6.
「今、旧校舎で起きている現象は、きっと、お前達への罰なんだよ」
不意に幽霊少年が言った。
「僕達への罰……?」
「そうだ」
旧校舎から抜け出せないのも、赤い服の女と腕の怪物が現れたのも、全部、僕達への罰……?
元々、旧校舎の周辺では幽霊や怪人の目撃談があった。そいつらが、僕達の【儀式】に怒っている、とでも言いたいのだろうか?
「それも、自分で考えろ」
僕の表情から疑問を察したのか、幽霊少年が吐き捨てるように言った。
「なんだよそれ!!」
「キレ散らかしている場合じゃないだろ。オトモダチを探さなくてもいいのか?」
認めるのは癪だったが幽霊少年の言葉は正しかった。何とかみんなと合流して、打開策を考えないと。
「普通に脱出できないなら、普通じゃない方法を試してみればいいんじゃないか?」
幽霊少年が口の端を持ち上げる。前髪で隠れた表情は分からない。でも、なんとなく笑っているような気がした。
どうして、彼はこんなに余裕たっぷりなのか。本当にバケモノどもの仲間だったりしないよな……。旧校舎に現れた目的も謎だしあまりに不気味だ。
「まぁ、俺の言葉を信じるか信じないかはお前の自由だけどな」
「人を馬鹿にするのも大概にしろ!!!」
僕はノートPCを持ち上げると、そのまま力任せにムカつくクソ野郎の頭に叩き付けた。
「……それ、ヤバいんじゃないか?」
額から血を垂らしながら、クソ野郎が教室の隅を指差す。
盛り塩がドス黒く変色していた。
「へ?」
僕が呆けた声を出すのと同時に、教室の戸を吹き飛ばして腕の怪物が侵入してきた。
「うわあああ!!!」
教室を転げ出した僕は無我夢中になって廊下を走る。行く手を赤いワンピースの女が塞ぐ。女の手には包丁が握られていた。鈍い光を放つ包丁を振り上げ、女が迫る。
嫌だ! 助けて!!
どれだけ走っても階段が見つからない。いつまでも一階に降りることができない。このまま、永遠にバケモノ達と鬼ごっこを続けなくてはいけないのか。
『普通に逃げ出せないなら普通じゃない逃げ方をすればいい』
頭の中で幽霊少年の声が蘇る。
普通じゃない逃げ方……。普通に逃げても下に行けないなら、飛び降りる? 二階の窓から?
確かに正気を失った逃げ方だ。だけど、失敗したら大ケガをする。でも、命には代えられない。いや、やっぱり死ぬかもしれない。頭から真っ逆さまに落ちたら、きっと目も当てられないことになる。だからといって、このまま追いかけっこを続けても最後には体力が尽きてバケモノどもに殺されるだろう。それなら、やっぱり賭けに出るべきか。でも……。
「へ……?」
ループに陥れかけていた思考が急停止する。突如、横の壁に階段が現れたからだ。ただし、下りではなく上がりの階段。これは一体なんだ? 救いの手? それとも罠?
前後からバケモノどもが迫る。考えている暇はない。僕は階段を駆け上がる。
※
黒川渚は旧校舎の前に立っていた。錆の浮かんだ鉄の門は開け放たれており、苦労なく敷地に入ることができた。
それにしても、暑い。ハンカチで額の汗を拭いながら黒川は思う。新校舎から旧校舎まで徒歩五分ほどの距離だが既に全身は汗みずくだ。早く生徒達の様子を確認してクーラーの効いた職員室に戻ろう。そう考えながら昇降口に進んだ黒川が訝しげな表情浮かべた。
「これは……」
昇降口の床に長方形の物体が落ちていた。黒川は身を屈めてそれを拾い上げる。落とし物は小さな手帳だった。
「え……」
黒川が驚きの声を上げた。
手帳の表紙に「与古濱市立真名看中学校」と記されていたからだ。手帳は黒川が教鞭を取る中学校の生徒手帳だった。
持ち主の名前を確認しようと表紙を捲った黒川の顔が歪んだ。
個人情報欄の顔写真がドロドロに溶けてケロイド状の火傷のようになっていたからだ。しかし、名前は辛うじて読み取ることができた。
そこには「大河原十兵衛」と書いてあった。生徒手帳はオカルト研究会に所属する生徒の物だった。
※
「カ、カケル……!」
聞き憶えのある声に猛然と階段を駆け上がっていた足が止まる。通り過ぎた下の段の隅っこに人影がうずくまっていた。
声で分かる。あれは悠介だ。
今のところ赤いワンピースの女と腕の怪物の姿は見えない。僕は急いで階段を下りる。
一人で不安だったのか、僕の顔を見るなり悠介はグスグスと泣き出した。
どこかで転んだのだろうか。全身が真っ黒で、顔とシャツから伸びた腕にケガをしていた。左耳に千切れたマスクの残骸がぶら下がっている。
「悠介、落ち着いて。みんなは?」
「知らねー」
旧校舎から出ようとしたらいきなり現れた怪物に襲われ、命からがらここまで逃げてきた。悠介はそう説明した。
「どうしても、旧校舎の外に出られないんだよぉ……」
「僕もだよ。教室のアイツが言ってた。普通じゃない方法なら脱出できるかもって」
「普通じゃない方法ってなんだよ。あんなおかしなやつの言うこと信じられるわけねぇーじゃん」
悠介の言い分は理解できる。でも、他にやれることはない。僕ら二人だけでバケモノに対抗できるとは思えない。
「僕は行くよ。嫌なら悠介はここに残って」
「は、薄情なこと言うなよ! オレも一緒に行く!」
悠介と一緒に階段を駆け上がると急にひらけた空間に出た。踊り場と呼ぶには広過ぎる。体育館ぐらいはあるかもしれない。何故か、大量のパイプ椅子が整然と並んでいる。そのひとつに、学生服姿の少年が座っていた。
「よう!」
親しい友人にするような気さくな挨拶。
「さぁ、続きをしようぜ」
前髪の長い少年は正面を指差した。
そこには、白いスクリーンがぶら下がっていた。そうか。この踊り場は即席の映画館なんだ。
※ ※ ※
映画館のスクリーンの中でひとつの映像が形を整えようとしていた。
それは、眼鏡をかけた背の高い少年が、赤い服を着た女に襲われる様子を捉えたものだった。
少年は十兵衛だった。
女の握った包丁が十兵衛の体を滅多刺しにする。
十兵衛の眼鏡が粉々に砕け、白いカッターシャツが赤く染まっていく。
返り血を浴びた女の顔がアップで映し出される。女は笑っていた。十兵衛の肉を切り刻みながらケタケタと笑い声を上げていた。
十兵衛はしばらく抵抗する素振りを見せていたが、その動きはやがて弱々しいものになり、最後にはピクリとも動かなくなった。
※ ※ ※
「うわああああああ!!!」
悠介の悲鳴が踊り場に響く。異様に喉が渇いた。僕も悲鳴を上げたかったのに声が出ない。
「映画にはポップコーンとコーラだな。お前らもどうだ?」
幽霊少年が大きな紙カップを抱えていた。中身はきっとポップコーンなのだろう。足元にはコーラのペットボトルが置いてあった。多分、十兵衛が買ってきたものだ。
「行くよ!」
しゃがみ込んだ悠介の腕を引っ張り、無理矢理立ち上がらせる。
ふと気配を感じて近くの椅子に目をやると、そこに赤い服を着た女が座っていた。
女が包丁を振り上げ、僕達に襲いかかる。女の包丁は赤黒く濡れていた。
僕は傍にあった椅子を力いっぱい投げ付けた。一瞬、女が怯む。その隙を突いて全力でダッシュ。
神経質なくらい整然と並んだ椅子と椅子との間を掻き分け、踊り場に作られた即席の映画館を突っ切っていく。すると、またしても目の前に階段が現れた。
僕は悠介の手を掴んだまま階段を一気に駆け上がった。
十兵衛は死んでしまった。
卓也はまだ無事なんだろうか。
あの幽霊少年は一体何者なのか。
赤い服の女と腕の怪物は彼の仲間なのか。
僕達は生きたまま異界と化した旧校舎から脱出できるのか。
まとまらない考えが頭の中をグルグルと回る。
「扉が見えた……! きっと屋上だよ!!」
希望を抱いて僕は鉄の扉を開け放つ。
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