ピスケス領 ~ 港町アルレシャ

『じゃあ迷わず天国に行けるよう祈れよ人間、覚悟は出来たかァ!!』


 初めて踏んだ異世界の大陸は何とも言い難く、感無量といった感じだったが、そんな暇を与えてくれないのは大勢が行きかう大陸の港だからだろうか。視界に入るのは酷い光景だ。目の前のガタイの良い男はる気満々で拳をポキポキと鳴らし、周囲の野次馬は俺の気持ちも知らないで好き放題はやし立てる。


 なんでこう運が悪いの、俺。ただ港を歩いていただけなのにいきなりトラブルに見舞われた俺の脳みそは少し前……こんな面倒事に巻き込まれるなんて微塵も考えず、ただ新しい環境への期待に胸を膨らませていた頃を思い出していた。


 ※※※


 ――カスター大陸西端。ピスケス領、港町アルレシャ。ハイペリオンと唯一交易可能な港町であり、その性質上から独立種と人類が共存する数少ない都市の1つ。


 着港した俺を出迎えたのは喧騒、絶景、料理の香り。桟橋には何隻もの船が停泊し、色々な姿をした使い魔達が船内から無数の荷物を何処かに向けて運んでいる。


 その奥には運搬業者やその護衛向けの料亭が軒を連ねており、朝だというのにやたらと活気がある。匂いの元はこの辺りからだろう。


 港への出口を見れば結構な数の行列が出来ていて、その先を辿れば大きな門と検問所、そして何名かの衛兵が見える。上陸審査でもしているのだろうか?その辺りもやけに活気があるが、コッチは何方かと言えばトラブル方面らしく、口論の末に衛兵に捕まる客らしき姿も見えた。


 どれもこれも地球は元よりハイペリオンでもお目に掛かれない景色であり、控えめに俺の胸は高鳴った。ココに住む住民からすれば日常的な景色であっても俺には全てが初めて見る景色、やはり見知らぬ土地の日常は新鮮で見ているだけでも楽しい。


『楽しそうだな?』


 周囲を物珍しそうに眺める俺の後ろから声が聞こえてきた。振り向けばシトリン……ではなかった、エリーナが得意満面の笑みで俺を見上げている。


「あぁ、良い場所だ。」


 そう、素直に感想を伝えると彼女はくしゃっとした笑顔を俺に見せた。


『なら所用を済ませるから少しだけまっておれよ?後で街を案内してあげるからな。』


「嬉しそうだね?」


『そりゃあ、君が思った以上に喜んでいるからね。』


 笑顔のまま彼女は何の気なしにそう言った。ここへ来てからもうずっとだが、彼女の心遣いには毎度頭が下がる思いだ。俺がこの世界で特にトラブルも無く(アメジストは除く)過ごせているのは彼女の努力の賜物なのだと改めて感じれば、何かしてあげられる事は無いだろうかと考えるのはごく自然な反応だ。但し夫婦外で、だ。


「コレで夫婦……」


『諦めろ。』


 即答で否定された。やはりソレだけは既定路線らしい。という訳で、この大陸で旅を続ける限り夫婦となってしまった俺とエリーナ。今まで見たことが無い位に上機嫌な彼女は"じゃあ渡航記録と都市間の移動許可申請を出してくる"と、アイオライトを連れて一足先に検問所へと向かってしまった。


 そうすると自動的に残った余り物同士で行動しなければならない。俺は仕方なくアクアマリンと歩調を合わせて行動する訳だが、彼女は俺の事を誤解しっぱなしなので全く会話にならないどころか"話しかけるな"という無言の圧力さえ感じる。


 隣を歩くアクアマリンとの間に流れる空気は非常に重く、足取りも自然と重くなる。楽しい筈の旅の出だしはいきなりハードモード。とりあえず今日は我慢するから、頼むから以後この組み合わせにはしないでくれと、そう願いつつも彼女と一緒に港の出口から宿泊施設へと向かおうかと思った矢先……


『あー、臭せー臭せーと思ってたらよぉ、なんでヒョロヒョロな人間がうろついてんだァ?』


 背後からどう考えても敵意剥き出しの声が聞こえてきた。人間って、多分俺だよなぁ。


『あら?アナタ達は?』


 今度は何とも呑気な声が聞こえた。狼狽える俺とは対照的、まるで旧友と再会したような上ずった声の出処を辿れば、隣を歩くアクアマリン。彼女がそう声を掛けた先にいるのは……どう考えても人間じゃなかった。


 2メートルは確実に超えている長身に筋骨隆々の身体、丸太の様に太い足、濃い褐色の肌、手足と顔にはネイティブ系と表現するのが一番近い民族的な紋様が彫られていて、口の端からは牙が小さく顔を覗かせている。その圧倒的な威圧感は控えめに言って恐怖さえ覚える程度だが、そんな奴が何人も連れ立っているのだからその恐怖感と圧迫感たるや凄まじい。


 大陸にはこんなヤツもいるのか。そう考えると比較的穏健なエルフに囲まれたあの国に転移したのは幸運だったと思える。帰ったらアメジストにも少しだけ優しくしよう。生きて帰れたらの話だけど。


『あぁ、彼等のこと言ってなかったわね。オークよ。私達と同じ独立種、そして今回の旅の案内役よ。』


「オーク?」


『そう。私達エルフが神樹ハイペリオンから生まれた様に、彼等も太古に存在した巨人"オルクス"の子孫という明確なルーツを持っているわ。地球の神話だと邪悪な生き物みたいな扱い受けてるらしいけど、コッチでは基本的に部族の掟に従って生きる堅物よ。ま、ちょっと好戦的なところもあるけどね。』


『そういうこった。で、ココは俺達の縄張り。だから人間なんてひょろくせぇ雑魚にウロチョロされると迷惑なんだよ。だからどっか行けよッ。』


 アクアマリンは何も知らない俺に色々と教えてくれたのだが、ルーツはともかく部族の掟に従っている割には妙に好戦的で排他的だ。ソイツは俺の目の前まで我が物顔でズカズカと近寄ると思い切り上から見下し、更に"枯れ木みてぇだな"とせせら笑った。露骨だなコイツ。明らかに喧嘩を売りに来ている。よっぽど人間が嫌いなんだろう。


『駄目よジャスパー。ソレにボスから聞いてないの?彼がウチのアメジスト総裁と懇意にしている人間よ。』


 アメジスト。その名前が出た途端にオークたちはざわつき始めると、全員が全員して俺を上から下まで値踏みする様に見つめ始めた。


『って事はコイツが?あの噂のチキュウジンって奴か?マジかよ、初めて見たぜ?』


『ソレだけじゃないわ。アイオス(※アイオライトのこと)含めた四凶全員とも仲が良いのよ……イマイマシイケド。』


 君、最後なんか本音出さなかった?まぁそれはともかく、アメジストの説明にオークたちは更に騒ぎ始めた。が、牙の生えた大きな口から零れるのは俺への否定的な評価に四凶との関係を邪推するような内容ばかりで聞くに堪えない。ソレだけでも気が滅入るのに、騒動の匂いを嗅ぎつけたのか他の連中もゾロゾロとやって来た。


 色々な連中がいるな、と周囲を見回した俺は思った。俺よりも身長が高いのは当然で、更にやや毛深く獣っぽい顔立ちと尻尾がある種族とか、俺の半分くらいの身長の種族とか、後はやたら目つきが鋭く、肌のところどころに鱗が生えている種族とか、その中に混じって人間の姿も確認できた。余程に暇か退屈なのか、乱闘の気配を察知したと言わんばかりに好奇の視線を向けている。


『だからどうしたよ?関係ねぇよ。オイ、良いか。俺はお前等クソったれの人間とは違う。だから大人しくこっから出ていけば見逃してやるよ。ホラ、とっとと尻尾巻いて逃げちまえよ、なァ?』


 そうやってオーク連中の中でも際立って好戦的なジャスパーはひたすらに俺を煽り続けると、周囲の仲間達は煽り文句に下品な笑いを添える。明らかに挑発だ。この調子なら逃げればソレを理由に嘲笑あざわらうだろうが、むきになって喧嘩を吹っ掛ければ返り討ちにあうのは目に見えている。


 コイツ、身体能力頼みの腕力馬鹿じゃなくて武術も嗜んでいる。そう思った理由は無骨な両の手に拳ダコらしきものが見えたから。そう考えれば高圧的な態度の裏に己惚れるだけの力量と自信を持っているという事になる。体格だけでも勝ち目が薄いのに技術面も上では文字通り手も足も出ないぞ。


『ちょっと。いい加減にして。それに種族間の争いはご法度よ。』


 流石にマズいと感じたアクアマリンが強い口調でジャスパーを制止しようと試みるが、残念ながら少し遅かったらしい。元から調子に乗りやすいのか、この男既に喧嘩売る気どころかする気満々だ。格闘漫画の様に拳をポキポキと鳴らしている。が……


『弁えろ、ジャスパー。』


 後ろから低くドスの効いた声が聞こえるや怒り猛った雰囲気が一気に霧散、同時に全員が仲良く何かに怯えるかの如く急に静まり返った。声の方向、港から桟橋へと続く石畳の道路の人込みを見れば、人だかりの中心にジャスパーよりも更に大きな男がドンと仁王立ちしていた。怖えぇ。


『だけどよぉ。ジルコンの兄貴!!』


『止めろと言ったはずだ。』


 ジャスパーは食って掛かったが、しかし大男の威圧たるや凄まじい。ジャスパーを睨みつけながら"止めろ"と静かに語っただけでそいつを含む全員どころか野次馬連中全員が纏めてすくみあがってしまった。が、確かにそうせざるを得ないだろうと感じる。何も知らない俺でさえ、この大男から立ち昇る威圧的な気配に圧倒されてしまったからだ。睨まれるだけで呼吸が困難になり、全身が硬直する。


『済まない。君達の事はアイオスから聞いている。血の気の多い連中が迷惑を掛けて済まない。俺はジルコン。ココで商売とか面倒ごとの仲介を主に担当している。宜しく頼む。』


 が、大男はジャスパーよりも圧倒的に強く、見た目も凄まじく厳ついのに性格だけは完全に真逆、実に紳士的だった。他の喧嘩っ早い連中とは大違いだ。俺は大男がにこやかな笑みと共に差し出した手を素直に握り返すと、彼は"ふむ"と何かに気づいたような反応をした。何処かおかしかったか?


『ジャスパー。納得したか?』


『する訳ねぇよ。』


 握手から一転、ジルコンという大男はジャスパーに意味不明な質問を投げかけた。で、そいつがやはり意味不明な返答を寄越すや今度は俺をジッと見つめた。すいません、何か嫌な予感がするんですが。とても、とても嫌な予感がします。


『そうか。ならば我が部族間の習わしに従い拳で解決しよう。客人、君が望むならばという条件だが……もし良ければ受けて貰えないだろうか?』


 何となくそんな予感がしてました。でも争いはご法度なんですよねアクアマリンさん?

 

『私は何方でも。というか一度くらい痛い目見た方が良いですよ。』


 駄目だコイツ、完全に俺を外道か何かだと勘違いしている。完全に孤立無援だ。この場にアイオライトかエリーナがいれば止めてくれたんだろうけど。しかも相手はオークとかいう明らかに肉弾戦向きの種族。俺なんか死んじゃうよ?いいの?


『オイオイ、ジルコンの旦那ァ。良いのかい?言っちゃ悪いがソイツ、全然鍛えてないぜぇ?』


 何処かから野次が聞こえてきた。全く持ってその通り。異能の種というので多少は強いかも知れないし、仕事や勉強の合間に模擬戦みたいな真似事もしていたけど、正直そんな程度でガッチガチに鍛えた大男と戦いなるかって言ったら無理じゃないかなあと思うんですよ。大体にして模擬戦の相手だったシトリンとかルチルにもてんで敵わなかったし。だからアクアマリンさん、禍根を乗り越えて俺を助けてみませんかね……ダメだアイツ、完全に俺を視界から外してやがる。


『ジャスパー、お前が勝てば彼はココから早々に引き上げさせ、仕事も俺が代わりに引き受ける。その代わり、お前が負けたら彼への扱いを見直せ。』


『俺は構いませんぜ。但し、ソイツが決闘を受けるんならだけどなァ。』


『分かった。さて、客人。ジャスパーには部族の掟に則った決闘の結果は必ず守らせる。どうかね?』


 ジルコンという人は極めて冷静に穏やかに俺を諭してくるが……いや、もうヤケクソだ。ソレにあの男、一発くらい殴ってやらなきゃ気が済まない。


「やるよ。」


 俺の一言を聞くや周囲から歓声が上がった。が、大半が何分で死ぬか賭けている上に数少ない応援も"せめて数分は生き延びろ"という微塵も嬉しくない不吉な内容だった。いやぁ、せめて賭けは止めろ。最悪ソレは許すとして、"1分持たない"なんてムカつく選択肢に賭けるな。


『そうか。ではルールは武器無しのスデゴロ。先に気絶かギブアップした方の負けだ。』


 ジルコンはそう言うや手早く周囲の人間に指示を出し、瞬く間に四方10メートル程度のエリアを確保した。


『ついでにこの円から外に出たら負けというルールも追加しましょう。』


 既に誰よりも決闘に乗り気なアクアマリンは、そう言うや空いたスペースギリギリに仄かに光る円形の魔法陣を手早く作り出した。アクアマリンさん、君なんでそんな楽しそうなの?他人事だと思って好き勝手……いや、完全に他人事だなアレは。嫌われてるなぁ、俺。流石に凹むよ。

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