第25話 一緒に

「……え?」


 この妙にキザな声は、と上を見上げると、ゼロが天井にぶら下がっていた。


「ゼロ……!? でも、なんでここが」

「君の精神の波長が凄まじく乱れていたからね。夜の校舎でよろしくやってると思ってたから邪魔しちゃ悪いと思ってこっそり見守ろうと思ったんだけど、なんだいこりゃ。別の意味で十八禁スレスレの光景じゃあないか」


 ひらりと、俺の隣にゼロは着地した。


「逃げろ、なんてつまらないことは言いっこなしだぜ。僕は君と契約したんだ。主を見捨てて逃げるような奴と思われるのは少し心外だよ。それにね」


 ニヤリ、といつもの腹黒い笑みを浮かべる。


「あんな熱烈な告白をされたら、僕だって意地でも力を貸したくなるってもんさ」

「おまっ……!」


 やっぱりがっつり聞かれてたじゃないかチクショウ――!


「遅いぞ、無の精霊。危うく教え子を手にかけるところだった」

「そりゃ済まないことをしたね黒魔術師。我が主の覚悟を見てみたかったんだよ。まさか、あんな告白めいたことを言われるとは思わなかったがね」

「もういいよそのことは! ……とにかく、一緒に戦ってくれ、ゼロ。このままだと俺達共倒れだ」

「心得たよ、我が主」


 差し伸べられた手を握った瞬間、ゼロの体は精霊剣無式・零へと変化した。


「私と戦うつもりか? 何度も言っているが、契約を破棄すればおまえの命は保証してやらんでもないんだがな」


 弾丸を交換しながら、夜見先生は非常に白々しいことを言った。


「命だけ助かったって、何の意味もないだろ。それに、逃げてもあんたは世界の果てまで追ってきそうだ」

「大げさだな。せいぜいその半分くらいだ」

「似たようなもんだろうが……!」


 先手必勝と魔法を放つ。

 夜見先生は首を傾けてそれを避け、銃の引き金を引いた。

 零を垂直に振り抜いてもう一発魔法を放とうとしたが、弾かれた。

 轟音と共に、凄まじい衝撃が零の刀身から伝わってくる。

 まるで見えない壁にぶつかったような感覚。


「な、なんだ……!?」

『剣の軌道をあの弾丸で阻害されたみたいだ。随分と器用な真似をするものだね』


 さらに夜見先生はもう一発撃った。

 防壁魔法を展開しその攻撃を防ぐ。

 音を聞いた瞬間に避けるのでは恐らく間に合わない。


 銃口を向けられたのとほぼ同時に動くのが先決だ。

 厄介極まりないことにこの武器、魔力を一切感じない。


「単純な物理ダメージでこの威力かよ。どんだけ物騒なんだ異世界の武器……!」


 こんなもん身体に当たったらただじゃ済まないと毒づきながらも、魔法を撃って反撃する。

 幸いなことに、防壁魔法は有効だ。

 だが常時張っているだけでは勝てないし、一撃食らっただけでも亀裂が生じている。

 二発目を防げるかはかなり怪しいところだ。


 一挙手一投足を見逃すまいと銃に集中するしかない。

 魔法でない分、銃は弾丸を撃ち出す前の予備動作が絶対に必要になる。

 引き金を引くための指の動きや、レンコンみたいな弾丸を格納してある部分が回転する部分を見て、確実にタイミングを合わせる――! 


「まずいぞ我が主! 銃だけに集中するな。まずは全体を――」


 緊迫したようなゼロの声に我に返った時には、月明かりによって生じた影に杭を打ち込まれていた。

 脚に何か引っかかっているみたいに、移動することができない。

 無理に動かそうとすると激痛が走る。

 影をその場に縫い付けることで相手を拘束する、黒魔術の定番術式の一つ、〈影縫い〉。


「しまった――」


 銃に集中しすぎて、それ以外のことが完全におろそかになっていた。

 己の過ちに気付いた時には、夜見先生の拳が俺の顎を撃ち抜いていた。

 意識がぶっ飛びそうになる。

 それに構わず、夜見先生は次々と自分の拳を俺の体へと沈めていく。

 体が悲鳴を上げる。


 バキリと、鳴ってはいけない音がする。

 正にサンドバッグ状態。

 しかも座標を〈影縫い〉で固定されているから、衝撃がモロに来る。

 これだけ殴られれば一周回って痛くなくなるんじゃないかと思ったが、俺の神経は律儀に新鮮な痛みを脳に供給し続けていた。

 俺の横っ面を殴られたはずみで杭が外れ、俺はステンドグラスを突き破りながら墜落した――






「さて、死んだか?」


 そう呟きながら、夜見は自らも中庭に着地した。

 鍛え抜かれた夜見の体は、この程度の距離からの落下など痛くも痒くもない。

 いつもは生徒達の憩いの場になっているこの場所は、月明かりに照らされ静謐な空気が漂っている。


 しかし招かれざる客人達によって、ここも血が香る戦場へと変わろうとしていた。

 テオはレンガ造りの地面に転がってぴくりとも動かない。

 死んだかどうかは不明だが、あそこまで痛めつければ動くことは困難の筈だ。

 そう思った矢先、テオはがばりと起き上がり、水の弾丸を夜見に放った。


「やはりブラフか」


 着用している革のコートをひるがえし、魔法を防ぐ。


「いつつ……やっぱそう簡単にはいかないか」


 多少痛がってはいるが、テオの身体にダメージはそれ程見られない。

 動くことにも支障はなさそうだった。


「妙だな。肋と顎は確実に砕いた筈だが――」


 僅かに首を傾げるが、数秒後に答えに辿り着く。


「――そうか、あの時から防御や反撃を捨て、回復に専念したのか」


 回復魔法は傷を癒やし、今まで受けた攻撃を無かったことにできる便利魔法――という訳では無い。

 自分の魔力を引き換えにダメージを癒やすものであるため、使える魔法も制限され、決着を急がなくてはならない自体に陥る。

 水属性の精霊と契約していなければ、同様の回復量には倍近くの魔力を消費することになるため、コストパフォーマンスも高いとは言えない。


 そのため魔法師が戦う場合は、どれだけ肉体の回復を最低限に留められるかを常に考える必要がある。

 しかし、目の前のテオ・リーフにその法則は当てはまらない。

 ゼロが有する無尽蔵の魔力を以てすれば、魔法師の魔力を一切消費せずに魔法を行使できる。

 どれだけ回復魔法を使っても、一切合切問題は無いのだ。


「容量無限大のモバイルバッテリーみたいなものか。お偉方が欲しがるはずだ」


 魔力炉として運用しただけでも、凄まじい力を発揮するだろう。


「モバ、バッテリー……? なんだそりゃ?」

「こっちの話だ、気にするな」


 何より、テオは夜見の攻撃に構わずにただただ回復魔法を自分にかけ続けた。

 それが最善だと分かっていても、肉体に迫る拳は人に根源的な恐怖を呼び起こし、反射的に体を防御したり反撃をしようとしてしまうものだ。

 だがテオはその恐怖をねじ伏せ、夜見拳を抵抗せずに受け入れ、回復に専念させた。


「心だけはいっちょ前に戦士というわけか」

「戦士じゃなくて、魔法師だっつーの!」


 似たようなもんだと呟き、ナイフをコートの内側から取り出して突貫した。

 接近戦に持ち込むつもりらしい。


「おまえの苦手分野だろう?」

「よく分かってんな……!」

「担任だからな」


 生徒を殺そうとする担任がいるかと叫びながら、テオはゼロを振り下ろす。

 夜見はそれをレイジングブルの銃身で受け止める。

 本来であればレイジングブルの銃身が耐えきれずに破壊されていたはずだが、夜見の愛銃は零と拮抗していた。


「物体強化の魔法か!」


 物体に魔力を通すことで耐久性を上げるこの魔法は、非常に地味ながらも痒いところに手が届く非常に便利な魔法だ。

 コートの袖が僅かに揺れ、蛇の装飾が施された銀色の腕輪が露わになる。

 蛇の目の部分に埋め込まれた宝玉は青い。

 精霊剣水式・蛇目じゃのめ

 腕輪タイプの精霊剣だ。


 夜見は手刀をテオの首元目掛けて繰り出した。

 すんでの所で避けるが、首元に赤いラインが走る。

 どうやら爪にも物理強化魔法を施しているらしい。

 皮一枚で済んだだけ、行幸と言えよう。


 拳と剣。

 リーチを詰めすぎると、不利になるのはテオの方だ。

 一定の距離を保ちながら、零を振るう。


「ほう……動きは大分マシになっているな」

「腕のいい師匠がいるからな……!」

「だが、それでもカタをなぞっているだけにすぎん。まだ動きが硬い!」


 横っ面目掛けて繰り出される回し蹴りを、腕を使ってガードする。

 ミシリ、と腕が悲鳴を上げた。

 ヒビが入ったのかもしれない。

 だが、腕はまだ動く。


 畳みかけるように夜見は発砲。

 超至近距離で撃たれたそれを、防御壁を使ってガードする。

 被弾こそ免れたものの、トーラス・レイジングブルが誇る大口径の威力は伊達では無い。

 着弾の衝撃だけで、テオは後退せざるを得なくなった。

 しかし、その顔に焦りは浮かんでいない。


「――ゼロ、残弾は?」


 テオは、ゼロにレイジングブルの残弾数を確認するように伝えていた。

 レイジングブルはリボルバータイプの銃。

 銃弾が収まっている回転弾倉を見れば、残弾数は自ずと分かる。

 テオの動体視力では不可能だが、ゼロなら可能ではないかと踏んだのだ。


『ああ、ついさっきまで一発残っていたが――それもゼロになった』


 いける、とテオはほくそ笑む。

 夜見の体術やナイフ捌きは凄まじい脅威だが、銃を使えなくなったのならばそれもかなり薄れる。

 魔法を纏った零で押せば、いける――!

 地面を蹴るが、夜見が何食わぬ顔で銃を構えていることに気付く。


「どういうことだ……?」


 何故、あそこまで冷静なんだ?

 その疑問が、テオの脚を止めていた。


『どうしたんだい我が主? 今が絶好のチャンスだと思うんだがね』


 弾丸が無くなったら攻撃手段がない――それは本当か? 

 そもそもあのレンコンみたいな弾倉では敵に銃を撃てる上限を教えているようなものだか。

 相手の魔力の残量を図ることは難しいが、物理的な武器である銃はあまりにも簡単だ。

 が、あの与田切夜見が、あんなあからさまな弱点を晒すだろうか?


「あれはブラフだ。下手に突貫すれば、確実に大技が来る」


 テオは後方に飛んで防御壁を展開した。

 それを夜見は黙って見ていたが、


「ん? なんだ攻撃してこないのか」


 フツーに弾を補充し始めた。


「あ、あれぇー!?」

「助かったよ。リボルバーはメンテナンスのしやすさとシンプルな構造が魅力だが、残弾数が相手にバレやすくてな。まったく、持つべきものは心優しい教え子だな」

「ひ、卑怯な」

『いや、アレは我が主が勝手に深く考えすぎただけだろう』

「ぐぬぬ何も否定できん」


 弾の補充を終えたシリンダーを回転させ、手首のスナップで格納し、夜見は再び発砲した。

 だが、撃った方向は夜見の真横だ。

 前方にいるテオにとっては明後日の方向――そのはずだった。

 だが撃ち出された銃弾は、左腕の肉を僅かに抉っていた。


「何っ!?」


 夜見が撃った方向に目を向けると、そこには防壁魔法が展開されていた。


「跳弾ってヤツだ。球を弾くような強度に調整してある」


 防壁魔法の強度を調整することは、精密な魔力操作を求められる。

 強度を自由自在に変えることが出来れば、銃弾を一度食らっても亀裂が入らないようにすることだってできるのだが、今のテオにはそれが出来ない。


 そして何より――肉を抉られたことで集中が乱れ、防壁が霧散してしまった。

 ブラフなどではないその決定的な隙を、当然夜見は見逃さない。


「銃弾を直接食らった痛みがどんなものか、少し味わっておけ。何事も体験と言うだろう?」


 容赦なく、テオの腹に向かって発砲した。

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