第5話:大人になりたい

 

 どうやら街全体が停電しているようだ。あちらこちらから怒鳴り声が聞こえてくる。


(叫んでいないで自分が動けばいいのに)


 冷めた目を向けながらナターシャは走る。鉄格子の床を鳴らし、蒸気機関の隙間を抜け、大パイプの上を走って近道をする。

 ナターシャにとってヌークポウは庭のような場所だ。寄宿舎の子供たちとよく隠れんぼをしたから、どこを通れば早いか、どこの階段が管理室に繋がっているかが手に取るようにわかる。非常用の街灯が点灯しており、段々と暗闇にも目が慣れ始めたため手元の明かりは必要ない。両手を自由にした彼女は風となって走り抜ける。


 管理室があるのは地下の設備区だ。ナターシャの何倍もの大きさの送電盤があり、そこから街中に電気が供給される。普段は一箇所で管理ができるため便利だが、このような非常事態では話が別だ。一度に全ての機能が停止してしまうのは一極集中の弊害である。


 設備区へ向かっていると、同じ方向へ走る男たちの姿が見えた。数は三人。向こうもナターシャに気付いて近寄ってくる。あれはヌークポウの治安部隊だ。ごわごわとした警備服を身につけた集団はナターシャにとっても馴染みが深い。なにせ、かくれんぼをするたびに怒られる仲である。


「お前はナターシャか!?」

「警備のおじさん! どうしたの?」

「見ての通り停電が起きたから原因を確かめにいくんだよ! まさかお前もか?」

「その通りよ。せっかくだし一緒に行こっか」


 この渋いオヤジは警備隊長様だ。強面で追いかけ回すものだからみんなに怖がられている。ナターシャ個人としては嫌いではないのだが、向こうは逆らしい。ナターシャを猿山の大将として認識しており、出会うたびに小言を言ってくる。


「ここは遊び場じゃないぞ。ガキはさっさと帰れ」

「あら、そんなことを言ってもいいの? 私がいた方が早く着くと思うよ?」

「ぬ、それは……全く、仕方ないな。どうして俺たちよりも道に詳しいんだよ」

「経験が違うのよ。おじさんも警備なんてやめて走り回ったら?」

「気楽でいいなぁお前らは。そんなことをしたら上から怒られるんだ」

「ふーん、面倒ねぇ」

「面倒なんだよ、大人ってのは」


 彼の部下が「そんなこと言うから目をつけられるんですよ」と笑った。

 ナターシャが先頭に立ち、四人は設備区を走り抜ける。警備隊はヌークポウの治安を守るための集団であり、彼らは街の構造を熟知している。しかし、それはあくまでも表面上の道でしかない。ナターシャが使うのはパイプの間や連絡通路の下といった、警備隊が知らない裏道だ。しかも、あまりにもナターシャがぐんぐん進むものだから、警備隊は何度も置いていかれそうになった。


「ナターシャ、少し速度を落としてくれ! 速すぎる!」

「この程度で根を上げるの? 警備隊ってのは鍛え方が足りないわ!」

「ぁあ!?」


 明らかな挑発と分かっていながらも男たちは速度を上げた。小娘に負けるようでは警備隊として失格だ。踏ん張る彼らを見たナターシャは「やればできるじゃん」と満足げな顔をし、さらに足を早める。男たちは絶望した。


 やがて、ナターシャを含めた四人は設備区の中央付近に到着した。酸素を奪い合うように呼吸する警備隊とは対照的に、ナターシャは涼しい顔で佇んでいる。通路には使いかけの工具や断線したコードが散らばっていた。


「いいかげんにさぁ、ここも誰かが整備をするべきじゃないかしら。今に火事が起こるよ。警備隊長様もそう思わない?」

「人手不足なんだよ。整備できる人間はみーんな船の修理につきっきりだ。なにせ毎日のようにどこか不具合が発生するからな」

「居住区の安全は後回しってわけね。素敵な考えだ」

「ヌークポウは動き続ける巨大船。国と国を渡るためには止まらないことが最優先なんだよ」

「現在進行形で止まっているけどね」


 前方に居住区の管理室が見えた。部屋に入ると青白い非常灯が歓迎してくれる。床には大小さまざまなパイプや電線、使い古されたケーブルが剥き出しになっており、薄暗い非常灯では転けてしまいそうだ。先ほどの揺れによる影響か、所々から火花のような光が見えた。


 雑然とした部屋の中央に送電盤がある。天井に届きそうなほどの大きさがあり、居住区に供給している電力の源だ。警備隊の隊長が慎重に動作を確認し、やがて大きなため息をはいた。


「やっぱりこいつだ。完全に落ちてやがるな」

「直せそう?」

「いいや、俺らには直せないから専門のやつを呼んでくる。ジェフ、一緒に来てくれ。エルドはここで待機だ」


 そう言うや否や、隊長は急いで来た道を帰っていった。エルドと呼ばれた警備隊の男と一緒に、ナターシャは送電盤の前で座り込む。


「君は帰らないのか?」

「どうせ帰っても、明かりがつかないとご飯を食べられないでしょ。それならここで待っているわ」

「なるほどな。ちなみに今日の晩飯は何だったんだ?」

「カレーっていう昔の料理を作ったの。知っている?」

「いいや……知らないな。けれど、君が作ったのならきっと美味しいのだろう」

「あら、子供を口説くのが趣味?」

「ハハッ、やめてくれ。寄宿舎に料理が上手な女の子がいるって聞いたことがあるだけだ」


 エルドは煙草を取り出した。今となっては高級な嗜好品だ。警備隊というのは羽振りがいい職業らしい。


「エルドはどうして警備隊になったの?」

「親父が警備隊だったんだ。だから俺もいつか警備隊になって、親父と一緒に働くのが夢だった。病気で早くに逝ってしまったけどね」

「そう……」


 珍しい話ではない。ここの人間は早死にだ。長寿として尊敬される老婆を除けば、ほとんどの者が老後を迎える前に世を去ってしまう。しかも、必ず病気で亡くなるのだ。ヌークポウの呪いだとまことしやかにささやかれている。


 煙草の白い煙が非常灯の光を散乱させた。煙は行くあてもなくゆっくりと上昇し、鉄パイプの天井にぶつかった。


「だから俺は何としてでもヌークポウを守る。それが親父との間に残された唯一の繋がりだからね。君はどうだ? やりたいことはあるのかい?」

「私は……」


 少し考えるような素振りをみせたあと、彼女は薄く笑ってこう言った。


「……早く、大人になりたいわ」


 言ってから少し後悔した。なんとなく笑われそうな気がしたからだ。夢と呼ぶにはあまりにも小さい。エルドが語った夢に比べれば恥ずかしさを覚える。案の定彼は笑っていた。「笑った」というよりは「微笑んだ」に近いが。


「……やっぱり笑われた」

「ごめんごめん。どうして大人になりたいんだ?」

「大人って優しいじゃない。だから、大人になりたいの」

「優しい、か。子どもの前で格好つけているだけじゃないかな」

「それでも別にいいのよ。たとえ見せかけの優しさであっても、他人に優しくできなくなったら人間おしまいでしょ」

「……ハハッ、なかなか手厳しいことを言うね」

「自分の足で立ちたいの。寄宿舎やヌークポウに縛られるのではなくて、自分の力で生きたいのよ。そして、いつか世界中の景色を見てみたい。壊れた世界を、自分の目でね」

「なんだ、立派な夢じゃないか。君はきちんと前を向いて考えている。その歳で将来の考えられているんだ、誇って良いと思うよ」


 エルドが柔らかく笑った。ナターシャは何となくむず痒くなる。


 ふと足音が聞こえた。隊長が帰ってきたのかと思ったが、よくよく注意して聞くと違う。足音はひどく不規則であり、床のケーブルを乱暴に蹴るような音が何度も聞こえた。しかも隊長たちが帰った方角とは逆からだ。


「……」


 エルドが警戒するように立ち上がった。ナターシャも続いて立ち上がり、腰の愛銃をいつでも抜けるように手をかける。警備隊の前で銃を使うような真似は避けたいが、もしもの場合は発砲も避けられない。


 やがて音が管理室の前で止まったとき、侵入者の姿が明らかになった。

 非常灯に照らされた肌は青白く、瞳孔の開いた瞳がぐるんぐるんと回っている。側頭部からは薄氷色うすらいいろの結晶が突き出していた。側頭部だけではない。背中から、腕から、小さな結晶が苔のように生えている。


 エルドが驚愕したような顔でヤツの名を呼んだ。


「結晶憑き!? なぜここにいるんだ!?」


 ナターシャは先ほどの揺れが結晶憑きの仕業だと直感的に理解した。嵐に乗って結晶憑きが衝突したのだ。もっとも、原因が分かったところで事態は変わらない。まだ距離があるというのに腐った肉の匂いが鼻をつき、ナターシャは思わず口元を袖で覆った。


 二人の存在に気付いた結晶憑きはぐるりと顔を回転させ、濁った瞳を向けた。一瞬の硬直。ヤツは獲物を見定める。ア、嗚呼、と言葉にならない嗚咽をもらし、あごが外れそうなほど大きく口を開けた。


「嗚呼ァァァアアアッ!!」


 あまりにも桁外れな咆哮に管理室の床が揺れ、天井のパイプが嫌な音を上げた。猛然と地面を蹴る結晶憑き。あれは人ではない。結晶に心を食われ、失った体温を求めるように人間を襲う化け物だ。脳の制御機能リミッターが外れた彼らは人外の力を身に宿す。体が壊れることなんてお構いなしに暴力を振るい、限界を越えるまで命の熱を求めるのだ。


 世界を壊した美しき結晶。残酷に、そして平等に。街を壊し、文明を崩壊させ、人の尊厳を捨てさせる。



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