手術後の山場は幾度かあったが、その都度佐久間医師の懸命な治療により、危機を乗り越えていた。そして、二週間後には集中治療室から一般病棟に移るまでになった。その頃になると隆二の顔から死相が消え、回復の兆しが鮮明になっていた。酸素マスクが取り外されたことが、それを裏付けた。

定期回診する佐久間も、執刀とその後の処置が正しかったことに安堵し、回復振りを目にする度に、生命力の強さを実感した。だが気がかりなのは、患者の意識が戻らないことである。そう、彼は事故以来、一度も意識が回復せず眠ったままなのだ。

横浜日々病院に運び込まれ、大手術を経て三週間が過ぎ、一ヶ月も後半に入るが、その状態は変わらなかった。だが、意識が戻ったところで、元の身体に戻れぬことが佐久間には分かっていた。たとえ意識が戻り、どれだけリハビリを積もうと歩けなければ、二度とバイクに跨ることも出来ないのだ。

眠りから覚めたところで、一生寝たきりの生活が待つことを告げなければならない。それを告知するのは、医師としての責務である。  本人が納得し、今後どう生きて行くかの心得を理解して貰わなければならないのだ。このような告知は、辛く嫌な仕事である。だからといって、嘘をつくわけには行かない。そう、命ある限り健常者には戻れないのだから。

佐久間にしても、患者は彼だけではない。脳外科の専門医となれば、それこそ毎日のように蘇生手術が行われている。隆二はそのうちの一人でしかない。たまたま佐久間が当直時に運び込まれたのが彼だったに過ぎない。

当直時の執刀とて専門外であれば、応急処置に止まる。隆二の場合は、脳外科の専門医だったことが幸いし、適切な手術が功を奏し命を失わずにすんだ。それが佐久間でなかったなら、死亡診断書の世話になっていたかもしれない。いずれにしても、植草隆二は意識が戻らぬまま月日が経った。

病院としても、このままこの病床に置いておくわけには行かない。いくら大病院といえど、入院患者が後を絶たず患者数が膨らむばかりで、ベッドが満床となり悲鳴を上げていたからだ。近隣の大学病院や地域病院の協力を得て、一部患者を転床させてはいるが、根本的な解決策にはならなかった。回復目途のない隆二も、転床対象として候補に挙げられるが実現しなかった。

と言うのも、出来ぬ理由があった。

思わぬところで、執刀した佐久間のニュースが、世間に注目されるに至ったからだ。隆二の遭遇した事故が、当初新聞の三面に小さく載った。警察による現場検証や、バイクの破損状況、それに隆二の怪我状態等詳しく調べた結果、トラック運転手の携帯電話しながら運転による注意散漫が事故原因であることが判明した。

そのことをきっかけに、各新聞の朝刊で取り上げられるに至り、世間がその記事に関心を示したのだ。        

それにつられテレビ局がこの事故を、単なる交通事故とは扱わず、轢き逃げ事件として扱い始めた。警察は隆二の乗るオートバイを巻き込んだトラックが、事故発生後通報もせず、頭部から出血する怪我人を放置したままその場を去ったことに、命の尊厳を蔑ろにする無責任極まりない行為と断罪していた。

それに民放テレビや週刊誌が話題性ありと喰いつき、大々的に取り上げるに至り、多数の情報が警察に寄せられた。勿論、テレビ局や雑誌社にも幾多の情報が寄せられ、益々ヒートアップして行った。

ところが、彼の家族や親族からの連絡は、警察や新聞社それに横浜日々病院に入ることがなかった。彼の所持する運転免許証から、現住所や本籍が判明するも進展は見られなかった。


隆二の実家は、岩手県岩手郡雫石町長山字岩手山岩手高原二十二の二九一番地。東北自動車道盛岡インターチェンジより、小岩井農場を北に視て国道四十六号、俗称角館街道を西へ進んだところの寒村である。この街道をさらに西に進むと仙岩トンネルとなり、抜けると田沢湖のある秋田県へと入る。そんな萎びた村だった。

父の名は植草五郎、母親はつゆ。但し、母親は一年前に病死していた。父親は地元小学校の校長を定年退職し、すでに六年が経ち年金生活である。隆二の兄弟は兄と妹の三人兄弟で、夫々が家出同然に親元を離れていたし、今では何処にいるかさえ分からぬ状態となっていた。故に、実家では父親の一人暮らしである。

植草五郎は頑固で偏屈者だった。村の者との付き合いがなく、世間から隔離されたような隠遁生活を送っていた。また、新聞も取らずテレビもなく電話も設置していないため、普通に入る情報すら入らない。従って、世間で騒がれている息子の交通事故すら知らなかった。と言うより、隆二との連絡は三年以上なく他の子供らも同様で、音信が全く途絶えていたのだ。それ故植草五郎は、三人の子供らがどこに住み、何をしているかさえ知らずにいた。

そんな父親は昔から厳格な人間だった。他人の子供を教育する立場にあった彼は、家族に対してもことさら厳しかった。子供に対する教育では母親の入る隙間がなく、すべて父親の意見によって取り成され、隆二らが物心つく頃から躾と称し厳格に行われていた。朝起きた時から夜寝るまで厳しい規則があり、忠実にそれに従う。反抗は許されず、少しでも不満を漏らせば、制裁として容赦なく鉄拳が飛んだ。それは子供だけでなく、妻に対しても容赦なかった。

妻の病死も元を正せば、そこに起因するといってもいい。腕白盛りの子供らが、悪戯や兄弟喧嘩をすれば、すべて母親の躾がなっていないと激怒した。子供が他人と争いでも起こせば、教育者としての尊厳極まると、さらに激高し妻に当たった。些細なことに敏感となり、過度の威厳を保とうと守勢に廻れば、そのはけ口を家族に求めたのだ。

子供らはそんな父親を見て育ち、結局憎しみだけが残った。母親は世間体ばかり気にし、己の威厳だけに生きる植草五郎の犠牲になったと云ってよい。長年の叱責が妻つゆの寿命を縮めたことになる。 

子供らは母親を哀れみ、父親を憎んだ。隆二だけではない。兄も妹も毛嫌いした。それ故、彼らは家族の温かさなど味わうことなく育った。日々繰り返される教育と称する制裁は、隆二たちの心の中に軽蔑心を植え付けた。恐怖の毎日に萎縮し、猜疑の心が宿る。中学生になると非行に走った。

そして、長男は中学卒業と同時に家を出た。隆二も同様に従った。二人が去った後は、父親と妹の二人暮しとなる。

そうなったからといって、父親の生活態度が変ったわけではない。妻を亡くし、二人の息子が去った状況で、己の生き方を変えるべきだったかもしれないが、それが出来きず一人残った娘に対しても、優しさを持ち合わせなかった。心開かぬ父親と娘。会話のない生活が続いた。そんな醒めた家庭に、娘がついて行けるわけがない。結局、娘さきも中学を卒業すると同時に家を出た。そして父親一人が残った。 

勿論、子供らが家を出ることに賛成したわけではないし、そうかといって、夫々の子供が父親の同意を得たわけでもない。家にいる時も互いが無干渉であり、その延長のようにして居なくなった。それ故、以来音沙汰がないのである。かといって、父親が子供らを捜した形跡がなく、子供たちにしても、一度たりとも帰ることがなかった。

更に、父親の五郎は世間とも孤立していた。人付き合いの不器用な彼に近づく者はいない。確かに小学校の校長をしていた頃は、周囲の人が敬拝したが、職を離れれば同じ立場である。それさえ五郎には馴染めなかった。己のプライドが邪魔をした。自ら近づこうとせず、村人たちから敬遠されていたのである。

そんな状態で、息子の交通事故など伝わる訳がない。それ故誰一人として、この入院患者を見舞いに来る者がいなかったのだ。


病院としても、厄介な患者を抱えたことになる。一般病棟に移し、生命の危機がなくなった隆二を、何時までも置いておくわけにはいかない。患者として残れば医療行為が伴う。特に彼の場合は意識が戻らずそれなりの処置が必要であり、それを維持してゆくには相当額の医療費が必要なのだが、それ以前に現実問題として、医療から開放される退院時期が定まらぬ状況にあったことだ。

急患として緊急オペを行う時は、そこまで考えない。第一に、生命を守ることが絶対となるからだ。当直だった佐久間は忠実にその任務に従った。そこまではよかった。だが病院としても、こうなるとは予想していなかった。通常マスコミに取り上げられるほどの交通事故であれば、直ぐに親か兄弟もしくは親族が駆けつけるものだ。 

佐久間を含め病院の誰もが、当然の如くそう認識していた。それがまったく違う展開へと進んだのである。

更にその事態に伴い、彼には次なる問題が発生した。病院側としても佐久間医師のとった行動に何ら落ち度はないと判断したし、たいてい生命の危機迫る緊急搬入では、前もって保護者らとのオペ同意を取る時間的猶予などない。 寸時の時間を争うためだ。そんなことをしている間に死亡したら生命軽視となる。

ともかく時間との戦いであり、杓子定規な手続きは後回しにした。そのこと事態は、身内の者とて望むところだ。そんな切羽詰る中で、隆二の場合も緊急オペに及んだ。その結果、一命を取り留めた。

病院内では高く評価され、院長始め理事長も絶賛した。佐久間が脳外科専門医であったこと。それに運ばれた時に当直当番であったこと。更に患者の状態から、ただちの執刀による適切な処置が行われたこと。これが頭部以外であったなら、彼の手に負えなかったであろう。

患者にとって幸運であった。あれだけの大怪我である。もし、当直が佐久間でなかったなら、あるいはオペまで時間を要していれば、隆二の命はそこで潰えていたかもしれない。それこそ脳外傷で、高度医療技術の要るオペであったのだ。

ともかく専門医の彼により、延命が出来たのである。的確な判断と高度技術での執刀。その結果、命の鼓動が時を刻み続けた。佐久間が評価されないわけがない。つまり、彼以外の医師によるオペで死んだとしても、担当医師の評価は下がるものではないが、それほどの大怪我であり、今回のオペが脳外科専門医だったからこそ、成し得たといっても過言ではなかった。

佐久間は己の腕と、取った行動が評価されたことで、絶対的自信というものを勝ち得た。成功したことの喜びは、他の執刀手術とは比べものにならない名誉となった。その結果、隆二の病状がよくなるにつれ笑みが零れ、名声という文字が大きく膨らんでいた。

胸中で呟く。

九分九厘助からぬ患者を、己の持つ高度医療技術で蘇えらせたんだ。見ろ、院内における評価を。絶賛されているではないか。

背筋を伸ばし意気揚々となり、更に、

見てみろ。院長とて普段は偉そうにしているが、報道関係者との緊急会見では、自ら俺に握手を求めてきたではないか。

その時の院長の告げた言葉を思い出す。

「佐久間君、よくやった。あれだけの事故患者だ。九分九厘助からなんだった。それを八時間にも及ぶ執刀で蘇えらせた。素晴らしい。こんなことが出来るのは、当院内でも君しかおらん。私も君のような部下を持ち誇りに思う」

会見の際、院長が鼻高々に胸を張っていた。

会見が終わり院長室に戻った際にも、改めて「ご苦労さん。ようやった」と労われ、「今度の院内人事で褒美をやろう。楽しみに待っていたまえ」と満面の笑みだった。

胸に詰まる程嬉しかった。競争の激しい医師仲間の間で、一歩抜きん出たと感謝した。勿論、緊急搬入された患者、隆二にである。日に日に歓びが増幅する。手術の成功は理事長、院長、そして佐久間の三人による、改めて開かれた共同記者会見で、その偉業が発表された。マスコミにより、その手術成功が公開され、「ほぼ助からぬであろう患者を、献身的な大手術で尊い命を救った。それも宿直という当直勤務中に、睡眠を返上しての執刀。頭部損傷という大怪我患者の命を救った素晴らしい医師である」と称され、更に「医師の鏡」と持ち上げられた。

このことにより、佐久間は時の人となった。院内ではヒーロー扱いである。他の医師や看護士の間では尊敬され、入院患者からは、敬いの眼差しで崇め奉られていた。

彼にしてみれば、幸運としか言いようがない。もしあの時、当直担当でなかったなら、こんなヒーローに成り得ない。思い出す度に笑いが込み上げる。

今まで苦労した甲斐があったというわけだ。その褒美というものか。運が回ってきた。そう思うと、幸運の女神が手を差し伸べているようにさえ思えた。

隆二を集中治療室から一般病棟に移すまでは有頂天でいた。日に日に回復の記録が残される度に、込み上げる喜びを押さえ切れなかった。それもそうである。彼を取り巻く者が、放っておかないからだ。所謂、便乗組みである。伴に行動すれば、それなりの恩恵が得られると、我先に群がってきた。

佐久間にしても、経緯が順風であった故、この先、落とし穴が口を開けていることなど予期しなかったし、考えもしなかった。それ故これだけ世間に報道されれば、直ぐにでも彼の血縁者が来ることは当然と認識した。佐久間だけではない。病院内の誰もが疑いなくそう思っていた。

大怪我で入院となれば、身内がすっ飛んで来るはずである。一般的にはそれが普通であり、佐久間ら医師に状況説明を乞い、感謝の意を表わすはずである。勿論、病院だけではない。交通事故ともなれば警察の世話になる。隆二の場合は被害者であり、この事故も加害者逃走という状況から、当人や血縁者は警察の管轄下になる。

病院側もこのことに関しては中立的立場であり、必要な手続きさえ済めば後は司法の判断に委ね、請求業務を行えばよい。ただ、病院でのかかる費用は、いずれにしても加害者の保険請求が順当になされれば問題ない。しかし、未逮捕であればその手続きもとれず、 患者もしくは身内の者から精算して貰う必要があった。更に、たとえ緊急であろうと手術を行う場合は、オペ同意書(手術承諾誓約書)を最終的に揃えることが決まりである。

ただ隆二の場合は緊急性を要したため、人命救助の精神からオペ先行は当然だった。手術の承諾書など、身内の者が来た時に署名捺印して貰えばそれで済む。運ばれた時から、何の心配もしていなかった。

事実、彼以降の救急患者の執刀でも、術後に提出して貰った。勿論、隆二と同様成功手術である。故に事務手続きを優先し、執刀が遅れれば間違いなく命の炎を消していたに違いない。

その事例がある。交通事故に遭ったのは、溺愛する息子だった。子供の飛び出しによる接触事故である。頭骸骨が陥没していた。横浜日々病院に搬送され、佐久間医師による十時間にも及ぶ大手術の結果、命を取り留めた。親は激謝した。オペ同意書の手続きが後になったことに、何の疑念も抱かなかったし、むしろ臨機応変の対応と大いに感謝された。

そんなこともあり、隆二の身内が直ぐに現れずとも、何の不安も抱かず一般病棟に移し、二ヶ月が経っていた。それでも、親に限らず身内から何の連絡もなかったのだ。

佐久間は引っ張りだこである。忙しさ故に、その後の手術や定期回診、その他の雑務に忙殺され気にも止めなかった。というより、事務的手続きと位置づけ、専属事務員任せになっていた。

ところが病院の事務方には、それではすまされない。入院手術費等の精算業務がある。これは手術が成功しようがしまいが、それによって左右されるものではない。毎月の精算業務が出来なければ、何時まで経っても未処理のまま残る。それも、オペ同意書があることが前提であり、それが請求業務にとって必要不可欠なものとなる。手術後二ヶ月も経つのに身内が現われず、今だ未回収であれば、当然請求業務課では支障をきたす。

とはいえ隆二の場合は、病院としても対外的美談と位置づけられており、事務方としても他の患者と同様に扱うわけにはいかない。執刀医の佐久間がヒーロー化したこともある。これも親なり身内の者が来院し、同意書に記名捺印し支払っていれば何の問題もなく、病院としても社会的評価が高まり、価値が上がることになる。

佐久間や院長にしても、勿論理事長も安易に片づくと考えていた。だが意に反し、二ヶ月以上経っても名乗り出る者がいなかった。最初に取っ掛かったのが請求業務担当の女性職員だった。彼女の仕事は医療にかかる費用の精算業務である。即ち、掛かった費用の入金があれば、貸借が一致し処理済となる。長期の入院患者の場合でも、月毎に締めて請求書を発送し入金して貰えばよい。

時田恵理子は通常通り、持ち患者の手術代や治療入院代等の医療費用を集計して、請求書を作成し自宅住所宛発送する。それで大半入金となった。しかし、入金にならなければ手元に残るだけで、何時まで経っても完結しない。当初は、直に解決すると見ていても、何時までも手元に残れば、そのうち厄介な患者分と思うようになる。

彼女の所属する課は、課長を含め六名の職員で構成されており、恵理子の扱う請求件数は一ヶ月で約四十件程度。多少遅れがあっても、翌月には入金されていた。当然、支払う相手と連絡を取ることが容易だったし、ほとんどの請求が苦労なく処理できた。それが、この隆二に関しては、そのようにならなかった。

まず、医療費請求書の発送先は、所持する運転免許証から得て発送したが入金がない。それと、術後誰も見舞いに来ず連絡も皆無なのだ。だが恵理子にとって、そんなことに関心はない。仕事は感情移入のない事務作業である。見舞いに来まいが連絡がなかろうが、入金になればそれで片づく。それだけのことである。

ただ、携わる業務に終わりがない。一件片づくと、また新しい請求案件が発生する。流れ作業のように、医療請求の処理をしなければならず、更に全件入金を前提に取り組んでおり、未処理すなわち、未入金に対する処理方法など知らない。解らなければ同僚なり上司に問えばよいが、今までそんは事例はなかった。

隆二に督促したいが、本人は意識不明である。それは出来ずと後回しになる。彼女には長期未入という前提がないのだ。そのため厄介な患者として、解決方法を見出さぬまま机の引き出しに入れっぱなしになった。

精算業務の勘定合わせとそのチェックが、月一回のペースで行なわれる。精算業務課長の糸川にしても、一、二ヶ月の遅れは三ヶ月単位でみれば帳尻が合っていた。従って注意を払わない。担当者が通り一遍の請求業務で入金になっていたからだ。ただこの前提は、身内の者にコンタクトが取れてのことである。

糸川は、その程度の遅れの仔細など、総体でしか見ずチェックしていなかった。よって、隆二分が未処理のまま先送りされている状況で、十二月の年度末近くを迎えるに至ったのだ。決算月の二ヶ月前である。

入院患者の精算業務で不突合があれば、その原因と回収方法を患者別に整理し、帳簿上の金額と合わせ報告しなければならない。課員らは、夫々が抱える扱い分で、不突合となっている未入金分の、患者別明細と金額記載帳簿を用意し糸川に報告していた。報告される側にしても、これも前提として、ほぼ全件入金日が決まっていて、単純で退屈な点検と位置づけ、五名の課員のうち恵理子を除き流れ作業的に終わった。

ところが、彼女が何時になっても来ない。糸川としては、こんな仕事を長引かせるつもりはない。それには理由があった。業務終了後、待ち合わせをしていたからである。四名の課員分は、三時過ぎには終わっていた。四時を過ぎ五時近くになるためか、仕事が終わらず不機嫌になった。

「何をやっているんだ!」とばかりに彼女を呼ぶ。直ぐに持ってくるようにと、嗜め口調になった。呼ばれた恵理子は、躊躇いつつ明細と帳簿を持っていった。

何をぐずぐずしている。早く持ってくればいいものを…。

内心憤りつつ受け取り、仏頂面で検印する。六件の不突合案件があった。隆二分以外はスムーズに検印したが、彼の書類に目が行き手が止った。交渉経過が書かれていなのである。上目遣いに怪訝な顔で尋ねる。

「どうしたんだい。これは?」

もじもじしながら、か細い声で釈明する。

「まだ、お金が入っていないんです…」

「そんなことは分かっている。だから、何時入金になるのか、経緯と共に記入しておかなければ駄目じゃないか。それを、手を抜いているんだから」

と叱りつつ、「ほら、返すから。早く書いてしまいなさい!」恵理子に突き返した。

「は、はい…」返事をするが、席へ戻ろうとしない。

さもあろう、彼女は未処理のまま机の引出奥に仕舞い込んでいたからだ。それと言うのも、請求書を送ってもなしのつぶてだ。普通子供が入院すれば、親や親族が直ぐに駆けつけ、保険請求手続きも含め費用の負担について交渉が纏まる。だが、隆二の場合は違う。誰も来ず、自宅への発送のみとなった。そこまで彼女も手続きを取ったが、入金されなかった。

だからといって他に手立てがない。そうなれば、後はどうすることも出来ず、かといって対処マニュアルなどなく、教育もされていない以上、どうすることも出来ず知恵が回らなかった。それ故この時期まで放置されていたのだ。

課長に不突合の理由、入金予定日を記すよう求められても、書きようがないのである。戸惑い立ち尽くす彼女に叱責する。

「何を、そんなところで、ぼさっと立っているんだ。いま言っただろ。早く書いて持ってきなさい!」と苛らつき眉間を震わせた。仕方なく書類を持って自席へ戻る。座ったところで書きようがない。そのままぼっとしていた。ただ時間が過ぎて行った。

糸川も全患者分チェックし、最後に隆二分を検印すれば一日の仕事は終わる。時間も急いていた。頃合いを見て声をかける。

「恵理子君、早くさっきの患者分持ってきたまえ。私もこれから出掛けなければならない。もう出来たんだろ。検印するから持ってきなさい!」急くよう促した。

「は、はい…」生返事をし、課長を覗うが席を立とうとせず、もじもじするだけだ。すると、少々強めに告げる。

「何をやっている。書き上がっているんだろ。後はその分だけだから、検印するから早く持ってくるんだ!」

その声に弾けるように立ち、書類を抱え持って行く。

「課、課長。植草隆二なんですが…」

彼女が告げた途端、遮断し急く。

「いいから早く寄こしなさい。まったく、ぐずぐずしてんじゃないよ。ほれ、早く!」

躊躇い差し出す書類を、ひったくるように取った。そして、検印しようとして手が止る。

「う、うん?何だこれは…」不可解そうに彼女を見た。

「あの、何時入るか分からないので…」要領得ぬ釈明に、聴く耳を疑う。

「なんだと、分からないとはどういうことだ。そんなことでは、期末の突合不一致が解決せず決算を迎えることになってしまうじゃないか!」思わず怒鳴っていた。

恵理子は責められるままに、背中を丸め萎縮した。そう言われてもどうにもならないのである。そのまま視線を落とし黙りこくる。その頼りなさに、糸川が目を吊り上げた。

「君が管理しているんだろ。何にも書いていないじゃないか。これじゃ検印どころか、病院側に提出出来んぞ!」

更に声高になる。

「このまま理由なく不突合として、決算を迎えるわけにはいかないんだ。君だってそれくらい分かるだろ。それを何も書いていないなんて。何を考えている!」頭ごなしに怒鳴っていた。

「…」無言で俯く。

「何、黙っているんだ!」癇癪玉が落ちた。

すると、恵理子が恐る恐る弁解する。

「は、はい。ですから、自宅宛請求書を送ってるんですが、今だ入金がなく、どうにもならないので…」

「何、馬鹿なこと言っている。他に請求したのか。連絡とって催促しているのか!」

「いいえ、連絡先が分からず、そのままになっていて…」

「何をのんびり、そんなことをやっている。だいたい親がオペ後に来ているだろう!」

「あの、その辺は私には分かりませんが…」

「何っ、分からんだと。そんなこと医務局へ聞けば分かる。どうして手を打ってない!」

「は、はい。すみません…」

「それでどうするんだ。オペ代、それに入院費用と薬代。締めて三百六十万円にもなっているんだ。そんな大金、未解決のまま不突合勘定として出せるわけがないじゃないか!」

あまりの杜撰さに、いきり立っていた。

「それも、入金見込みなく。ましてや督促経過記録も白紙のままでよ!」

青筋を立てた。

「そうなんですが、私も困ってしまって…」

尚も曖昧な返事が返ってきた。

余りの無責任さに、そのうち糸川の顔が苦渋の色に変わり、引き攣ってくる。

「それにだ。この植草と言う患者は、まだ意識が戻っていないというじゃないか。これからも、ずっと病院にいることになり、医療費が更に膨らむんだぞ!」

そう言われても、彼女にはどうにもならない。というより関心がない。今まで扱った患者の請求で、こんなことは一度もないためか放っておいた。たしかに診断書には本人の自宅住所の他に本籍が記載されている。

だが、自宅へ送った請求書が戻ってきたわけではない。宛所尋ねあたらずとか、転居先不明で差し戻されれば、糸川が言うように、発送先を変え本籍に出すことも思いつくであろうが、恵理子にとって、ともかく請求書が届いているのである。それであれば、入金されるまで待つことになる。

それ故三ヶ月が過ぎても、そのままになっていた。勿論、その間の各月の請求書は月初めに送付したが、いずれの月分も未入金のままだった。結果的に決算期近くになっていただけのことである。

通常であれば二、三ヶ月の遅れは問題にならない。纏めて払われる場合があるからだ。それは恵理子にとり、珍しいことではない。他の課員らとて同様である。彼女に限らず、その間一、二度の架電や通知で、それさえ稀なことである。いずれにしても、ほとんどの患者分が振り込まれるか、来院入金されていたのが実情であった。

しょげる恵理子を前にして、糸川は素早く頭を巡らせるが対処できる名案が浮かばない。

「こうなる前に、どうして早く相談してくれなかったんだ。今頃こんなの持ってこられても、決算が近いんだ。どうにもならないじゃないか」

思わず愚痴が出た。

「申し訳ございません…」

恵理子は、ただ謝るしかない。

しかし、どうする…。

糸川は腕組みし、己に問い掛ける顔には苦渋の色が浮かんでいた。定時で帰るどころではなかった。先のことを考える。

このまま決算を迎え発覚すれば、それこそ前代未聞の不祥事となり失態となる。

受け持つ課として、請求したものが入金になり、貸借が一致して初めて役割を全うする。それでも月毎に、すべての案件が期間内に一致するとは限らない。月ずれはある。従って、その不突合案件がきちっと理由付けされていれば、何ら問題にならない。特に年度を跨ぐ場合は重要なことだ。そのため、入念に検印する。

それが今回の場合は、単なる入金遅れや月ずれというものではなく、適正な理由に基づく不突合ではない、言ってみれば、目途が立たぬ最悪の案件である。

俯く彼女を前にし、目を落とし仏頂面で考え込んでいた。そんな状況下でぼやく。

「どうして、もと早く持ってこなかったんだ。こんな時期になるまで放っておいてよ。早ければ対処のしようがあったものを。ああ、どうすればいい…」

苦悶し、目の前が暗くなる思いでいた。

「うむ…」

八方ふさがりの中で、抑揚なく立つ彼女の存在など眼中にないほど、負のことに考えが及んだ。このままでは精算業務課長として、この植草分についてなすべきことをやっていないことになる。一つは部下の指導。これはマネージメント不足である。それに責任者として、上司に対する報告の滞りである。逐次業務部長経由で院長宛に状況報告をしていなかった。金額が金額である。

これは、出世を目論む糸川にとって致命的であった。

今まで築き上げた地位が、この一件で水の泡と化す。こんなことが院長に知れることになれば、どのようになるか。身の毛がよだつほど、己の立場が窮地に追い込まれていることに及んでいた。

定時で上がり、密かに女と密会すべく待ち合わせするどころではなくなっていた。

終業時間は刻々と迫るが、糸川は思案し続ける。

直ぐに報告すべきか。いや、待て。明日まで対処方法を整理して報告せねば、俺の役目にはならん。このまま生じた現象を報告したところで、それは管理職のやることではない。どのように対処し、入金させるかの結論が必要なんだ。

これはどうしたものか…。

眉間に皺が寄っていた。相変わらず、ことの重大さなど感知する様子なく、デスクの前で恵理子はぬぼっと課長を眺めていた。当の糸川は、そうとも知らず顎の下で手を組み、深刻な顔をなす。

うむ、一体どうしたらいいんだ…。

こめかみが引き攣り、額から脂汗が滲み出てきた。遺憾ともし難かった。すでに、考えても考えられる状況にはない。付け焼刃では、どうにもならない。さりとて、このままでいいはずがない。

糸川は思い余り、ふと顔を上げた。ぽかんとした無表情の恵理子がいた。むかっとして、気づくと怒鳴っていた。

「何をそんなところで突っ立っている。馬鹿っ面していないで、何とかしろ!」

叫ぶや立ち上がり、両手でデスクを叩いた。

彼女は驚いた。急に怒鳴られ机を叩くとは予期していなかった。驚き、どうにもならず泣き出す。そんな様子を覗ていた課員の一人が、慌てて彼女を抱え室外へと連れ出した。

我に返り、罰が悪そうに糸川が周りを窺うと、課員が見返す。その目は一応に、大人気ないと反発する視線であった。

間もなくして、終業のベルが鳴る。課員らは儀礼的に挨拶し、早々に席を立った。

蜘蛛の子を散らした様にががらんとなった部屋には、糸川一人が残る。ぽつねんと座る彼に、成すすべはなかった。勿論、思考を止めたわけではない。恵理子のことと、この重大な局面をどう乗り切るか、どう対処すべきかを思案する羽目となった。

こんなことで、ペナルティを貰うわけにはいかない。そのためには、何としても期末決算を乗り切らねばならん。それでは何とすればいい…。

思い巡らしていた。そして熟慮の末、ある言葉が脳裏に浮かんでくる。

「ね・つ・ぞ・う…」

はたと机を叩き、正面を見据える。その目が異様に光っていた。

だが、直ぐにその輝きが失せた。

ああ、そんなことをして、バレでもしたらどうなる。ましてや人を欺く妙案など、そう簡単には浮かばん…。

視線を天井に向ける。

駄、駄目だ。たとえそんなことをしても、いずれバレる。それこそ、俺に火の粉が降りかかるじゃねえか。書類の改ざんなんかしたら、真に責任にされる。本来支払わぬ植草隆二や、その家族らがいけないのに、この俺に飛び火し悪者にされてはたまらん…。

それにしても、こんなまで放置した恵理子が怠慢なんだ。たとえ入金にならずとも、きちっと督促し交渉経過さえ記録していれば、不突合患者の報告になっても他にもあることだ。最善を尽くした結果として納得いくものなれば、精算業務課の責任は回避出来るし、俺の責任も問われずにすむ。

業務部長や院長から見て交渉経過状況に問題がなければ、未入金の発生は結果的に止むを得ないと判断するだろう。だが、現状では難しい。

それならば、この際危険を犯してでも、佳織と結託して処理せにゃなるまい。やばい気がするが、他に手があるのか…。

己の責任回避に傾いていた。

そうだ、それに今まで家族や親類らが誰一人として来ていないじゃないか。それに連絡もない。

すると、悪さ心が疼いてくる。

それじゃこれに乗じて、情事資金の金ずるにでもするか…。そこまで考え、何を思ったか彼女が置き去りにした植草隆二のファイルを手に取り、片っ端から何かを調べ始めた。とは言っても、多い書類ではない。診断書、病状経過カルテ、それに事故時の記録、請求書発送控等である。

貧乏揺すりをしつつ、もどかしく手を動かし視線を走らせる。

ああっ、思った通りだ。やっぱりない!

その瞬間、苦り切る顔に光明が射し、薄気味悪い笑みを浮かべる。

うむ、これだ。この手が使える。俺らの仕事も重要だが、それ以上に大切な書類が漏れている。それに絡ませ、二兎追うのもいい。いや、待て。急いてはいかん。先走って手を染めた後に出てくるかも知れんし、ここは焦らず事を運ばねば。もしかしたら、恵理子がファイルし忘れていることもあるからな。

ぐっと息を呑み背筋を伸ばす。

ここのところは、慎重に進めていこう…。

つい先程まで苦渋の色に染まっていた顔が、見違えるほど高揚していた。その眼光は何かを企む怪しげな輝きを湛え、目元がにやけている。

そうか、ええと…。後何日かな、最終提出日はと。うむ、後一ヶ月強か。若干余裕があるな。この間に策を練り実行し、それなりの不突合報告書を作ればいい。後は報告書の内容だが、この辺は佳織とじっくり相談するか。

重大な関心事を他で露見させ、騒ぎに乗じ尤もらしく仕立てて紛れさせればいいんだ。

うふふ、これで何とか乗り切れそうだ。俺の悪行により、そちらに矢を向け関心を逸らす。それが我が病院の権威に係われば、なお更衝撃が強いというわけだ。

院長や理事長への責任問題に発展し、うちの名声が地に落ちることとなれば、我らの犯したミスや企みなど小指の先にもなるまい。このままでは、俺や上司の業務部長が監督不行き届きとなろう。が辻褄が合っており、奴さんらの尻に火がつけばそれどころではなくなる。

糸川は薄笑いを浮かべ思いにふける。

対岸で大騒ぎになっている間に、濁る水面下に沈め責任を回避する。何せ、まだ三ヶ月過ぎただけじゃないか。それなりに疎明資料を集め折衝経過記録を作り、いずれ極貧扱いで貸倒償却処理してしまえば、二兎とも万事水面下に落とせる。

俺に責任はなくなるし、院長らにも損金処理となれば何ら腹が痛まない。病院としても、その分利益は減るが節税対策になる。三方丸く収まるどころか、経営上重畳というものだ。そのためには、あの書類の有無が重要になる。

糸川が薄気味悪く目を光らせるが、直ぐに緩む。

まあ、今日のところは恵理子も帰ったことだし、明日の朝一番で機嫌をとり、今までの経過状況でも聞くか。どうせ大したことはやっておらんだろうが、都合のいい報告書を作るには一応聞いておく必要があるからな。

一呼吸置く。

うむ、これしかあるまいて…。自信有り気に背筋を伸ばし腕組みをする。そして、ことの事態が、これからどう動くのか詮索しだし、遠くの獲物を狙うように眼光を光らせた。

結論に行き着いたのか、すくっと立ち机を叩く。

「よっしゃ、これで行くぞ!」

決意する。そして、ふうっと息を吐き腕時計を見ると、針が午後五時五十分を廻りかけていた。

「いけねえ、一〇分しかねえぞ。これから行ったんじゃ、だいぶ遅れちまう。こりゃ、大変だ!」

慌てて携帯電話を取り、発信ボタンを押すと呼び出し音が鳴り繋がる。

「もしもし、佳織か?」

「はい…」

「俺だ、糸川だ!」

「あら、浩次さん。どうしたの今日は、急に恵理ちゃんに怒るんだもの。びっくりしたわよ」

「悪かった。いや、恵理子の奴がよ。おっと、そんなことは後で話す。待ち合わせの時間だけど、まだ病院なんだ。これから出るから」

「ええっ、まだいるの?」

「そうなんだ、ちょっと野暮用があってな」

「何よ、それって。まったく、私お腹空かして待っているのよ。直に来ると思っていたのに!」

「あいや、悪い。これから行くから、それまで待っててくれ」

「まったく、何よ!」

「すまん、その代わり、あっちの方で償いはするから」

「まあ、浩次ったら…」

「いいだろ、佳織」

「ううん、それでどれくらいかかるの?」

「そうだな、とにかく急いで行くから、二、三十分ぐらいかな」

「ええっ、そんなに待たされるわけ?」

「悪い、とにかくすっ飛んで行く」

「それだったら、もう帰っちゃおうかな…」

「そんなこと言うなよ。今日だって、朝からお前のことばかり考えていたんだ。速く仕事を終わらせようと。それを恵理子がへまやるから」

「そんなこと言って、責任転嫁しないで。それなら、早く来てくれる!」

「ああ、直ぐに行く」

「でも私、許さないわよ」

「そんな我侭言うな。ちゃんと償うからさ」

「何よ。そのちゃんと償うって。何か買ってくれるの?」

「ああ、買ってやる。好きなもの買ってやる!」

「それじゃ約束だから、絶対に守ってよ。それと、もう一つお願いがあるの…」

「ええっ、何だよ。まだ他にあるのか?」

「そうよ、それは会った時に話すわ」

「やや、何を企んでいるんだ?」

「いいでしょ。それは後のお楽しみ…」

「ううん、そうか。分かったぞ、佳織の悪企みがな」

「何よ、分かるの?」

「ああ、分かるさ。明かしてやろうか」

「へえっ、話してみれば」

「ああ、それならばらしてやる。それはな、うふふふ…。何時もより愛して欲しいと言うことだろう」

「まあ、嫌ね。浩次の馬鹿…」

「図星だろ、それならたっぷり可愛がってやる」

「まあ、浩次ったら。じゃあ、もっともっと狂わせてくれる?」

「当たり前じゃないか」

「それじゃ、前よりもその前よりも燃えさせてくれるのね」

「ああ」

「うっふん、嬉しい…」

「それじゃ、これから行くから待っていてくれ」

「ええ…」

彼女の上気する吐息を耳に残し、携帯電話を切った。





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