5

 中佐と別れたあと、トラヴィスは飛行甲板の下にある格納庫へ立ち寄った。

 五階建てのビルがまるごと入ってしまいそうな高さのハンガーには、グリース、航空機燃料、そしてかすかに錆びた臭いが漂っている。

 翼をたたんで並んでいる飛行機の間を、蟻のように整備兵たちが行きかう。はしごをかけてコクピットに登るもの、四角い空気取入口インテークにもぐりこむもの、主脚の足元にしゃがみこんで作業するもの。取り外した部品を細長い兵装運搬車ドーリーに積み込んで引っ張っていくものもいる。

 整備科は二十四時間営業だ。今日、損傷を受けた機体も明朝には飛行可能にすることが彼らの誇りとなっている。艦内で修理できない機体は、入港後に地上で改修を行うことになる。

 青いつなぎを着た整備兵たちの中に、ひときわ目立つ人物がいた。

 紺色のジャケットの背には各飛行隊のエンブレムを刺繍したパッチがところ狭しと縫いつけられ、その上には“NO WIMPS ALLOWED”(臆病者は許さない)の文字が大書きされている。整備員が飛行機に何かとんでもないことをしでかさないか、ハンガー内をジョギング・コースにしている連中が駐機している機の翼にぶつからないか、目を光らせている。

 彼こそがメンテナンス・チーフ、格納庫ハンガーあるじだ。

 トラヴィスが歩いてくるのを認めると、チーフは軽く敬礼した。

「忙しいところ邪魔するよ」トラヴィスは言った。大尉になるまでに十年近くも海軍の飯を食っていると、下士官、特にチーフには相応の敬意を払うようになる。

 チーフの顔は長年の潮風にさらされて、なめし皮のように茶色に日焼けし、まばらな白い髭が生えていた。

「何かご用ですか、大尉殿?」チーフが尋ねた。

「いや、いいんだ、何でもない。ただちょっと見に来ただけだ……ようやくフライトの許可が下りたんでね」

「ああ、そうでしたか」

 チーフはそれ以上何も言わずにその場を離れ、自分の仕事に戻っていった。

 トラヴィスはひとり格納庫のすみに立ち、鋼鉄製のスズメバチホーネットを見つめた。

 涙型のキャノピーが天井の照明を反射している。流線型のガラスに歪められたいくつもの光の散らばりが星空のようだ。その名のとおりにほっそりした外観、冷たい迷彩グレーに塗られた三角デルタ翼は、触れると手が切れそうな印象を与える。

 兵装類はすべて取り外されているので、このスズメバチは今は針を抜かれているのだが、ひとたび空に舞い上がれば、危険な生き物であることに変わりはない。

 そして――長年の相棒を裏切るようでちょっぴり心が痛むが――性能が格段に向上しているのも事実だ。これまでは後席のレーダー迎撃士官RIOがこなしていた任務の大半をコンピュータがやってくれる。

 “相棒”はもういない。もう必要ない……。ひとりで飛ぶのはおれが望んだことだ。

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