箱入り独裁者

ときこちゃんぐ

四畳半の監督

 二十三人のキャストが死んだ。あたしが監督した映画の、撮影中に起こった事だった。


 その作品には、ただの端役ではあったが、殺人鬼が登場する事になっていた。ソイツの役回りは、ショッピングモールで突然日本刀を振り回し、近くの買い物客をばっさばっさと切り刻みながら、主役とそのヒロインを追い詰めていくという単純な物だった。サスペンス・ラブロマンスには、よくある展開だ。

 あたしは脚本の通り、その映像を撮った。しかしまぁ、どうもリアリティが足りない。殺人鬼の持つ刀から滴る血は偽物だし、キャストの叫び声も、臨場感も、悲壮感も、そのすべてが作り物だと言わざるをえなかった。

 もう少し臨場感が欲しいと思った。

 だからあたしは、殺人鬼役の男にこう言ったのだ。


「お願いなのですが、実際にキャスト二十三人を殺してくれますか?」そしてキャストにはこう言った。「あの殺人鬼役は実際に殺しに来るので、いい感じに死んでください。よろしくお願いしますね」


 あたしの演技指導に、キャストの皆は大きく頷いた。台本を見直す目にも、なんというか、熱っぽさが宿っている。プロのキャストというものは、本当に仕事熱心なんだなと思った。

 カメラを回し「よーいアクション」と言いながらカチンコをパチンと鳴らす。役者の目の色が変わる。本物の殺人鬼と、それに追われる哀れな子羊役の色だ。そして殺人鬼は、刀を振り回しながら、二十三人のキャストを見事ぶち殺した。最高の絵が撮れた。

 現場は大熱狂だった。かつてこれほどまでにリアルな作品を撮った監督はいただろうか?ひょっとしてあたし達は、世界で最もいい映画の一つを作り出そうとしているのではないだろうか?そんな、酒に浮かれたかのような高揚感があった。

 だがまぁ、その映画はあたしの手で完成することはなかった。

 二十三人の死者が出たことで、プロデューサーやスポンサーはブチギレだった。世間からの非難も轟轟。親族からも、まるで狂暴なエイリアンから身を守るためだ、と言わんばかりに、絶縁を突きつけられ、勿論映画の監督からも降ろされた。

 不思議なことに、裁判沙汰にはならなかったし、警察のご厄介になる事もなかった。

 しかし、私財のすべてはしっかり取り上げられてしまったため、あたしに残った物はもう何もなかった。お金がなく、身寄りもない、あたしのような人間は「特別生活保護制度」というお偉い人が考えた制度に則って、狭い部屋に押し込められた。

最低限の食事と、最低限の娯楽だけは提供されるが、それ以外の自由は一切効かない。ディストピアを題材にしたSF映画でも、もう少し人間の尊厳が守られているのではないか、と思うほどだ。

 実際、あたしが今押し込められているこの四畳半の部屋には、テレビ、電子レンジ、冷蔵庫がそれぞれ一台ずつ備え付けてあるのみだ。テレビから流される番組は、数本の映画だけ。ニュースや、お天気情報を拝むことさえできない。

 雑誌や本は、事前に申請すれば、食事の配給時に届く。とはいっても、外の世界を知れるような物は申請した段階ではじかれる。国民的週刊誌すら、あたしには読む権利が与えられない。お偉いさんの言葉に則ると、それらは「過剰娯楽」に当たるらしい。


 あたしには何もなくなった。

 あたしの人生は、映画を撮ることに注がれるはずだった。しかしもう、その夢は叶いそうもない。何もできないこの牢獄で、死ぬまで過ごしていく事になる。本来ならもう、とっくに発狂していると思う。


 それでも、あたしの気が狂わずにいられるのは、ダーリンのおかげだ。

 あたしにはダーリンがいる。


 まだ顔も見たこともないが、あたしの事を真に理解してくれている、優しい男性だ。いつもあたしの身を案じてくれていて、甘い言葉をかけてくれて、包み込んでくれる。彼がいなければ、あたしはとっくに気を病んでいただろう。

 

 ダーリンとは、部屋に備え付けてある黒電話でやり取りをしている。

 そろそろ、今日も電話をかけてきてくれるはずだ。ダーリンはいつも決まった時間に電話をかけてきてくれる。律儀な人だ。そういうところも、本当に素敵だ。


 ジリリリリ。

 黒電話が鳴った。

 即座に受話器を取った。さながら、絶食中のライオンの目の前に、新鮮な肉をボトリと落とした時のように。


「も、もも、もしもし!」


 声がどもってしまう。あたしはいつもこうだ。自分に嫌悪感を抱く。

 もしダーリンに嫌われてしまったらどうしよう?こんな陰気な女より、陽気で、電話に出た瞬間から「待ってた」なんて言えるような女のほうがいいのではないだろうか。

 ダーリンからの返答があるまでの、一秒にも満たないその間でさえ、あたしは不安を抱いてしまう。だって、嫌われてしまったらあたしはどうやって生きていけばいいの?


『もしもし。遅れてごめんね』ダーリンからの返答は、びっくりするほどやさしい声色だった。『身体のほうは大丈夫かい?』


 あたしはニヤニヤする顔を隠しもせず、可愛らしく答えた。


「大丈夫、ダーリンが電話をかけてきてくれたから」


 受話器から伸びる電話線を、指にくるくると巻く。こんな仕草は、昭和生まれのメルヘンガールしかやらないと思っていた。だが、心の底から愛はあふれ出てくるのに、声だけで、触れ合えない状況下となると、自然と指が動いてしまう。愛のエネルギーが勝手に身体を動かすのだ。


『よかった。今日は何をしていたんだい?』

「うん、映画を見てた。でも、あの演出はちょっと古いと思う。いつもの映画なんだけど。えっと、あたしならもう少しうまく撮れるかも。えっと、リアリティがちょっとなくて、もう少し追いかけられる気がして、でもあれはあれで……ううん、やっぱりあんまりよくない演出だと思うから、あたしが撮りなおすならもっとこう」


 つい早口でまくし立ててしまう。はっと我に返って、口をつぐむ。


「ごめんなさい、話過ぎちゃった」

『いいよ。君が好きな事を話すと、僕もうれしいんだ』


 こういうところなのだ。ダーリンはこういう事を言う。あたしが欲しがっている言葉を、完璧に返してくれる。「ありがとう。愛してる」『僕もだよ』このやり取りだけで、天にも昇る気持ちになるのだ。

 ……ただ、それでも、あたしにはどうしても空虚感が残っているのは否めない。

 寂しいのだ。

 恋人というものは、本来触れ合わなければならないとあたしは思う。数々の名作ラブロマンスでも、最後にはヒロインと主人公は出会って、結ばれることになる。それが映画として正しい筋書きだから。

 あたしとダーリンの筋書きも、そうなるべきなのだ。


「あ、ああ、あの、ダーリン。お願いがあるんだけど」

『ッ、な、なんだい?』


 一瞬ダーリンが声を詰まらせた気がする。


「だ、大丈夫?」

『ああ、大丈夫』


 ダーリンの後ろから、なにか別の音声が混じってきている気がする。机がガタガタ動く音?人の声?なんだか、不穏な雰囲気だ。


「ダーリン、今どこにいるの?」

『えっと、今仕事場なんだ。ちょっと緊急の要件が入ったみたいで、別部署があわただしいのさ。僕は大丈夫。それで、何かな?』


 よかった。じゃあ気兼ねなく、あたしはダーリンにお願いすることができる。

 頑張れあたし。ラブロマンスの、ハッピーエンドを見るためには、ヒロインが動かなければならないのだから。


「あの、ダーリン。実はその……今から会いたいの。あたしの部屋に来てほしいの……お願い」


 言ってしまった!顔が熱くなる。動機が激しくなる。もし、否定されたらどうしよう?でも、こうしないと話が前に進まない。ヒロインがセリフを言わなければ進まないのと同じだ。

 沈黙が訪れる。

 背後でまた、ガタガタと音がなっている。不安だ。吐きそうだ。

 だがダーリンは、やっぱりうれしい言葉を返してくれた。


『うん。わかった。すぐに会いに行くよ。待っていて。必ず遂行するから』

「え、ほ、ほんと!? 会いに来てくれるの?」

『うん。必ず会いに行く。任せてほしい』


 やった!こんなにも上手くいくなんて!心が踊りだしているのがわかる。


「じゃあ、待ってるから!」


 あたしはとびっきり可愛らしい声でそう言った。

 ……だが、しばらくしてもダーリンからの返答はなかった。ひょっとして、電話を切らずに、そのままあたしの所に移動を初めた始めたのだろうか?不安が募る。

 受話器の向こうからは、相変わらずガタガタと音がする。人の怒鳴り声のようなものも聞こえる。別部署の緊急要件って、そんなに大変な出来事だったのかな?ダーリンもそっちに呼ばれてしまったのかも。

 しばらく待ってみる。

 だが、ダーリンからの返答はない。

 ついに不安になって、あたしは声を出した。


「だ、ダーリン? 大丈夫?」


 その声に反応してくれたのか、受話器の向こう側からガタガタと音がする。あわただしい。数秒待ってみると、突然、音が静まり返った。

 静寂が耳に痛い。怖くなってきた。何があったのだろうか。


『ごめん。ちょっと緊急の要件が僕のほうにも回ってきてしまったみたいだ。今日はそっちに行けない。ごめんね』


 静寂を破ったダーリンの声は、焦っているような声音だった。やっぱり、大変な要件だったに違いない。


「そ、そっか……うん。えっと、その」寂しいし、会えなくなったのは悲しい。でも、ダーリンが大変そうなのに、あたしがわがままを言えるわけがない。「大丈夫。ごめんね。お仕事、がんばって」


 あたしはそう言うと、ダーリンからの『愛してる』という言葉を聞いてから、受話器を置いた。四畳半の部屋に、静寂が戻ってくる。

 テレビをつける。

 あたしが酷評した映画と同じ物が、また流れていた。

 次にダーリンから電話がかかってくるのは、また明日だ。それまで、頑張って耐えよう。次こそは、ダーリンと会うために。


****


 モニターを前に座っていた男が、すくと立ち上がった。手に持っていた受話器を机に置くと、目の色を変えて、駆け出すように室内を出ようとする。


「ダーリン三十五号がやられた!!」

「カウンセリングにかけろ!!急げ!!手遅れになる!!」


 男の背後に構えていた数名の研究者と、屈強な警備員が、室内から抜け出そうとするダーリン三十五号を取り押さえた。「離せ!僕は彼女に会いに行くんだ!」ダーリンは叫んだ。まるでそれを果たせなかったら死んでしまうかのように、必死にもがいていた。そのまま彼は、室外に連れ出されていった。カウンセラーの元へと搬送するのだ。


「ひえー。やばいですね、あれ」


 新人が、コーヒーにシュガースティックを五本も入れながら、他人事のように言った。


「よく見とけよ。あれが彼女の力だ」


 ため息をつき、椅子に深々と座りこむ。

 俺が勤めている職場は『独裁者管理保全委員会』と呼ばれている。

世界中から集められた数々の独裁者達を、いろんな環境下に放り込み、モニターで監視を続ける。管理保全とは言ってはいるが、その実態は、独裁者達を様々な角度から監視、研究するために作られたイカれた組織だ。


「へぇ、命令されたり、お願いされると、その通りに動いちゃうってことですか?」


新人は飄々としている。目の前で突然人が豹変するところをみて、これだけ冷静にいられるのは、なんというか肝が据わっている。


「そうだ。彼女……通称監督は、お願いした相手を意中に動かす能力を持っている。映画の監督をちょっとやらせただけで、二十三人も殺した。その上、誰もそれをおかしいと思わなかった。とんでもない能力だよ」


 この施設では他の独裁者達も管理しているが、ここまで強い能力を行使できるのは彼女だけだ。少しお願いしただけで、どんな人間も意のままに操れる。こんな恐ろしい能力が、今まで世間に野放しにされていたのかと思うと震えあがってしまう。


『だ、ダーリン? 大丈夫?』


 受話器の向こう側から、監督の声がする。不安がっている。


「おい、次のダーリンを早く連れてこい」扉が開いて、先ほどの連行された男とは、別の男が現れた。「ダーリン三十六号、受話器をとって、マニュアル通りの対応をしろ」


 ダーリン三十六号は、事前に決められた、対監督メンタルケアマニュアル通りに言葉を発した。電話にはボイスチェンジャーが仕込まれているので、どんな男がしゃべろうが、監督が気にすることはない。


『愛している』三十六号が、閉めの言葉を言った。


監督はなんとか落ち着いてくれたようで、今日の電話は終了となった。


「あのお、質問なんですけど」


 おずおずと新人が手を挙げた。


「なんだ?」

「なんで、わざわざこんな事をしているんですか? 監視するだけじゃなくて、ダーリンっていう男をあてがって、毎日会話させているのは何故です?」


 俺はため息をついた。

 確かに本来、独裁者を管理研究するためだけに、こんなことをする必要はない。ともすれば、監督に洗脳されたダーリンを使いつぶしていくことになるのだから、リスクだらけの行動である。

 それでも、彼女にはダーリンをあてがい続けなければならない。


「研究者として、こんなことを言いたくはないんだが」何度もため息が出る。「経験則上、監督をあの部屋に押し込め続けるには、こうするのが一番得策なんだ」


 最初は、この四畳半の部屋に監督を押し込め、監視するだけの仕事だった。

 しかし暫くたつと、監督は自殺を計ろうとした。研究員と警備員が止めにはいったのだが、たった数秒の間に監督に洗脳され、施設のあちらこちらで暴動を起こした。なんとか事態は収束したものの、洗脳された職員たちは皆、殺処分となった。

 もう二度とおなじ轍を踏んではならないと会議が行われたが、娯楽を追加してみても、食事を少しいいものに変えてみても、何故かメンタルが安定しない。

 ある時、一人の研究員がたまたま監督と電話で話をした時に、えらくメンタルが安定した。そのまま続けさせたら、監督はこの研究員をダーリンと呼び、慕うようになった。ダーリン一号の誕生だ。

ダーリン一号のおかげで、自殺未遂は完全になくなった。部屋から出ようという意思も、完全に喪失していた。監督は、ダーリンに完全に依存しきったのだ。


「はぁ、なんだか大変ですね……」新人はどこまでも他人事だ。「でも、もっといい方法はないんですかね?」


「何度も会議したし、何度も考えたが、結局こうするしかないっていう結論に至ったんだよ」

「ははぁ。それを聞く限り、どうも独裁者の研究は上手くいってなさそうですね」


 新人の言う通り、独裁者に関する研究は全く上手くいっていなかった。とりわけ、監督に関しては何の成果も得られていない。

 俺は素直に答えた。


「どうしてお願いされただけで、あそこまで監督のために動こうとしてしまうのか……全く理解できないんだよな」


 新人はにんまりと笑っている。


「そもそも俺は、人のために何かをしてやろうとか、考えた事がないんだよ。だって効率が悪いだろ? 何の得もない。だから、何故ダーリン達がああなってしまうのか、理解に苦しむんだ」


 その答えに新人は、コーヒーをごくごくと飲み干してから、俺を見据えた。なんだか哀れな生き物を見るかのような、そんな目だ。馬鹿にされてる気がする。


「先輩、あれです? 独身?」


 俺は鼻で笑った。


「今はな」


 新人も、鼻で笑った。


「これじゃあ、いつまで経っても研究は終わりませんね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

箱入り独裁者 ときこちゃんぐ @SaranUndo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ