「わ、私も楽しみですわ。おかあさま」


強ばった笑顔を浮かべながら言うのが、今のリズの精一杯なんだろうなぁと思いながらノアもカップを手に取った。





「ノア!あんた知ってたんでしょ」


部屋へ戻れば真っ先にノアを怒鳴りつけた。

リズの癇癪には慣れているノアは平然と言い返す。


「ぼくだって知らなかったよ。ウィルの誕生パーティがあるなんて」


それは本当だ。ウィルに何か考えがあるだろうことは分かったけれど、まさか誕生日が近いことは知らなかった。


「でもまあ、あんな自信満々に言ってるから何かあるだろうなぁとは思ったし、あとは会わざる負えない状況とか、考えられるとすればぼくたち貴族にとっては義務の、社交の集まりとかはあるかなとは思ってたけど」


リズは目じりを吊り上げる。


「やっぱり、気がついてたんじゃない!」


ノアは、ムッと顔を顰める。


「ぼくが何か言う前にリズが勝手にケンカを買ったんじゃないか!それに今回は、リズが自分でまいた種だろう?」


そうノアが言えば、リズはグッと言葉を詰まらせて泣きそうな顔をした。

そんな顔したって今回は謝らないんだからとノアはぷいっとそっぽを向く。

喧嘩をすることは珍しくはない。けれども口喧嘩をするようになったのは最近だと思う。

前はお互い取っ組み合いみたいな喧嘩だったから。もちろん力じゃリズの方が強かったし、お互い寝れば次の日にはケロッと忘れていたから。

でもおおきくなって、口喧嘩をすればいつも先に折れるのはノアの方だった。

ノアは気弱で、逆にリズは意地っ張りだからいつもそうだった。けれども、今回は謝らないぞとノアは頑として譲るつもりはなかった。

ノアが沈黙を貫いていたことをリズがどう思ったかは分からない。

お互いベッドの端っこに座って沈黙を貫いていれば、次第にリズの方からポツリと「...ごめんなさい」と言った。

ノアは表情には出さなかったが心の底から驚いた。

どうせ今回も、ノアの方が折れざるおえないんだろうなと思っていたから。

けれども、きっとリズも自分に悪いところがあったのだと気づけた部分があったのだと思う。

本当に反省してるんだと思い、リズの方を振り向いて口を開いた。


「ぼくだって、何か変な賭けを持ち出されでもしたら、さすがにとめたよ。でも、ただの勝ち負けの勝負だし、別に何か、リズに危害を加えるような事でもなかったから何も言わなかったんだよ」


「でも、もし後になって何か言われでもしたら」


「その場面にはぼくもいたんだ。そうなったら、ぼくからも言ってやるから、ね?」


そうノアに諭されるように言われ、リズは落ち込んだ表情のままコクリと頷いた。

ここまで素直なリズは珍しい。ノアはやんわり頬笑みを浮かべる。


「それにリズ、せっかくのパーティなんだ。楽しまないと損だよ!」


リズはしばらく沈んでいた様子だが、次第に「そうね」と呟いて頬笑みを浮かべて、「めいっぱい、楽しみましょ!」と満面の笑みを浮かべた。


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