第3話:嵐の前触れ
くず鉄の塔から空気の抜けたような音が聞こえる。ぱすん、ぱすん、と連続で鳴る。
「はずれ、はずれ……うーん、またはずれ………」
等間隔で並んだ空き缶に照準を合わせて、ナターシャはゆっくりと息を吐いた。余計な力は不要だ。ほどよい緊張感と実戦のイメージを持って引き金に指をかける。
ぱすん。消音器の気が抜けたような音と同時に愛銃から弾が発射された。
「……! やった、当たった!」
小気味よい音を上げながら空き缶が弾け飛んだ。くるくると回る空き缶は塔の外へ落ちていく。地面に落ちても勢いは衰えず、下へ、下へ、ヌークポウの外にまで転がり落ちてしまった。
立て続けにぱすん、ぱすん。残った空き缶へ順番に発砲する。一つは外れて、もう一つは僅かにかするだけで終わった。ナターシャは残念そうに眉を下げ、空き缶を元の位置に戻す。
そうしてまた繰り返すのだ。
さっきは銃口を上に向けすぎた。反動もちゃんと制御できていない。当てようと意識しすぎて余計な力が入ったからだ。だからもっと落ち着いて、当てることが特別ではないと思い込ませるのだ。もう一度ゆっくりと息を吐き、空き缶に照準を合わせた。
発砲。そして気の抜けた銃声が一つ。
「まぁ……そんなに上手くいかないよね」
壁に新しい銃痕が刻まれた。弾を外すたびに穴が増えていくせいで、くず鉄の塔はずいぶんと見晴らしが良くなったものだ。
もっとも、秘密基地であるくず鉄の塔は彼女が見つける前からぼろぼろだった。門の外に建てられ、決して住民が寄りつくことのない捨てられた塔。足場が残っているだけでも奇跡だった。そんなくず鉄の塔だが、今は別の意味でぼろぼろである。
ナターシャは自分に何が足りないのか考えた。反復練習は大事だ。大事というよりも必須だ。肝心なのは何を反復するか。意味のある繰り返しをできているか。人は自分に甘い生き物だから、何度も自分に言い聞かせなければならない。
今の自分はきちんと努力をできているか。思考を止めてはいないか。
「経験も大事よね……」
本当は実戦を意識した練習をしたいが、こればかりは仕方がないだろう。ガラクタの街でできることは限られている。
「ナターシャー! いるんでしょー!!」
遠くでナターシャを呼ぶ声が聞こえた。元気な友人の声だ。「わざわざ大声で叫ぶ必要はないのに」と思いながら彼女は銃をしまう。
「やっぱりくず鉄の塔にいた。門が閉まるから帰るよ」
「早くないかしら?」
「今日はいつもより早く閉めるんだって
「
「それほど一大事なんだよ」
夕方までに帰るのは久しぶりだ。街に帰る道中には結晶化した遺物や、人のような形をしたナニカが道の両側に転がっていた。近寄った程度では無害なのだが、結晶を恐れる街の人間は門の外へ出ない。くず鉄の塔へ近付くこともない。
「……
「そうね……百を超えていてもおかしくないけど、実際は八十……いや九十ぐらいと予想するわ」
「本当にすごいよね。みんなの倍ぐらい生きているもん」
ヌークポウの住民は長生きしない。もっとも、それはヌークポウに限った話ではない。持続不可能な生活が当たり前。国は滅ぶし、外は地獄だ。
しかし、
門をくぐった二人は商業区を歩いた。いかに商売魂が強い商人達も今夜は早く店をしまうらしい。閉店前に客を呼び込もうと躍起になる店が多かった。普段よりも慌ただしい商業区をぷらぷらと進む。朽ちた壁に身を預けて空を見上げる者。性こりもなく怪しい肉を売ろうとする者。
彼らを見ながら、ナターシャは思いついたように声を上げた。
「そうだ。せっかくだから私が料理をしようか」
「お金がないって言ってなかった?」
「ないというか、なくなる予定だったんだけど思いのほか出費が安く済んだの。だから今夜は特別ね」
「やった! ナターシャの手料理なんていつぶりかな?」
「前の街に寄ったときが最後かも……? 長い間さぼっちゃったから勘を取り戻さないと……」
「ふふーん、何を作ってもらおうかなぁ。あっ、あそこの店に寄ってみようよ!」
二人の楽しげな声が商業区に響いた。
○
寄宿舎には共同のキッチンがある。基本的には雇われの寮母が配給品を出すだけの場所だが、事前に申請を出せば住民が使うことが可能だ。必要最低限の設備が備わっているためナターシャもよく利用する。
キッチンから香ばしい匂いが漂った。トントン、と包丁のリズミカルな音が聞こえてくる。かごに入っているのは玉ねぎや人参といった色とりどりの野菜。久しぶりの豪勢な食材にナターシャは気合を入れた。彼女の鮮やかな包丁さばきによってあっという間に調理される。
料理を始めるには少し遅い時間になってしまった。露店でアリアが美味しそうだと言った野菜はどれも値段が高くて、もっと安いものにしようと言うと残念そうな顔をする。しゅんとした顔をされればナターシャも引くわけにいかず。それからは盛大な値切り合戦が始まった。
ナターシャは「少し急がないとみんなに駄々をこねられるなぁ」と呟きながら肉に切り込みを入れる。こうすると煮込みの時間が短くすむし、肉も柔らかくなるのだ。寄宿舎は幼い子が多いから固い肉をだすわけにはいかない。丁寧に、されど素早く、ナターシャは食材を調理する。
「ナターシャ、何か手伝うことある?」
「あるー?」
「私も手伝うー!」
アリアに連れられて子供たちが現れた。わらわらとナターシャの周りを走り、調理中の料理を興味深そうに見つめる。
「うーん……大体が終わったから遊んでいていいよ」
「ナターシャお姉ちゃん、もうお腹ペコペコだよー?」
「ごめんねシェルタ。アリアがどうしてもって言うから帰りが遅くなっちゃったの」
「悪いのはアリアお姉ちゃん?」
「そうそう。悪いのはぜーんぶアリアよ」
ちなみに、買い物に時間がかかったのはもちろんアリアにも原因があるが、ナターシャも店主と意気投合して産地や旬のあれこれについて盛り上がっていた。
「ちょっとナターシャ! 私はただ美味しそうだなぁって思っただけだよ! ナターシャこそ私のことは言えないんじゃない?」
「あら、私はアリアのために美味しい食材を手に入れようと頑張ったのに……友人の努力を褒めてほしいわ。見て、涙が出てきたみたい」
「玉ねぎを切っているからでしょ……買いもしない果物について語り合う必要はあったの?」
「それはなかったね」
トントントンッと包丁が跳ねる。アリアは何か言い返そうかと思ったが諦めた。どうせ何を言っても上手くかわされるのだ。それどころか言いすぎたらアリアのご飯を減らされるかもしれない。アリアは観念したように友人の料理を手伝った。
食堂を走り回る元気な子供たち。それを見ながら手慣れた手つきで料理を続ける二人。食堂にゆるい空気が流れた。定期的に襲われる揺れには慣れたため、間違えて指を切ることもない。次第にスパイスの香りが漂い始め、子供たちが嬉しそうに声を上げた。
アリアが「美味しそうだね」と声をかけようとした時だった。パイプに取り付けられた拡声器から無機質な声が発せられた。
「――艦内放送。艦内放送。住民の皆様にお知らせいたします。今夜は非常に強力な結晶風が吹くと予想されるため、周知のとおり現時刻をもって門を閉鎖します。ならびに、今夜は船の稼働を通常よりも早く止める予定です。比較的安全な箇所に停止いたしますが、風に乗って結晶塊が飛ぶ可能性があります。十分にお気をつけください。繰り返します――」
アリアが言っていたとおりだ。
「つまり、今夜は早く家に帰って寝てください、夜は揺れるかもしれないから気をつけて、ってことね」
「この調子だと長旅になりそうだなぁ。次の街に着くのもずっと先になりそう」
「今夜で風が止んだらいいけれど……立ち往生になったら最悪だわ。今のうちに備えておかないと」
「備えるって、どうやって?」
「もちろんこれよ」
ナターシャの細い指が大鍋を指した。
「嵐がきても平気なように、今のうちに美味しいものをたくさん食べておくの」
「あはは、間違いないね」
今夜はナターシャお手製のカレーだ。船に乗って国を渡りながら、遠い昔に失われたレシピの資料を必死に集め、ようやく復元できた料理の一つ。ナターシャ自慢の料理である。
「――続けて、
「ん?」
アリアとナターシャは顔を見合わせた。珍しいこともあるものだ。二人は手を止めて放送に耳を傾けた。
「――月明かりが差しておる」
「月明かりは人を惑わし、人成らざる者を惹きよせる。美しさに騙されてはいかんぞ。あれは、わしら人間に牙を剥く脅威じゃ。近付いてはいかん。目を合わせてもいかん。されど、月明かりが風を呼ぶ」
分かるような分からないような言葉を並べる。
「嵐じゃ。嵐が、来るぞ」
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