7.
扉の向こうは僕の予想どおり旧校舎の屋上と思しき場所だった。
いつの間にか教室にあった南棟から北棟に移動したことになる。旧校舎の時空はすっかり歪んでしまったようだ。
予想と違うのは——。いや、それは、ある意味では予想どおりだったのかもしれない。
屋上の地面に血まみれの卓也が転がっていた。違う。それは、少し前まで僕達が卓也と呼んでいたモノの成れの果てだった。それは、バラバラに切り刻まれた卓也の体だった。腕が、足が、胴体が。屋上のあちらこちらに散らばっている。頭だけがこちらを向いて、僕と悠介を見つめていた。目は大きく見開かれ、ぽっかりと空いた口は樹のうろのようだった。卓也の表情は恐怖に引き攣ったまま凍っていた。
「おげぇぇぇぇぇぇぇぇ……」
悠介が盛大に吐いた。その場に膝から崩れ落ち激しくえずく。
僕の意識もどこかに飛んでしまいそうだったけど、バケモノどもの雪崩れ込む大きな音がそれを許さなかった。
「悠介!」
悠介は茫然自失としたまま微動だにしない。
腕を引っ張ってなんとか立たせようとするがダメだ。
しばらく屋上に視線を巡らせていた赤いワンピースの女が僕達の存在の気付いた。
「悠介!!」
悠介は僕の腕を振り解くとその場で項垂れ、しゃくりを上げて泣き出した。
僕は意を決すると屋上の端に向かって全力で走り出す。友達を置き去りにしたままで。
黒川先生、ごめんなさい。僕は先生が思うような生徒じゃないんです。
土壇場で友達の命よりも自分の命を優先するロクデナシなんです。
十兵衛、卓也、それに悠介もゴメン。僕はひとりでここを脱出するよ。
『普通に脱出できないなら、普通じゃない方法を試してみればいいんじゃないか?』
『屋上から飛び降りてみる、とかさ』
僕は幽霊少年の言葉を思い出す。
ここは異常な場所だ。普通の理屈は通用しない異界だ。
だったら……。
「異界には異界の法則がある筈……!!
僕は手すりに手をかけると、そのまま地上目掛けて一目散に飛び降りた。
※
屋上から飛び降りたカケルの体が勢いよく地面に叩き付けられる。
グチャ、と湿った音をたてカケルの頭がスイカのように潰れる。落下の衝撃で腕と脚があらぬ方向に捻じ曲がり、内臓が破裂した。
大量の血をあたり一面にぶち撒ける。どう見ても助かりそうな様子ではないが、まだ微かに息があるようだった。
カケルのかたわらに前髪の長い少年が歩み寄る。
「うわ、マジで飛び降りた。そんな方法で都合よく助かるわけないだろ」
少年は白けた表情で紙カップのポップコーンをつまむと口の中に放り込んだ。
カケルが最後の力を振り絞り顔を上げる。憎悪に燃えた瞳で少年を睨む。酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせているが、意味のある言葉を紡ぎ出すことはもうできなかった。
カケルの瞳に灯った黒い炎の揺らめきが少しずつ弱くなっていく。
「はぁ、アホくさ」
ポップコーンを食べ終わった少年がつまらなそうに肩を竦めた。
「ダル。もう、帰るわ。これは俺が戻しておくから、お前はそこで安心して死んでくれ」
少年の手には旧校舎の門の鍵が握られていた。
「せっかくの夏休みにつまらんことで手間をかけさせやがって。お前らに鍵を貸したヤツもロクなもんじゃねーな。残念ながら、畳の上で死ねないと思うぞ」
返事はない。濁った目が少年の背中を見つめるだけだ。
ビュウと、風が吹く。カケルの瞳から完全に光が失われ、細い体はピクリとも動かなくなる。
そして、旧校舎から誰もいなくなった。
カケルも十兵衛も悠介も卓也も前髪の長い幽霊少年も赤いワンピースの女も腕の怪物も窓の外の人影も。
こうして、みんな、いなくなった。
※
旧校舎の中をひと通り探索した黒川の顔は困惑の表情に支配されていた。
念のため北棟の屋上も調べてみたが、生徒どころか猫の子一匹見つからない。
「風吹くん達はもう家に帰ったのかしら……?」
そう、ひとりごちてみても釈然としないものが胸に残る。
部活動が終わったなら鍵の返却のため誰かしら職員室に顔を見せる筈だ。
黒川が学校を出る前にオカルト研究会のメンバーが職員室に来た形跡はない。
そして、旧校舎に向かう途中でメンバーの誰とも鉢合わせしていない。
新校舎から旧校舎に至るルートは一本道で、行き違いになる可能性は殆どないにも関わらずだ。
頭に大量の疑問符が浮かんだが、ここで考え込んでも仕方ない。黒川はひとまず職員室に戻ることにした。
みんな、おかしな事件に巻き込まれてなければいいけど……。
黒川がそんなことをぼんやりと考えながら新校舎前の横断歩道に足を踏み出すと、けたたましいクラクションが聞こえた。
危ない、と思ったが既に手遅れだった。信号を無視して突っ込んで来たトラックが黒川の体を跳ね飛ばす。向こうから走って来た赤い乗用車が地面に落下した黒川を轢いていく。
急ブレーキをかけたトラックが停車し、運転席から疲れた目をした若い男性が降りてくる。男性は小さな声で「やっちまった」と呟く。その顔色は死体のように青い。
赤い乗用車は停車することなくそのまま行ってしまった。
トラックの運転手はしばらく宙に視線を彷徨わせると、諦めたような表情を浮かべ、ズボンのポケットから取り出したスマホで警察に通報した。
真夏の抜ける様な青空から二羽のカラスが舞い降り、さっきまで黒川渚と呼ばれていた肉の塊を啄み始めた。
※
職員室に一人残された中年の男性教師が、旧校舎の門の鍵がいつの間にか定位置戻されていることに気付き怪訝な表情を浮かべた。
「誰が戻したんだ……?」
同僚の黒川が外に出たきり帰ってこない。もう、一時間以上は経っているのに。
窓越しに救急車のサイレンが聞こえて来た。
事故か?
男性教師は胸騒ぎを覚えたがどうすることもできない。
何の気なしに窓を開けると風が強く吹いた。
白いカーテンがヒラヒラと舞い踊る。
それを見た男性教師は、まるで幽霊のようだな、と思う。
※
その日の夕方——。太陽が地平線に近付き、空が赤黒く染まる黄昏時。買い物客で賑わう商店街をひとりの少年が鼻歌を唄いながら軽い足取りで進んでいく。
長い前髪で隠れた少年の表情を知る者はいない。ただ、鼻歌の調子からどことなく上機嫌であることは分かった。
少年は、途中、コンビニに寄った。空っぽの大きな紙コップをゴミ箱にねじり込み、アイスを買った。お気に入りのチョコミントアイスだ。
アイスを食べる少年の足元から長く伸びた影が沸騰するように泡立ち、その中から旧校舎の赤いワンピースの女が顔を覗かせた。
商店街で思い思いの時間を過ごす人々は、誰一人、少年の影から生まれた怪異の存在に気付かない。そして、無心にアイスを食べる少年も自分の背後で起きている異変に気付いていない。
赤いワンピースの女に続いて、枯れ木色の腕の怪物が姿を見せた。
続けて、翼を生やした人型の黒い靄が影から飛び立つ。
地面に貼り付いた闇の中から怪異が次々とあふれ出す。
買い物客の一人がふと立ち止まり後ろを振り返ると、大きく目を見開き、まるで酸欠の金魚みたいに口をパクパクと動かした。血のように真っ赤なワンピース着た女が自分に向けて包丁を振り下ろして来たからだ。
商店街に絶叫が谺した。
かくして、子供達が夏休みに執り行った拙い儀式を通して、世界に邪悪が解き放たれた。
【終】
夏休みの儀式 砂山鉄史 @sygntu
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