第6話:どこまでも下へ

 

「ナターシャッ!! 今すぐ逃げて救援を呼ぶんだ……!」

「エルドさんは!?」

「俺はこれでも警備隊なんだよ……!」


 エルドが拳銃を引き抜いた。

 逡巡するナターシャだが、やがて結晶憑きとは反対側の出口へ走った。自分が加勢したって意味がない。足手まといになるよりも隊長たちへ報告した方が良い。瞬時に導きだした最適解を信じてナターシャは管理室を出た。


「きゃっ!?」


 管理室を出て左へ曲がると、ちょうど階段から降りてくる二体目の結晶憑きと目があった。ナターシャが結晶憑きに掴まらなかったのは奇跡であろう。とっさにもう片方の通路へ飛び退いたおかげで、結晶憑きの腕から逃れたのだ。


「挟みうちなんて聞いてないわ!」


 二体目の結晶憑きは上に繋がる通路から現れた。そして今もなお道を塞いでいる。つまり結晶憑きをどうにかせねば上に帰れないというわけだ。

 残された道は管理室へ戻ってエルドと共闘するか、下へ降りるか。共闘する場合は目の前の結晶憑きに挟み討ちを受けることになる。かといって、下へ降りても安全とは限らない。ナターシャが考えている間にも結晶憑きは迫っていた。


 迷う時間はない。ナターシャは下を選んだ。それが少しでも生き残る可能性が高いと思ったから。


 決断し、体をひるがえした瞬間、結晶憑きに噛みつかれるエルドの姿が見えた。彼は銃を床に落としており、肩に噛みついた結晶憑きを必死にはがそうとしていた。焦りで歪んだエルドの表情。固まるナターシャ。二人の視線が交わった。

 あっ、と力が抜けそうになる。助けを乞うような視線を向けられたって、自分にはどうしようもできないのだ。


 ――生物の体内や建物の表面などに結晶が溜まって肥大化することを結晶化現象エトーシスという。生物であれば主に呼吸から結晶屑を取り込むことで発症するものであり、病というよりは現象だ。

 もっとも、結晶に多少近付いたって体内に結晶が形成されるのはごく僅かであり、例えば夜風に少しあたった程度では結晶化現象エトーシスは起こらない。


 だが結晶憑きは別だ。奴らに噛まれれば直接体内に結晶が入り込み、急速に肥大化して結晶化現象エトーシスを引き起こす。一度発症すれば助かる方法はない。実際、エルドの傷口からあふれ出した血は既に結晶へ変化しており、結晶化現象エトーシスが起こり始めていた。救助は不可能。自分を庇ってくれた青年を残し、ナターシャは管理室を後にする。


 駆けるナターシャ、追う化け物。

 後悔は全て後回しだ。助けられなかったと嘆くのは生き残った者にしかできないのだから。


「ひぃぃぃいい無理無理むりムリ!!」


 ナターシャは正真正銘、全速力で設備区を走った。まさに死に物狂いだ。床に散らばったケーブルで何度もこけそうになるが、持ち前の身体能力で持ちこたえた。


(これだけ障害物となるケーブルが多ければ結晶憑きも足を取られるんじゃないかしら……!)


 淡い期待を抱いて背後を振り返ると、ヤツは化け物じみた脚力でケーブルを踏み潰しながら迫っていた。世の中はやはりクソッタレである。


 ちなみに、ナターシャは既に自分がヌークポウのどこを走っているのか分からなくなっていた。彼女が知っているのは設備区の表層までだ。それよりも下はヌークポウの機関部が集合しているため入ったことがない。故に、どの道が居住区に繋がっているかなんて検討もつかないのである。


「こっち……こっち!? どっちよ、もう!!」


 地上が迷路なら、地下もまた迷路。直感で道を選びながらも本当にこれで良いのか不安になる。心臓が激しく上下するのは全力で走っているからか、それとも不安と焦燥が入り交じっているからか。

 考えろ。考えろ。思考を止めた人間は腐ったも同然だ。考え続けることが唯一の光明。泥臭く最適解を求め続ける人間であれ。


 やがて、大きな空間に出た。ヌークポウにおいては珍しく広々とした場所だ。中央にはいくつものパイプに繋がれた筒状の物体が鎮座している。


「ハァ、ハァ、ここは、もしかして、ヌークポウの心臓部? すごい、初めて見た」


 ナターシャが立っているのは壁際の非常通路だ。筒状の壁に沿って通路が伸びており、ナターシャは中央の物体を見下ろすような格好になる。なんとなく、あれに近付いてはならない気がした。人の本能と呼ぶべき第六感がこの場から離れろと叫んでいる。


 直後、背後から爆発音が聞こえた。パイプから漏れた液体を全身から滴らせ、爆発による粉塵をまといながらヤツは現れた。


「ひゃぁ!? まだついてくるの!?」


 ナターシャは爆発音が聞こえた瞬間、反射的に走り出していた。一度でも止まれば掴まるだろう。ナターシャは警備隊すらも置いてけぼりにする俊敏しゅんびんさの持ち主であり、追いかけっこだって掴まったことは一度もない。なのに、引き離すどころか段々と音が近づいてくるのだから彼女は叫びたくなった。


 下へ、どこまでも下へ。逃げれば逃げるほど居住区から遠ざかっているのは自覚していたが、かといって結晶憑きの横をすり抜けられるような力は持ち合わせていない。逃げるしか道はなく。それでいいのか、思考を放棄していないか、と冷静な脳が訴える。


 ナターシャはただ走り続けた。

 非常事態だというのに人間の脳というのは優秀らしく、逃げ道を選択しながらも寄宿舎の子供たちが脳裏に浮かんだ。どうか子供たちが襲われていないことを祈りつつ、「それよりも誰か私を助けてくれ」と声にならない叫びを上げた。


 全身の酸素という酸素を使い果たし、両足が限界を迎えたとき、ナターシャは終着点にたどり着く。

 そこはヌークポウで最も地上に近い場所であり、主に交易船の出入りに使われる出口だ。普段は閉じているはずのハッチは何故か開いており、真っ暗な外の景色が顔を覗かせた。


「……くっそ、ハッチが壊れているじゃない。どおりで結晶憑きが侵入できるわけね」


 だから整備をしろと言ったのだ。おんぼろな状態で放っておくから穴が空くような事態になる。呆然とするナターシャに客が現れた。ありがたいことにエルドを襲った結晶憑きまで一緒だ。二対一。穴の空いたハッチと、二人組の結晶憑きに挟まれて、ナターシャはいよいよかと歯を食い縛った。


「もっと練習しておけば良かった……ってのは言い訳かな。はぁ、本当にくそったれだわ」


 ナターシャは愛銃を構える。標的はいつも練習している空き缶ではなく結晶憑きだ。狙いづらい上に当たったとしても一撃では倒れない。


(せめて、向こう側に渡ってレバーをおろせたら……)


 ヌークポウの構造上、ハッチの周囲には緊急切り離しパージが可能なレバーが備え付けられている。もしも不具合が起きた際にパーツを切り離して修理するためのものだ。レバーをおろせば結晶憑きを船から落とすことができる。


 しかし、。二体の結晶憑きから逃れつつ、場所を入れ替わってレバーの元まで走り、しかも結晶憑きと一緒に切り離しパージするために、奴らをハッチの近くでひき付けなければならない。


 無理だ。

 そんな芸当が可能ならばハッチまで逃げていない。結晶憑きはナターシャにご執心らしく、ヌークポウの最果てまで追いかけてきた。たとえレバーの元までたどり着けてもナターシャを見逃してくれないだろう。


 ナターシャは覚悟を決めて発砲した。頭を狙って撃ったはずの弾は側頭部の結晶に弾かれた。続けて発砲。今度は足元のケーブルに穴が空いた。よく分からない液体が蒸気を上げながら噴出する。


「もうっ、へたくそめ……!」


 舌打ち混じりにもう一発。今度は結晶憑きの頭部に命中した。しかし、真ん中から逸れてしまったため絶命には至らない。右目をえぐられた結晶憑きは自分の姿がどうなっているかすら理解していないだろう。目の前に獲物がいるという、ただそれだけの行動原理でナターシャを襲うのだ。


「ッ……!」


 迫りくる結晶の爪を避けながら後退するナターシャ。言葉にならない声が反射的にもれた。我ながらよくぞ避けられているものだ、と自分を褒める。脳が判断するよりも早く体が動く。これぞ生存本能。


 撃つ。避ける。撃つ。外れる。焦りが手元を狂わせる。そもそも狂わなくても当たらない。異常なまでの粘りを見せるナターシャ。既に正常な思考は失われていた。生きたいという想いだけが彼女の小さな体を奮い立たせる。


 しかし、いつまでも逃げ続けるのは不可能だった。ナターシャは着実に追い詰められ、ハッチまでの距離はあと僅かにまで迫っている。


(くそっ、くそくそくそ……!)


 結晶憑きと目があった。

 白濁した目は何も映さない。何も、感じさせない。優しさも、恐怖も、生物としての意思も、何もかもが濁りきった瞳だ。こうはなりたくない。こんな死に方は嫌だ。もっとたくさん美味しいものを食べて、アリアや寄宿舎のみんなに囲まれていたい。

 死にたくないと首を振る少女に、結晶憑きのただれた手が伸びた。


 ――ガコンッ。


 直後、歯車が外れるような音とともに。突然の衝撃にバランスを崩すナターシャと結晶憑き。一瞬何が起きたのか理解ができなかった。まさか他の結晶憑きが船にぶつかったのだろうか。それとも逃げる際に破壊された設備が爆発したのだろうか。しかし、それならば船全体が揺れるはずだ。ナターシャがいる区画だけ一段下がるなんて現象はありえない。


 そこまで考えたナターシャは一つの可能性が浮かんだ。バッと弾かれたように顔を上げて奥の通路に目を向ける。


切り離しパージ用レバーがおりている……!?)


 もっと正確に言えば、肩から真っ赤な結晶を生やした男がレバーを掴んでいる。大きく抉れた左肩はなおも血が吹き出し、苦しそうに息を吐きながら、彼は最後の力を振り絞るようにレバーをおろしていた。


「エルドさん……? なんで??」


 男はナターシャを見据えた。


「ゴホッ……結晶憑きを落とすには、これしかない……」

「でも……でも、待って、私は? 私がまだ残っているわ?」

「ヤツらの侵入を許してはいけないんだ……住民の命と、規則を破って銃を持つ違反者、どちらを救うべきかは迷うまでもないよ」

「ふざけないでっ、そんなことで――」


 再度大きく揺れた。がこん、がこんと次々に留め具が外れ、ナターシャを乗せた床がゆっくりと落ちていく。遠ざかるエルドの顔。彼は「これで街の平和は保たれた」と笑っていた。同じ人間とは思えぬ歪んだ笑顔を目に焼き付けながら、ナターシャは暗い外へと放り出された。


 ○


「みんな遅いなぁ」


 ナターシャが寄宿舎を出てからどれほどの時間が経っただろうか。一人で残されたアリアは我慢できずに夕食を食べていた。暗いから何だっていうのだ。日の光が届かぬヌークポウにおいて、暗闇とは隣人のようなものである。


「あっ、ようやく明かりがついた!」


 ジジジッ、という雑音のような音とともに寄宿舎の明かりが復活した。暗くても平気だが、やはり明るい方が食事も楽しい。


 明かりが復活したということは、設備区へ向かった友人がそろそろ帰ってくるはずだ。先に食べてしまったが怒られないだろうか。心の中で友人に謝りつつ料理を口に運んだ。こんなに美味しいご飯が用意されているのに待てというのは無理な話だ。


 彼女にとってナターシャは自慢の友人だ。よくボーッとしているし、街を抜け出してくず鉄の塔に引きこもるような少女だが、寄宿舎の誰よりも優しいのだ。しかも、料理がうまい。これにつきる。


 アリアは「早く帰ってこないかな」と足をぶらつかせた。先ほども少しだけ揺れたから心配だ。ナターシャに限ってもしものことはないだろうが、嵐の夜はどうしても不安になる。

 友人は無事か。停電の原因は何だったのだろうか。子供たちはまだ帰らないのか。今後の生活は、明日のご飯は……。

 答えのない疑問を考えていると頭が痛くなった。


「あれ……? 私、疲れているのかな」


 循環水が回っている。ヌークポウの一番下まで落ちた後、上まで戻る命の水だ。



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