シオンの町にて

 ローゼンクランツ子爵家の領地であるシオンの町は、帝都のあるシュワーベン大公国南部に位置するツェルター伯国の山深い地にあった。


 ツェルター伯国は、周りを高い山々に囲まれた地形となっており、守りに固い場所柄ゆえに、独立不羈ふきの意識が強く、軍隊の強さでも帝国の中で群を抜いていた。

 長い歴史の中で武術の聖地とも呼ばれるようになり、傭兵の産地としても有力となっていった。


 ツェルター伯国は、形式上は神聖ルマリア皇帝の封建臣下であるが、その強さゆえに一定の独立性を保持している。帝国を構成する諸領邦からも無視しえぬ存在であった。


     ◆


 グンター夫婦とマリア・クリスティーナは、シオンの町の小高い丘の上にあるヴァレール城へと極秘のうちに移動した。


 マリア・クリスティーナの存在は、町の人々に対しては徹底的に隠された。


 一方で、剣聖の称号を持つグンターの帰参は大歓迎を持って迎えられた。


 ローゼンクランツ家の当主は、帝国最強で最難とうたわれるローゼンクランツ双剣流剣術の師範を代々務める家柄であったが、5年前、領地に戻り弟子たちを指南していたグンターの父、先代剣聖が死去し、町の活気が下降気味となっていたからだ。


 "剣聖"とは、帝国でただ一人許される最強剣士の称号である。


 グンターがそれとない顔で先代と同様に弟子たちを指南しつつ時は過ぎ、いよいよマリア・クリスティーナの出産のときがやってきた。


 出産のために用意された部屋には、産婆さんばのほか、母のマリア・テレーゼが立ち合い、マリア・クリスティーナを激励している。


「クリス。あともう少しよ。頑張って!」


 そして、マリア・クリスティーナが握っている母の手に一段と力がこもったとき、大きな産声うぶごえが聞こえた。


「おめでとうごぜぇやんす。立派な男っ子だっちゃ。

 そりにしてもっといへそのだのぅ。こらぁ健康な子に育つにちげぇねぇこっつぉ」


「ありがとうございます」


 ホッとして産婆の言葉に微笑を浮かべながらお礼を言うマリア・クリスティーナ。


豪儀ごうぎめごい子だのぅ。こらぁおっかぁ似だぜ……」


 産婆は、慣れた手つきでへその緒を切り、生まれた赤子の体をぬるま湯で清めていく……。


 が、ふと産婆の手が止まった。


「奥様。これ……なんでぇ?」


 産婆が指し示す赤子の背中を見たとき、母子は言葉を失った……。




 産婆が生まれた赤子に産着うぶぎを着せ、一段落したところを見計らって、マリア・テレーゼは夫を部屋に呼んだ。


「それでどっちだ?」


 グンターは嬉しそうな表情で聞いて来る。


「立派な男の子ですよ」

「それはよかった……」


 そこでグンターは、部屋のただならぬ雰囲気を察した。


「皆、どうした? 浮かぬ顔をして……まさか、生まれた子に障害でもあったか?」


「いえ! そんなことは……」とマリア・クリスティーナはあわてて否定する。


「では、なぜ?」


「実は……」

 と言いながらマリア・クリスティーナは産着をはだけて赤子の背中を見せた。


 それを見たグンターは、驚きのあまり目を見開いた。


「こ、これは……なんということだ……」


 そしてグンターは、赤子の背中にあるそれにそっと手を添えると、軽く魔力を流してみる。

 それは、グンターの魔力に反応して、淡い光を発した。


「これは……本物だな……」


 部屋にしばしの沈黙が流れる。

 皆が皆、信じられないといった顔をしている。


「皆、この真実は口外するでないぞ」


 グンターのその一言に、部屋にいる一同は静かにうなずいた。


     ◆


 生まれた赤子は"ルードヴィヒ"と名付けられた。


 表向きの説明は、"グンターの長男ブルーノの末子で、生まれつき体が弱かったため、療養のためシオンの田舎町で育てられている"ということにされた。


 マリア・クリスティーナは、産後の日達ひだちも良く、一月もしないうちにアウクトブルクの町へとお忍びで帰っていった。愛妾あいしょうとして、皇太子宮へ出頭する日が迫っていたからだ。


 マリア・クリスティーナがルードヴィヒに乳を飲ませることができたのは、その短い期間だけで終わってしまった。マリア・クリスティーナは、そのことに罪悪感を覚えた。


 幸い、ヴァレール城に務めるベテランメイドであるクリスティン・シュナイダーが一月ほど前に女児のユリアを出産したばかりだったので、ルードヴィヒは、彼女から乳を分けてもらって育った。


     ◆


 シオンの町には、グンターと同様に武術の各流派の第一線を退いた元師範たちが集まっていた。

 彼らは体力こそ全盛期よりも衰えているとはいえ、知識や技量に関しては現役の師範に負けるものではない。


 こんなシオンの町は、実戦経験を積んだ中堅どころの武術者が再修業をする場として定着していた。

 武術者は、これを武術の聖地ツェルター伯国の中の聖地、すなわち武術の聖地の聖地と呼び、皆が皆これにあこがれた。


 グンターは、ルードヴィヒの背中を見たときから、その才能を確信していた。


(引退を決めたときは少々寂しかったが、むしろ正解だったな……)


 こうして、グンターが己の持つ武術の技術と知識の全てを伝授すべく、ルードヴィヒを鍛える日々が続く。


 これに関しては、マリア・テレーゼも同様だった。

 彼女は世間では"幻の大賢者"と呼ばれる魔術と錬金術の達人だったのだ。


 夫が夫なら妻も妻で、そろって規格外の存在だった。だからこそかれあったというべきか……。


     ◆


 そしして時は経ち、ルードヴィヒが生まれて15年が経過しようとしている。


 一方、グンター夫婦は、"郷に入っては郷に従う"ということで、すっかりシオンの町の方言になじんでいた。それに育てられたルードヴィヒはもちろんである。


 グンターは、ルードヴィヒをアウクトブルグの学校に通わせることを決めていた。

 この才能を田舎いなかで埋もれさせておくのは、帝国のためにならないと考えたのだ。


(これが吉とでるか、凶とでるか、けではあんのぅ……)


 だがグンターは、ルードヴィヒについては楽観的だった。


(まあ……本人がなんとかするろぅ……)


 ルードヴィヒは、数年前に町での修行を終えると、従者的ポジションの仲間を連れて、シオンの町の外にある森へと出かけ、魔獣などを相手に冒険クエストを行う日々を過ごしていた。


 シオン郊外の森は、高ランクの魔獣の巣窟そうくつとして知られており、冒険者たちの間では"地獄森"と呼ばれ、畏怖いふの対象となっていた。


 だが、そのようなことを彼は知らない。


 地元では、単に"森"と呼ばれていたからだ。彼にとって、"森"が普通であることになんの疑問も抱いていなかった。


「じゃあ。さ。森に行ってくるすけ」


「あんま奥まで騒ぐんでねぇぞ」

「わかってるてぇ! ニグルたちもいるすけ、あちこたねぇだいじょうぶがぁて!」


 しかし、グンターは薄々察していた。

 ルードヴィヒは、"森"にとどまらず、遠方の高難度のダンジョンや自分たちでは想像もできない未踏の地へと足を伸ばしていることを……


(もう我らでは手の届かん境地へ至ったか……)


 そんな彼が慢心することがないように、グンターは常日頃言い聞かせた。


「ええか。世の中にぁおめぇより強ぇ武人や魔獣はいっぺぇいる。常に謙虚に、努力をおこたるんでねぇがぁぜ」


 そして、こうも言って聞かせていた。


「本当に強ぇ武人は自分の技を見せびらかしたりしねぇ。技は初見しょけんでこそ最高の威力を発揮するからのぅ」

「わかってるてぇ」


「それにレベルやオーラの色もそうだ。敵に自分の強さを悟られたら不利になる。ばっさに頼んでフエイクのスキルを習っとくがぁぜ」


「もう習ったてぇ」

「そんだば、ええが……」


 ルードヴィヒは生来、素直で真面目な性格だったので、祖父母の言うことは疑うことなく信じていた。

 だが、彼は正直過ぎた。技を隠したり、ランクをフェイクでごまかすのは世間の常識だと思い込んでしまっていた。


     ◆



 そしていよいよアウクトブルグに旅立つ日が近づいてきた。


 お供をするのは、ひょう人族のニグル、女騎士のクーニグンデ、そして女治癒士ヒーラーのルークスの3人のはずだったが……。

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