二週間が、あっという間に過ぎた。

執務室の電話が鳴る。多田より先に佐久間が出た。交換手から告げられる。

「鹿野探偵事務所の鹿野さんから電話が入っております。お繋ぎしますか?」

「ああ、頼む」

冷静に応えた。ふと甦る。

調べてくれたのか。さて、どんな案配だろう…。

受話器を耳に当て待つ。

「おお、佐久間か。鹿野だ、待たせたな。出来たんで電話したが、どうだ今晩空いているか?」

「ああ、大丈夫だ。忙しかったんだろ。無理させっちゃったな」

「何を言う。お前の頼みじゃ、早くせざろう得まい!」

「まあな。俺も立場上、厳しい状況にある。このまま罠に嵌まるわけにいかんからよ」

「そうだろ。お前の睨んでいた通りだ。奴さん相当派手にやっているな。側面からでしか調べられなかったが、まあ詳しくは会って話すよ。それじゃ、何時ものところで六時でどうだ?」

「了解、それじゃその時に」

佐久間は要件だけ聞き電話を切った。

鹿野の掻い摘んだ報告は、佐久間の予想を遥かに超えていた。だいぶ苦労をさせたようだが、的確に調べ上げていた。

「まあ、そういうことだ。詳しい内容は、調書を読んで貰えば分かる」

「そうか、有り難う。無理させて悪かった。この礼は、必ずさせて貰うから」

「ああ、それにしても、奴は遊び人だな。とっかえひっかえ女とホテル通いだものよ」

鹿野が感想を告げた。そして、更に付け加える。

「確かに、これだけ女関係があれば、そりゃ必要だろうな。一介のサラリーマンが遊べる額じゃないぜ。まあ、親の遺産でもあれば別だが。ついでに調べてみたが、そんなものなかった」

行きつけの小料理屋のカウンターを陣取っていた。話が一段落したのを見計らい、女将が酌をする。

「さあ、一杯どうぞ?」

「有り難う。それじゃ頂こうか」

徳利を傾けられ、鹿野がぐい呑みに注いで貰い喉に流し込む。代わって佐久間にも勧めた。

「それにしても派手だよな。いや、五時以降のことだが。奴には決まったホテルがあって、そこに複数の女性を日替わりで引っ張り込んでいるんだからよ。強欲さには感心するぜ」

「そうか、そんなに派手にやっているのか。よくもまあそんなことが出来るな」

「おい、佐久間。関心している場合じゃねえぞ」

「うん、そうだが」

「ところで、どうなんだ。俺の方では病院内までは調べられねえが、その辺はお前が関係部署をあたったらどうだ。案外ぼろぼろ出て来るかも知れんぞ」

鹿野が促し詮索した。

「ああ、そうするよ。でもお前のおかげで、奴の素行が分かった。俺もこういうことには疎いしな。医者というのは、人命を救う使命感で働いているようなもんだ。医療に関しては懸命に勉強するが、そればっかりだ。偉そうにしているが、他のことがからっきし分かっちゃいねえ。言ってみれば片端もんだぜ」

「確かに、お前の言う通りかもしれんな。俺らみたいに、人の秘密を暴く仕事をしていると、人間の裏まで立ち入らなきゃならねえ。そりゃ自然と図太くなるさ。まあ、社会の裏を知ったからと言って、世渡りが上手くなり、偉くなるとは限らねえがよ。

この俺を見ろ。小さな探偵社ぐらいが関の山だ。それに比べ、お前はすごい。この医療業界じゃ、その名を轟かせている。立派なもんだぜ」

「いいや、それが成功かは分からん。ただ、俺は人の命を救うことに、最大限努力しているだけだ。何時も神経を張り詰め、体力の限界まで挑戦する。

それで患者が救われればやり甲斐が湧くけれど、すべてが助かるとは限らん。結局、死ぬ者もいる。そんな時は己の力不足を痛感し、大切な命を失ったと後悔の念に駆られる。そんな毎日だよ」

「そうか、お前の仕事も大変なんだな。それに比べりゃ、俺のやっていることなど大したことねえな」

鹿野が謙遜する。すると佐久間が、がらりと話題を変える。

「ところで鹿野、お前どこか具合の悪いところないか?」

「ええっ、何で急にそんなこと聞くんだ?」

「いや、ちょっと気になってな。じつは先日、俺らと同年輩の患者が急患で運ばれてよ。診察したら末期癌で、手の施しようがなかった。問診の結果、定期健診を仕事の忙しさにかまけて受けずにいたという。身体の不調を我慢するだけ我慢し、耐えられなくなって倒れたらしいんだ」

「本当かよ。そういえば、俺も成人病検診や定期健診なんか受けたことない。まあ、今のところ何処も悪くないし、大丈夫じゃねえか」

「あいや、鹿野。その考えは甘いぞ。病というのは、症状に表れなくても進んでいる場合が多い。自覚症状がないからと、放っておくと手遅れになるぞ!」

「特にお前の場合は、生活が不規則になる職業だ。それに毎日と言っていいほど、酒びたりになっているらしいな。肝臓という臓器は悪くなっても何も言わない。症状が出たら、一気に逝くんだ。そん時には手遅れで処置不能となる」

「本当かよ。そういうことは俺には分からねえし、今まで意識したことないからな。しかし、お前の話を聞いていると、少々不安になるぜ」

鹿野が腹を摩り心配顔になる。そんな様子に佐久間が勧める。

「ちょうどいい。今度、俺のところへ来い。人間ドックというのがある。これで身体の隅々まで調べてやるから。そうだ、来週辺りどうだ。時間作れないか?」

「また、そりゃ急だな」

「何を言う。お前の仕事は、依頼者の急な頼みに対応しているんじゃないのか?」

「まあ、そうだが」

「それだったら、そうだな一日時間をくれ」

「そうは言うけど、丸一日となるとちょっときついな」

「阿呆なこと抜かせ。お前だって死にたくないだろ」

「そりゃ、まだ死にたくねえよ」

「それだったら、必ず作れ。すべて調べてやる。これだけ世話になったんだ。何か恩返をしたいと考えたが、俺は医者だ。これくらいしか出来ない」

そう言われ、戸惑うも了承する。

「それじゃ、何とか調整してみら。来週か。まあ急な話だが、『死にたくねえのか』と言われちゃ、作らにゃならんな。名医のお前に脅かされちゃ、受けにゃなるまいて」

「ああ、万が一癌でもみつかれば、早期のうちなら助かる確率が高いからよ」

「おいおい、脅かすな。今のところ、どこも痛いところがないんだからよ」

「いいや、分からんぞ。お前の場合は昔から女好きだ。あっちの方が犯されているかもしれん。遊びが過ぎると、梅毒という怖い病気にかかこともある。それに酒浸りじゃ、肝臓癌の疑いだって否定できん。そうだ、それに致命傷がある」

「な、なんだよ。俺は、そんなにしょっちゅう女遊びしてねえや。そりゃ、たまには買うこともあるが、ちゃんと着けているから心配ない。それに、その致命傷というのは何だ…?」

「これか、それなら今から診断してやる。鹿野、軽く握った拳を出せ」

「軽くって、こうか?」

「そうそう、少し力を入れてみろ」

「ああ」

鹿野が力拳を作る。

「入るか?」

「ああ、ほれ!」

目の前で、力瘤を見せる。

「うむ、大丈夫だな」

「…」

「それじゃ次に。その力瘤を頭上に掲げてみろ」

「ええ、何するんだ。こ、こうか?」

「そうだ」真顔で応えて告げる。

「それで、軽く頭を叩いてみろ」

「どうもお前のやらせることがよく分からん。腑に落ちんな…。こうか?」

躊躇いつつも、握り拳で頭を叩く。

「鹿野、響くか。頭、痛くないか?」

「いいや、別に何ともないが…」

佐久間が眉間に皺を寄せる。

「うむ、そうか。特に異常はなさそうだ。医学的に言えば、今のところは大丈夫か。ただな、こればかりはどうにもならんか」

「なんだよ、佐久間。どういうことだ。どこか悪いところがあるのか?」

「うむ…、少々話し辛いが。どうしても聞きたいか?」

「ええっ、それって治らねえ病気か!」

「ああ、残念ながら手遅れというか、何だ…」

すると目を白黒させ、慌てふためく。

「手遅れって、何とかしてくれ。お前、名医なんだろ!」

「そう言われてもな。名医といっても…、すべての病を治せるわけではないからな」

「随分冷てえこと言うじゃねえか。お前、さっき言っただろ。世話になったって。恩返しがしたいとよ」

慌てる鹿野に、佐久間が平然と応える。

「言ったよ。だから、来週検査してやるから」

「待てよ、そんな悠長なこと言っている場合じゃねえんだろ!」

「そう言われてもな。お前の場合、響きがよすぎるんだよな」

「何だ、それって。訳の分からんこと言って…」

「これは手遅れというか、先天的なものだな」

「ええっ、何を言ってんだか益々解らん」

不可解な説明に、頭の中が混乱しているのかうろたえていた。そんな慌て振りなど気にせず、平然と酒を勧める。

「まあ、気を静めて一杯どうだ」

「おいおい、そんな暢気に飲む気分じゃねえぞ。生きるか死ぬかと言う時に、酒なんか飲んでられるかよ!」

動揺する鹿野をよそに、ぐい呑みに酒を注ぐ。そして自分のにも注ぎ、構わず口に運んで続ける。

「この響きから診断すると、どうしようもないな。治療をしたところで増えるわけじゃないし。何を施したところで回復の目途など見込めんぞ」

「佐久間、そんなに悪いのか…」

「まあな、手遅れと言うか脳みそが足りねえのは、どうしようもねえか…。本来叩いた時、鈍い音になるのが普通なんだが。それがあまりにも響き過ぎる。鹿野、諦めろ。こればかりは治らん」

しゃあしゃあと告げる佐久間に、ぽかんと口を空けた。

「どうした、気分でも悪いのか。どれ、脈でも診てやろう。それと、応急処置はしてやるから」

腕を取り、顔色を惚け見た。

すると気づいたのか我に返り、切迫していた気持ちを一挙に吹き飛ばす。

「馬鹿野郎。佐久間、何ていうこと抜かすんだ。ああ、びっくりした!」

「あれ、どうした。お前の身体が悪いなんて、一言もいっちゃいない。その頭の響きが、どうにも気になり心配したまでだ。何だか、やけに不安気な顔していたが、頭がいいと勘違いされては困ると思ってよ。それで心配してやったんだぞ」

「何言ってやがる、そんなの元々だ。端から分かってら。それを妙なことを言い、脅かしやがるから心配になっちまって、慌てたんじゃねえか。ああ、冷や汗かいた。これの方がよっぽど身体に悪いぞ!」

顔を崩しながら怒鳴った。と同時に、見合い大笑いになっていた。

酒が進んでの戯言は、二人の絆をより深くする。程よい酔いに、何時までも笑い声が尽きず、そんな中で鹿野が時間を割き、調べてくれたことに感謝した。

だが、佐久間はそれ以降多くの急患治療やオペに忙殺され、側面調査から得た情報を基に、医院内での詮索が出来なかった。




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