第6話 格差

「おいおいおい、勝手に決められちゃあ困るな。この契約は僕と我が主のものだぜ? 第三者が勝手に割り込んでいいもんじゃあない」


 ひょいとゼロは俺と夜見先生の間に身体を割り込んできた。


「それに、僕はこの学校を滅茶滅茶にしてやろうなんてこれっぽっちも思っていないさ。我が主の悲願の成就を手伝うだけだよ。もっとも、その夢をここに所属する魔法師が阻むというのならば、話は別だがね?」


 ゼロの目が細められる。

 殺意は微塵も感じられないが、ただならぬ迫力を彼女は帯びていた。


「――」

「――」

「――」


 緊張が保健室内を支配することしばし。

 夜見先生は嘆息して一歩引いた。


「……約束は約束だ。非常に、ひっじょーに不本意だが、おまえの退学は無しにしといてやる」

「え!? じゃあ……」

「縋るような目で見るな気持ち悪い。私はこいつとの契約も認めてやる。一応な」


 下手なことをしたらどうなるか分かっているな? と睨みをきかせる夜見先生。


「よっしゃあああああああああああああああああああ!」


 危機を脱したことを完全に確認し、気だるい体に鞭を打ってガッツポーズを決める。

 ああ、世界はこんなにも美しい――!


「君に認められようが認められまいが関係ないんだけどねー」


 夜見先生がギロリと睨むが、ゼロはひゅーひゅーと口笛を吹いて誤魔化した。


「まったく……どの代の学長だか知らんが、余計なイースターエッグを仕込みやがって」

「イースターエッグ?」


 転生者である夜見先生は、たまによく分からない言葉を使う。

 そんな俺をよそに、先生は踵を返した。


「先生、どこに行くんですか?」

「授業に決まってるだろうが。今日は火曜日だぞ」

「げっ」


 喉の奥から変な音がした。

 タイムリミットは月曜日だったことを考えると、確かにそうではある。

 つまり俺は昨日、学校をサボってしまったということになるのか……


「な、なんたる不覚……! じゃあ俺も――」

「そのザマで授業を受けるつもりか?」


 夜見先生に指摘されて改めて自分の体の状態を確認する。

 確かに重傷とは言わないまでも、そこそこの怪我を負っていた。

 〈天衣無縫〉を使った影響もあって、体のけだるさも未だ健在。

 もっと言ってしまえば、結構な期間飲まず食わずだったし風呂にも入れていない。

 ダンジョンでの戦いによって制服もボロボロという有様だ。

 眼鏡も交換する必要しないといけない。

 無理をして授業を受けることは出来なくもないが、体のコンディションはベストとは言えない状態だった。


「今日のうちにソレとのゴタゴタを片付けておけ。授業を受けるのはその後だ」

「だからソレって……」


 文句は聞かんとばかりに、夜見は今度こそ保健室から去って行った。


「ふーむ……随分とあっさり引き下がったね。てっきりここで血湧き肉躍るアクションが見られると思ったんだが」


 少しつまらないとばかりにゼロは頬を膨らませた。


「あの人は人間として終わってるけど、教師としてはまともだからな。約束はなんだかんだ守ってくれるんだよ」

「信頼しているんだねえ」

「そう表現するかはビミョーだけどな」


 仮に契約するのが失敗していたら、夜見先生は容赦なく俺を叩き出していただろうし。


「それはそれとして、ゼロ」

「なんだい?」

「いい加減ベッドから出てけ」



 ゴタゴタを片付けておけ、と夜見は言っていたが、正直どこがゴタつくのか俺はよく分からなかった。

 ひとまず家に帰って風呂に入るなり飯を食べるなりする必要があったので、アパートメントに帰ることにする。

 授業が行われている中で帰宅するというのは、なんとも後ろ髪を引かれる思いだ。

 しかし体というのは現金なもので、知覚してしまったが最後、今更のようにやれ空腹だやれ風呂に入らせろとピーピー騒いでいる。


 けど、その代償を払っても悪くないと思えるくらいの成果があった。

 無の精霊――ゼロとの契約。

 この学校でスピリットと契約している人間は殆ど存在しない。

 スピリットとエレメンタル。


 純粋な力でぶつかり合えば、余程特殊な状況では無い限りスピリットに軍配が上がる。

 勿論エレメンタルの力にも差違は存在する。

 中には強力なエレメンタルを求め、契約と契約破棄を繰り返す『厳選』と呼ばれる行為を行う魔法師も一定数いる。(個人的には気に食わないが)

 しかしそれをもってしても、スピリットとエレメンタルでは力の次元が違う。

 問題を挙げるならば、スピリットには明確な自我があり、さらにゼロの人格は少し――いやかなりクセのあるものであるということだ。

 ちなみにその無の精霊様は現在何をしているかと言うと、


「ここが今の世界か。変化が何もないように見えて、結構変わっているもんだねえ」


 ひょいひょいと軽やかな足取りで、踊るように周囲を見渡している。


「そりゃあ五百年も経てば結構変わるんじゃないか?」


 変わらないことと言えば、そこに住む人々の活気くらいだろう。


「建物の外見とかもちょびっと変わってるし、なにより魔道具の普及率が凄まじいね。僕が封印されていた時には、ああ言ったのは貴族や王族しか持ってないものだったものだよ」

「確か本にもそう書いてあったような……」

「本なんてメじゃないぜ。何せ僕は、実際に目にして耳にしてきたんだぜ? 歩く歴史書とでも呼んでくれたまえ」


 ふっふんと胸を張るゼロ。

 確かに悠久の時を生きる彼女だからこそできる芸当ではあるのだろう。


「でもそれ、自分が見聞きした情報に限られるって事だよな」

「余計なコトは言わんでよろしい」


 少し機嫌を損ねたようにぷくっと頬を膨らませる。

 こう言うときのゼロは、威厳の欠片も無い普通の女の子のように見えるな。


「おや、随分と面白い評価をくれるんだね君は」

「さらっと人の心読むの止めてくれない!?」

「ふうん? まさかと思っていたがビンゴだったみたいだ。で、僕がなんだい? 言ってみてくれたまえよ、ん?」


 ニヤニヤと笑いながら上目遣いでこちらを見やるゼロ。

 ちょっと可愛いと思ったらこれだ。

 やっぱ油断できねえ……!

 そう思いながらも、一つの建物を前に足を止める。


「ほほう。これが君のアパートメントかい? 随分と洒落てるね。ぱっと見ただけでも丁寧な仕事が施されている。匠の技だ」


 このアパートメントを建てた人間が知れば泣いて喜ぶかもしれないし、住民ならどこか照れくさくもなるんだろうな。


「いや、これは俺のクラスメイトが住んでるってだけだ。俺が住んでるアパートメントはあっち」


 指を指した先にあるのは、百メートルほど先にあるボロアパートメント。

 決して不衛生というわけは無いが、見るからにガタがきていてみすぼらしいことこの上ない。


「ありゃー……なんともはやだね」

「試しにさっきみたいなノリで褒めてみてくれ」

「あんな素材で人の住める建物を作ろうとする蛮勇は認める、と言ったところかな」

「ちょっと待て本当に大丈夫なのか俺のアパートメント!?」


 一応学校の認可を受けているので、そこまで致命的な欠陥住宅ではないはずだぞ。


「しかしまあ、面白いくらいの格差だね」

「あっちとこっちじゃ、値段が十倍以上も違うからな。妥当と言えば妥当だろ」


 俺のアパートメントはこの学生街で一番家賃が安い。

 不動産屋で一番安いのをお願いしますと言ったら、紹介されたのがあのアパートメントだったのだ。


「まあ住めば都って言うだろ。結局は慣れだよ、慣れ。異世界じゃ蛍の灯りで勉強してた学生もいたって言うしそれよりはマシだろ?」


 アパートメントはボロいにはボロいが、ちゃんと水も流れるし灯りも付く。


「そんな極限状態と比べりゃあねえ……ところで我が主よ。君の経済状況は風前の灯火であることは火を見るより明らかというものだが一つ疑問があってね」

「なにがだ?」

「いやね、君の部屋にベッドは2つあるのかな?」

「……」


 その後厳粛なじゃんけんによって、ゼロはベッドの新たな主となった。

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