第三章画策一


糸川は満面の笑みを浮かべた。

「なあ、佳織。上出来じゃないか。筋書き通りだ。こんなに上手くいくとは。佐久間もちょろいな」

並び歩き嘯くと、佳織が満足げに返す。

「そうね。佐久間先生ったら、心配顔していましたよ。課長が上手く陥れて。それに嵌ってさ、『他に同じような事例はあるかね』 だって。惚けて私に聞くんだもの。伊藤先生の話をしたら、身を乗り出してさ。思わず噴出しそうになっちゃった」

「たしかにな。まあ、本当のことだから。病院側に提出する際、オペ同意書未添付と書いてみろ、業務部長だけではすまないぞ。院長だって困るだろ。理事長に釈明しなければならんからな。更に未徴求理由を記すれば、今度は先生の尻に火が点く」

糸川がどうだと言わんばかりに、つんと鼻を上げる。

「ここのところを、少し誇張しただけのことだ。そうだろ」言いながら、軽く尻を撫でた。

「きゃっ。こんなところで、何をするんですか!」

「いいじゃないか、上手くいったんだから。その褒美だよ」

「嫌ね。それとこれとは別です!」

「あれ、そうだっけ。てっきり褒美に触らせると思ったのに」

「まあ…」呆れ顔で糸川を見た。そして、思惑があるように強請る。

「分かっていますよね、今回の成功。余計なこと言わなかったでしょ」

「おお、助かっている。変なこと言われたんじゃ、計画が狂うからな」

「そうでしょ。だから私、言われるままに従ったの。そのご褒美、楽しみにしているから」

「それは、分かっている。今晩は激しく、艶めかしく。そしてひいひい言うくらい甚振ってやる」

「まあ、課長ったら。嫌らしいこと言わないで。そんなこと言われたら、少し感じてきちゃったわ」

「そうかい。それはいい。もっと焦らせば、一段と求めてくるだろうからよ」

「まあ、嫌な人…」込み上げるのか、上気する気持ちを抑えていた。

「さあ、これから戻って。今日の経緯を調書に記録しておくか。佳織、時田君から書類預かっているよな」

「勿論よ。それに引き継いだ経緯も、書き加えておいたわ」

「それでいい。そしたら今日の件は詳しく書いてくれよ。それと、佐久間先生に渡した書面の写しがあるだろ。それも経緯書に綴じておいてくれないか」

「多分、そう指示されるだろうと、すでにファイルしておきました。それに戻ったら、今回の約束事項を記録して、課長のところへ持っていきます。もし、漏れがあれば書き加えますから」

「佳織君、やっぱり君は優秀だ。さすが見初めただけはある。大したもんだよ。それに、あっちも具合がいい。俺の見る目が正しかったぞ」

「嫌だ、課長ったら。そんな卑猥なこと言って。まったくエッチなんだから。…でも、そんなこと言われたら、夜まで待てない」

くすんと鼻を鳴らした。

「少しの辛抱じゃないか。とにかく、経緯書の方頼むよ」

「分かったわ。我慢する」

「そうそう、それが大切なんだ。待てば待つほど、その時の歓びも倍増する」

「ああん。そう刺激しないで。もう駄目…」

「おっと、いけねえ。これ以上刺激したら、盛りのついた雌馬が暴走しかねねえ。どお、どお、どお」

佳織の尻を摩るように叩く。

「うっふん、駄目よ。そんなことしちゃ…」

大きな尻を左右に揺らした。

席へ戻り、早速上司の安田部長へ報告と電話を入れる。

「もしもし、糸川ですが。部長ですか?」

「ああ、そうだ。何か用かね?」

「はい、じつは今しがた佐久間先生のところへ例の植草の件で行きまして、そのことでご報告にお伺いしたいのですが?」

「ああ植草の件か。一体どんなことを先生に話したんだね。今ちょっと手が離せんのだ。もしかして、期末決算での処理のことかね?」

「ええ、その通りです。まあ、私の考えを申し上げただけなんですけど」

「そうか、それなら君に任せるよ。好きなようにやってくれ。但し、私に責任が及ばぬよう配慮してくれよ。それだけは頼むぞ」

「勿論です。我が課で起きる問題は、部長の責任下にありますが、心配しないで下さい。その辺は充分心得ております。部長の功績になるよう計らいますから」

「おお、頼むよ。君には世話をかけるが、業績評価の際には一筆入れておくから」

「それは有り難うございます」

「ところで植草の件で、のっぴきならぬことでも起きたのか?」

「いいえ、解決できぬ問題ではありません。わざわざ部長の手を煩わすまでもなく、私の下で充分解決できますので、どうぞご安心下さい」

「そうか、それはよかった。まあ、君のことだ。諸事解決するのに、俺の力など必要ないだろう」

「ええ、お任せ下さい!」

「頼んだぞ」

「了解致しました。それでは失礼します」

糸川が受話器を戻し、心内で嘯く。

てやんで、調子のいいこと抜かしやがって。何時もこれだ。ろくすっぽ聞きもせず、「君に任せるよ。俺の力など不要だろう」だと。まったく能天気な野郎だぜ。まあ、こっちもその方が都合いい。それに「万事任せる」だと、俺も部長の阿呆面を拝まずにすんだぜ。

下心があるように、にやっと笑った。

「さてっ、始めるか!」と発し、糸川はデスクに片肘をつき、何やら考え始める。勿論、これからどうなるか推測していたのだ。

とにかく、佐久間を慌てさせる。奴も言っていたが、自ら動くことはない。多田に経過を話し、「患者の回診やオペで忙しい。とてもそこまで手が廻らない」と屁理屈を並べ、受け取った書類を手渡し、記載期日までにオペ同意書を回収するよう指示するだけさ。

いや、すでに何度も指示しているかもしれん。うむ…。するともしや万策尽きていて、回収できずに泣きついてくるかも知れんな。そんな下心があるから、他に同じ事例はないかと探りを入れてきたんだ。そうに違いない。

…とすれば。先手を取って対抗策を打てば、こちらに火の粉を飛ばされずにすむ。もし、そこいらをとちり直接院長に泣きつかれたら何とする。絶大な信用を得ているんだ。院長が握り潰すかもしれない。佐久間は我が病院にとり、なくてはならぬ存在だ。故に彼の肩を持ち動かれたらどうする。

それどころか、未だ入金にならないことの方へ転化されたら、俺はどうなる。これはまずいぞ…。

いや、ちょっと待て。少し考え過ぎかな。よもや院長とて、規則を蔑ろにするわけにはいくまい。そうかと言って、今やうちの知名度向上に、大きく貢献している佐久間を思えば。それに万が一、植草側がオペ同意書を意図的に出さずにいるとしたら。それも連絡一つもないことを考えれば、その同意書を取らずにオペを施し、今だ意識が戻らぬことを盾に、手術の失敗と嘯いて裁判沙汰にするつもりか?

そこで「オペ同意書も取らずに、手術をするとはけしからん。説明も貰えず同意などしていない」と訴えるかもしれない。そうなると、どうだ。病院として対抗できるのか。一銭も入金なければ、訴訟を起こしたところで、そう判断されるだろう。せめて、いくらかでもいい。たとえ千円でも一万円でも入金があれば、支払い意志有りということで、そのような理屈は通らない。

となれば、佐久間の奴…。その点を院長に入れ知恵し、俺に責任を転化するつもりか。そんな針の一穴から、よもや密ごとが露見したら…。うむむ、これはまずい。のんびり提示期日まで待っていては、いらぬ方向に進むかも知れんぞ。

長い間頬杖をつき、目線を集中させ一心不乱に憶測していた。凝視したその瞳が、異様な輝きを放つ。すると、何かに弾かれたように天井に目を移した。「ふうっ」と息を吐き、肩の力を抜く。

まあ、いいか。今日のところは、一応の成果を挙げたんだ。筋書き通りに行っているし。それでよしとするか。

心内で納得し、「ああ、神経を使ったんで少々疲れたな。仕事が跳ねたら、一杯やって帰るか…」何の気なしに呟いた。

すると、聞き耳を立てていた玉山が、目ざとく顔を向ける。

「課長、いいですね。このところ決算が近いので、ご無沙汰していますからね。どうですか、行きますか。仕事もある程度目鼻がついたし、皆行かないか!」

目を輝かせ、賛同を得ようと声をかけた。

糸川は驚いた。そんなつもりで言ったわけではない。慌てる。

「いいや、今回は駄目だ。玉山君、まだ終ったわけじゃない。そんな悠長なこと言ってられんぞ。なあ、多恵君。君だってそう思うだろ」

近藤に振った。すると意に反する。

「いいえ、私は構いませんよ」そう応えられ、益々慌てる。

「あれっ、そんなことないだろ。慎重な君の返事とは思えんな」

すると意外にも、時田も望む。

「課長、たまには宜しいんじゃないですか。私がこんなこと言うのもなんですが、皆さんに迷惑ばかりかけてその償いにお酌しますから」

「と、とんでもない。いや、そんなことしなくていい。そんなつもりで担当を代えたわけじゃないんだから!」

皆の同意を抑え、気張った。

「とりあえず玉山君。今日のところは仕事を優先させよう。決算が終った時に、ぱあっと精算業務課全体でやろうじゃないか。その方がいい。まだ、乗り切ったわけじゃないから。油断していると、何が起きるか分からんぞ」

すると、頃合いを覗て佳織が口を挟む。

「あの、私今日駄目なんです。恵理子さんから引き継いだ患者の件で、先程佐久間先生のところへ行き、いろいろやり取りしたんで、経緯書を整理しなきゃならないの。それに結構重い仕事だから、そんな気分になれないわ」

「ほら、見ろ。決算前の大事な時期だ。こんな重要案件が未処理のままになっているのに、気を抜いておられんぞ」

これ幸いと理屈をつけ念押しする。

「その辺、玉山君よく考えてくれ。君がリーダーなんだから!」

「はい、余計なことを言って申し訳ありません」

頭を下げ黙ってしまった。何とか誘いを断り、ほっとして佳織を垣間見る。平然とパソコンに向っていた。

何の気なしに漏らしたひと言で、危なく今夜の約束を反故にするところだった。危ねえところだったぜ…。

ほっと胸をなでおろす。

さてっ、ひと頑張りするか!気持ちを切り換え、パソコン画面を覗く。

メールが届いていた。佳織からである。一瞬背筋を伸ばすが、悟られぬよう欺く。

「あれ、メールが来てら。何だ、業務部長かよ。わざわざよこさなくても、電話一本くれればいくのによ。しかし、何の用だ。決算時期だ、発破でもかけてきたかな」

嘯き、手際よくメールを開けた。すると、意外な文章が踊る。

「分かっているわね、今晩のこと。約束を違えたら許さないから。それと、余計なこと言わないで。それでなくても、私たちのこと知られている可能性があるのよ。気づかれないようにしなきゃ。それじゃ今晩、ファイト!」

糸川の顔がにやけ嘯く。

「うむっ、やはりそうか。思っていた通り、部長からの激励か。はいはい、分かりました。期限までには、必ず仕上げますから待っていて下さいよ」

辻褄を合わせ、メールを閉じた。

「とにかく今日は疲れたな。皆、忙しいところ悪いが、どうも風邪気味で頭が痛くてたまらん。そんなんで大切な時期だし、こじらせて君らに迷惑をかけるわけにいかんから、定時で上がらせて貰うよ」

腹にないことを言い、続ける。

「早く帰って、玉子酒でも飲んで早寝するか。たっぷり汗を掻けば、明日には治るだろうからな。皆、頼むぞ。玉山君、宜しく!」

玉山が名誉挽回と促す。

「了解しました。早くお帰り頂き、ご滋養下さい。もしこんな時期に、倒れられたら大変だ。課内が混乱し、決算も乗り切れなくなる。それに、部長からも発破がかかっているようですから」

「うん、悪いな。無理すれば大丈夫だと思うが」

「いいえ、それはいけません。そうやって無理すると、後から堪えるんです。それで長引いては元も子もない。無理しないで下さい。皆で頑張りますから。なあ、みんな!」

「ええ、課長。早めにお帰り下さい!」

狡っからく、多恵が点稼ぎした。

「心配してくれて有り難う」

申し訳なさそうに告げ、腹の内で呟く。

はて、妙な具合になったもんだ。嘘も方便というか、今晩密会があるとも知らずに。皆揃って、おべっか使いやがってよ。

そこに輪をかけ、多恵が気遣う。

「課長、本当に大丈夫ですか。もしなんなら、終礼まで一時間足らずですから、辛いようでしたら早めにお帰りになってはどうですか。無理するといけませんので。ねえ、玉山君。そうして貰ったらどう?」

「ううん、そうだよな。課長、是非そうして下さい!」

玉山が同調した。

「いいや、それもどうだろう。皆が頑張っているんだ。風邪の頭痛ぐらいで、早退したんじゃ申し訳ない。なあ、恵理子君」

「いいえ、そんなことありません。課長は精算業務課の柱です。無理なさって倒れられたらどうしていいか分からなくなります。玉山係長、多恵さん、早く帰させて下さい。それで、お薬飲んで充分休養してください」

「そうですよ、少々早く帰られても、どうと言うことありません。それより無理が大敵だ。さあ、帰って下さい!」

玉山が促すと、全員の目がせっついた。

「そうか、それまで心配してくれるなら帰るとするか。何だか気が引けるが、お言葉に甘えさせて貰うかな」

「そうして下さい。こういう時は、皆の意見を聞くべきです、課長!」

「分かった、分かった。玉山君、それじゃ帰らせて貰うよ」

額に手を当て、さも頭痛を堪える振りして席を立った。病院を出ながら、妙な気持ちになる。

今晩に備えるつもりで、軽く一杯やってからと喋った時から、妙な方向へ進んだもんだ。まあ、いいか。それなら、サウナでも入って疲れを取るか。それから落ち合うぞ。

小一時間早く退け、時間潰しにと心内で決めたが、ついと考えが及ぶ。

ああ、そうだ。時間と場所を携帯に入れておこう。佳織も妙な気分だろうな。こんな展開になってよ。玉山の奴も張り切るだろうから、上手くかわして定時で終えられればよいが。まあ、こんな案配だからそうはいかんだろうが。三十分ぐらい残業する振りして、頃合いを見て出ればいい。それじゃ、早速入れとくか。

メールを入れる。程なくして返信メールが届く。開けてみると、「午後六時でオーケー」と入っていた。それに追申として、「愛し合う前に、美味しいもの食べさせて」と書かれていた。読みながら苦笑する。

「こいつ、甘えやがって。そうだな、せっかく楽しむんだ。今日のこともあったし、思いっきり贅沢するか。それにホテルもちょいと豪華版にしよう。さすれば感動して、激しく燃えるだろうて」

上気しつつ漏らした。

それにしても、今日は充実した一日だった。この調子で、今夜も濃い夜にしたいもんだぜ。

ほくそえみながら、彼女からのメールを読み返しては、淫らな体制で悶える姿を想像していた。

渋谷駅から歩いて一〇分ほどのサウナに入る。

さあ、たっぷり汗を流して疲れを取っておくか。これから佳織と励まなければならんでな。

うんにゃ、これは課員一同の要請だ。玉子酒とは行かんが、あっちの方に効くドリンクでも飲んで、美味いもの食ってスタミナつけんと。風邪の引き始めは、濃密なあそこのエキスが効くからな…。

そんなことを考えていると、下半身が疼いてきた。そっとタオルで隠す。それとなく気づかれぬよう見ると、もっこりと盛り上がっていた。気恥ずかしくタオルを浮かせ、何食わぬ顔で周りを窺がうが誰もいない。さもあろう、まだ早いせいか客数が極端に少なかった。

スチームの熱が身体全体に染み渡る。今日は気張ったせいか、疲れが取れていくように汗が噴き出してきた。一〇分程サウナ風呂に入り、三分冷水をかけ冷やす。持続力を高めるため数回繰り返した。都合三十分程サウナに入ってから、待ち合わせの場所へと向った。

喫茶ロビンフットに入ると、すでに佳織が待っていた。

「よおっ、もう来ていたのか!」

元気よく声をかける。

「あら、顔つやがいいわね。何かあったの?」

座る糸川に佳織が尋ねた。

「風邪気味なんでね。少々時間があいたから、サウナに入って汗掻いてきたよ。おかげで治ったみたいだ。やはり初期の風邪には、汗を出すのが一番いい」

「そう、サウナに行ってきたの。でも、さっきは滑稽だったわ。思わず噴き出しそうになったけど、皆真剣な顔して心配するんだもの。可笑しくて」

笑いを堪え思い出していた。

「いや、俺も。定時で帰ろうと軽くジャブを打ったら、思わぬ展開になった。まあ、佐久間の件があったから、多少力んで仕事してたしな。気疲れしたことは事実だよ。それにしても、とんだハプニングだった。まあ、せっかくだから、これから真剣勝負と思い、サウナで金冷法により鍛えてきたんだ」

「まあ、そんなこと言って。私を悦ばせているつもり?」

「ああ、勿論だ。この前約束したし、何時もの二倍はひいひい言わせてやる」

「そう、それなら期待するわ…」

「任せておけ。そのために金冷法で鍛えたんじゃないか」

「あら、そうなの。でも、さっきから金冷法とやらを強調しているけど、一体何なの?」

「いや、それは秘密だ」

「何だかその言い方、いやらしそうな顔して嫌だわ。でも、少し興味ある…」

「知りたいか?」

「そういわれると、知りたくなっちゃう。何なの?」

すると、おもむろに頷く。

「それなら教えてやってもいいがな」

糸川は鼻の下を指で擦り、色目で喋りだす。その仕草を見て、「何よ。その目つき、いやらしいわ…」気恥ずかし気に振舞うが、情欲をそそられる。

「うっほん。金冷法とは、そもそも漢字で書くとどんな文字だか分かるか?」

「そんなの分からないわ」

「それはな、…云々。それを繋げて金冷法と説く。どうだ、分かったか?」

「まあ、嫌だわ。そんな卑猥な文字を書くの。知らなかった。そんなこと聞いて、ああ、恥ずかしい」

「いや、恥ずかしがることはない。具体的な鍛え方としては、その作業を繰り返す」

「へえっ、そんなことするの…。考えただけでもぞくぞくする。それで、効果あるの?」

期待を込め尋ねた。

「それは抜群だ。まず、強度が鍛えられる。それにな、持続力が数倍強くなるんだ。どうだ佳織、すごいだろ。想像してみろよ」

「ええっ、想像しろって。何よ、いやらしい。あなたの金冷法とやらの行為を想像しろって言うわけ?」

「そうだ。お前の中で大暴れし、長持ちしてみろ」

「うふん、そ、そんなことになったら、気が狂ってしまうわ…」

「どうだ、そうなりたいか?」

耳元で囁くと、鼻を鳴らす。

「ええ…。その金冷法というのいいわね。早く行きたいわ」

「まあ、そう焦るな。夜は長いし、そのためにスタミナつけなきゃ、最大の効果は得られんからな」

糸川の満ちる話しに、すがる目の佳織がいる。

「そ、そうね。問題はスタミナよね。途中で息切れしたら元も子もないもの」

鼻から抜けるように、上ずる返事になっていた。

「そうと決まったら、美味いもの食いに行こうぜ。たらふく食って勝負せにゃ。一、二ランドぐらいじゃ、金冷法の成果とは言えねえから」

「あら、随分大きくでるわね。何時もは二回持てば上出来と言っていたくせに。それを卑猥な鍛錬でと豪語するのね。分かった、受けて立つわ。それで腰が立たなくなっても知らないから」

「言ったな。そっちこそ、締まりがなくなっても、知らんぞ」

「まあ、そんなこと言って。周りの人に聞かれたら恥ずかしいでしょ」

更に上気し窺がうが、店内は疎らで誰も聞いていなかった。

「そうと決まれば、腹も減ったし飯食いに行こうぜ」

急かせ席を立つ。その後を佳織が尻を揺りついて出た。目的は決まっている。空ろな目がそれを示していた。

近くの鰻屋に腰を下ろす。ビールを頼むついでに、二、三のつまみを添えた。運ばれてきたビールを軽く合わせ、意味深な視線を交し、喉の奥へ流し込んだ。

「ぷはっ、美味えな。サウナで絞り出したから、じつに美味い。腸に染みるぜ!」

口の周りに泡をつけ、満足気に言った。

「ううん、美味しいわ。やっぱりビールは始めがいい。これでエネルギーを補給したけど、まだ腹二分目くらいかしら」

運ばれてきた刺身の盛り合わせに箸を運び、美味そうに頬張る。

「このトロ、美味しいわ」

「そうかい」

糸川が箸を出し、中トロを摘まむ。

そこで、急に話題を変える。

「おっと、それとな。急に話を変えてすまんが、昼間の件、ご苦労様。君がいたお蔭で、何とか上手く行きそうだ。とりあえず一段落というところかな。感謝するよ」

「どう致しまして、あのくらいのお芝居なら、何時でも協力できるわ。とにかく佐久間先生への仕掛けは上手くいったんじゃないかしら」

「ああ、助かったよ。それにな、例の不突合資料の方、辻褄合わせて記録しておいてくれないか。そのための仕掛けだ。今日の折衝状況も詳細に頼むよ」

「分かっています。来る前に入力しておきました!」

「本当かよ。もう出来ているのか。やっぱり大したもんだ。改めて礼を言うよ」

「どう致しまして。明日にでも渡しますから点検して下さい」

「有り難いね。早速、明日一番で見させて貰うよ」

「そうして。あら、グラスが空になっている。どうぞ」

ビールを注ぐ。

「君もどうだい?」

「ええ、頂くわ」

遠慮がちにグラスを差し出す。

「どんどん飲んでくれ」

「嫌ね、あまり進めないで。私、酔っちゃうじゃないの」

「いいじゃないか。腰が立たなくなったら、おぶって連れて行くからさ」

「まあ、嫌ね。課長ったら、酔った私を犯そうというのね」

「それもいいな。狼になり子羊を丸裸にして襲う。泣き叫ぶのを無理矢理犯す。強姦みたいにしてな。うむむ、こんな嗜好も刺激があっていいかもしれん。せっかくサウナで鍛えたんだ。たまには変った趣向で、上り詰めてみたいもんだ。どうだ、佳織」

「嫌ね、今からあまり刺激しないで。逆上せてしまうから。ああん、そうか。もう仕掛けているのね。ずるいわ…」

「あれっ、気づかれたか。何て言ったって、勝負は先制攻撃が大事だから、一発かませておいてそのままやっつける」

「あら、嫌だ。そんなのずるい。こうなったら、あなたのビールに痺れ薬でも入れてやろかしら。知らずに飲んで、勝負の時に身体の自由が利かなくなれば、後は思い通りに甚振れる。そう、意識があるのにされるままになるの。この案、いいんじゃない?」

「おお、怖わ。佳織は恐ろしい女だ。油断していると何をされるか分からん。用心せんとな」

「まあ、本気にしているの。冗談よ、冗談だってば。そんなことしたら、あなたに気持ちよくして貰えないもの」

「そうだよ。それでいいなら、好きにしてくれ。けれど、そんなことしたら君自身満足できんぞ」

「そうよね、生煮え状態で終わってしまう。それだと、蛇の生殺しよね。…とても耐えられない」

疼きを抑えるように俯く。

「そりゃ、俺だって嫌だ」

「やっぱり、痺れ薬は止めとく。私自身満足できなかったら損しちゃうもの。たっぷり可愛がって貰いたいわ。いいでしょ」

「いいんじゃないか。スタミナの続く限り奉仕してやる。そのために鍛えたんだ」

「何だか怖いわ。でも、少し期待しちゃう」

酔いが廻るにつれ如是になり、すれすれのところで会話が踊る。

「ねえ、そろそろ鰻食べない?」

佳織が急かす。

「おう、そうだ。原動力になるエネルギーを補給しなきゃ。鰻重の上でも注文しようぜ」と言いつつ、「おおい、鰻重の上を二つ頼む。それに肝吸いとお新香くれ!」大声で注文した。

「さあ、鰻重が来る前に、もう一杯補給しておこうか」

「そうね、私も頂くわ」

潤む瞳の佳織が追加注文する。

「ねえ、ご主人。ウイスキーの水割り二つ。鰻重の前に持ってきてくれない!」

「かしこまりました!」

奥から返事が返ってきた。二人はしばし見つめ合う。気持ちはすでに燃えていた。言葉に出す代わりに、求める視線が怪しく火花を散す。そこへ、「へえいっ、お待ちどう!」分け入るように、店主がウイスキーの水割りを持ってきた。

「さあ、ガソリンの補給だ。これで給油タンクも満タンになる。あとは鰻を食って準備完了とくりゃ!」

佳織に促しグラスを掲げ、時間を急くように一気に飲み干した。そして、運ばれた鰻重をたいらげ、出されたお茶をすする。一息ついたところで、糸川が促す。

「さあっ、行くか!」

「ええ…」

ほろ酔い気分で、最終目的を達すべく暖簾を潜り出た。佳織は糸川に寄り添い、鼻を膨らませ歩いた。豊満な胸が糸川の二の腕に当たる。その度糸川の息が荒くなる。黙って歩く。そして吸い込まれるように、近くのホテルへと消えた。

薄明りの中、よがり声が命の炎を燃やし尽くすほど間断なく続く。

「ああ…。いい、ああん…」

その喘ぐ声は止まることを知らない。糸川は懸命に奉仕していた。何もかも忘れ全精力を注ぎ込む。それに応えるように、夜の闇にネオンの瞬きと、佳織の悶え声が一段と熱を帯びていた。




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