第3話 無の精霊
挑戦者を祝福するかのように、壁に設置された松明が点火していく。
相当古いダンジョンなのは訓練用のものと変わらないが、ロクに整備されていないせいか、壁や地面は所々亀裂が入って、本当に『ダンジョン』といった感じだ。
本が再び光を帯び、空白だったページに再び地図が浮かび上がる。
「これが、このダンジョンの地図ってことでいいのか?」
かなり広大なダンジョンのようで、地図が六ページに渡って続いている。
先程と同じように、ゴールと覚しき地点が点滅していた。
「ここに辿り付けば、無の精霊と会えるかも知れないってことか」
確証は無いが、俺はもう後が無い。
地図に従ってダンジョンの中を進んでいくと、目の前に一匹のゴブリンが姿を現した。
ダンジョンでお馴染みのモンスターで一番の雑魚だ。
しかし、どこか様子がおかしい。
緑色の肌の質感や、殺意に濁った金色の瞳が、妙にリアルに感じられる。
「まさか本物だったりしてな」
ハハハーと笑った瞬間、ゴブリンが飛びかかり、棍棒を横薙ぎに払った。
間一髪で避け、直撃は免れたものの、ささくれ立った棍棒が俺の頬を掠める。
微かな痛みと共に、血が頬を伝った。
ホログラムのモンスターの攻撃は痛みこそ感じるもの、肉体的なダメージはない。
血が流れたということは――
「本物じゃねえかあああああああああ!」
絶叫しつつも、精霊剣を抜刀して棍棒を受け止める。
痺れるような衝撃に思わず剣を取り落としそうになる。
訓練用なんかとんでもない。
俺が足を踏み入れたのは、常に死と隣り合わせの、正真正銘のダンジョンだった。
「くそっ、やるしかないのかよ……!」
魔法の知識をこれでもかと詰め込んだ反面、剣の扱いはからっきしだ。
だから使える戦法と言えば、滅茶苦茶振り回すくらい。
しかしどれだけ滅茶苦茶に振り回しても、試行回数が多ければ成功する可能性も上がる。 やがて、一撃が脳天にヒットし、ゴブリンの頭が割れた。
明らかな致命傷だ。
「っしゃあ!」
ぐっとガッツポーズを決める。
「見たか! 俺だって頑張ればこれくらい――」
次の瞬間、ゴブリンは黒板を引っ掻いたような叫び声を上げた。
その甲高い悲鳴に思わず耳を塞ぐ。
断末魔の叫びは十秒ほど続き、やがてゴブリンは電源が落ちたように息絶えた。
念のために剣でつついてみるが、ぴくりとも動かない。
「まったく、さっきの悲鳴は心臓に悪すぎるぞ……」
血を振り払い、剣を鞘に収めようとしたところで、ハタと思い出す。
ゴブリンの特性。
死の間際、絶叫することで――
「――仲間を呼ぶん、だったよ、な」
ギリギリと後ろを振り返る。
複数の足音とギィギィと聞き覚えのある鳴き声が聞こえてくる。
心臓がバクバクとやけにうるさい。
やがて暗闇から、金色の光が合計十――トータル五匹のゴブリンが迫ってきた。
「無理無理無理無理無理無理!」
俺は全力で戦闘を放棄して、脱兎の如く駆け出した――!
このダンジョンに入ってどれくらい経過しただろう。
数時間? 半日? いや既に丸一日経過しているかもしれない。
光源が松明しか無いこのダンジョンは、一日の変化が極めて曖昧だ。
懐中時計を最初の一時間で破壊されてしまったのが痛い。
飲まず食わずで腹は減っているものの、ダンジョンに入る前からこんな状態だったため、腹の減り具合で時間を判断することはできない。
モンスターと遭遇した場合は基本的に逃走を選択するが、どうしようも無いときには戦った。
中には明らかにヤバそうな個体もいたが、その場合は全力で息を潜めてやり過ごした。
それでも満身創痍とまではかないまでも、それなりのダメージを追っていた。
眼鏡のレンズは片方が割れ、フレームも歪んでいる。
制服も既にボロボロ。
体中に小さな擦過傷や切り傷がところどころある。
無事なのは精霊剣と唯一の道標になっている本だけ。
この本のお陰で、なんとか迷わずにダンジョンの中を進めていた。
「コレで何もなかったら、マジで殺す……! 神もへったくれもないぞチクショウ」
天罰確実な悪態を付きながらも、休憩を切り上げて立ち上がる。
地図通りならば、ゴールはあと少しだ。
モンスターをやり過ごしながら進んでいく。
やがて俺の前に現れたのは、巨大な石の扉だった。
「ここがゴールか?」
手で触れた瞬間、ガチャリと開錠音がした。
一拍おいて、重々しい音と共に扉が開く。
一端深呼吸して、部屋の中に入る。
部屋はかなり広く、四方には四体の青銅製と覚しき巨大な像が配置されており、威圧感が凄まじい。
だが部屋の内装など、部屋の中心に目を向けた瞬間、どうでもよくなった。
透き通るような短い銀髪に、健康的に日に焼けた肌。
だらりと顔が下がっているが、少女が美しい存在であると理解できていた。
美しいと言う認識を、問答無用で叩き付けられている。
暴力的なまでに美しいその少女はしかし、両腕を鎖で拘束されていた。
元々小柄と言うこともあってか、その様は非常に背徳的で、冒涜的だった。
「生きて、いるのか……?」
「……んー?」
ゆっくりと、少女が顔を上げた。
やはり少女は、美しかった。
どこかあどけなさが残りながらも、妖艶な色香を醸し出す絶妙な顔立ち。
左目の黒い眼帯も、彼女の雰囲気を壊さず決して浮いていない。
「こんな所に人間が来るなんて久しぶりだね。少なくとも五百年ぶり、くらいかな? ここはどうも時間の感覚が狂っていけない」
はははと笑う少女の口ぶりと纏う空気から、彼女が人間で無い事が分かる。
となると精霊と言う事になるのだが――エレメンタルでも、ない。
であれば、彼女が。
彼女こそが。
「――無の精霊、か?」
「いかにも。我が名はゼロ。契約者に栄光と破滅を約束するスピリットさ」
ニイッと、少女――ゼロは八重歯を覗かせた。
頬をつねってみるが、夢ではない。
予想が当たったことにはなるが……それでも迂闊に信じられない。
それだけ衝撃の出会いを得ても、俺の口から飛び出たのはすごい、でも俺と契約してくれでもなく、
「えーっと、大丈夫か?」
なんて、そんな他愛もない言葉だった。
「?」
「いや、ほら。こんな所に捕まっているからさ」
しばらく目を瞬かせていたゼロは、やがて苦笑した。
「おいおい、侮って貰っちゃあ困るぜ。僕はスピリット……これくらいで音を上げるとでも思っているのかい?」
「耐えられるのと嫌なのとは別の問題だろ」
「ふむ、確かにそうだね」
一理ある、と頷く。
「実際退屈なんだよ。深い眠りに付いているのならまだしも、動けないだけで意思はあるって状態だからね。それが数百年単位とくりゃあ、一人しりとりのネタも尽きてしまうというものさ」
「……なんでこんなところにいるんだ?」
封印された、とは聞いていたが。
「出る杭は打たれるってヤツだよ。偉大であれば偉大であるほど、人間からは疎まれるというものだ。まったく、僕が何をやったって言うんだい。さっぱり分からないよ」
「そりゃ嘘だろ。絶対心当たりはあるよな?」
歴史上、彼女と契約した人間は大きく二つの結末を迎えている。
一つは栄光に満ちた輝かしい結末。
そしてもう一つは、破滅に溺れる悲劇的な結末。
栄光と破滅を約束するという彼女の言葉は決して嘘ではない。
天使と悪魔。
二律背反の評価を持つスピリット……それが彼女なのだ。
「失敬だね。僕はただの道標だ。どう選択するかは契約者次第だよ。その結果が喜劇であれ悲劇であれ、一つの結果であるという事に変わりがないじゃないか」
まるで悪びれている様子がない。
と言うより、人間とはまるっきり違う価値観を持っていると言うべきか。
「それで、俺はどうすればいい?」
「うん?」
「おまえをここから解放するにはどうすればいいんだ?」
こんな薄暗いところでずっと封印されている――しかも意思がある状態で――のを見させれられて、そのまま放っておくのは気分が悪い。
「君ねえ。僕は精霊だぜ?」
「関係あるかそんなの。ここにずっと留まりたいと言うのなら別に構わないけど」
「そんなワケないだろう? こっちは五百年も封印されているんだぜ。いい加減世界が恋しくてたまらないんだよ」
食い気味に言ってきたゼロに、だろうなと頷く。
「少なくとも、君の力でこの鎖を引きちぎるなんてことは不可能だね」
「そんならとっくに自力で脱出できるもんな。こんなダンジョンを作った意味もないか」
非常にキツかったが、俺でもここまで来れたことを考えると、ダンジョンの難易度はそれ程でもなかったのだろう。
きっとフィオナあたりなら欠伸混じりで攻略してしまうかもしれない。
本当の試練はここから、と言うことか。
「ダンジョン? ははああいつめ。堅物かと思ったらちゃんと遊び心が芽生えていたとみえる」
何がおかしいのか、くつくつとゼロは静かに笑った。
「ありがとう少年。それが聞けただけでも行幸だ」
「感謝されても何がなんだかさっぱりなんだが」
「こっちの話だから気にしないでくれたまえ。話を戻そう。この鎖は非常に頑丈だ。僕が力を行使しようとすればその魔力を根こそぎ奪ってしまう。けどね、正式な手順を踏めばあっさりと僕は解放されるんだよ」
「どう言うことだ?」
「契約だよ」
その言葉の内容が、一瞬理解できなかった。
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