第71話 集中は無理

 「でも、楽しいから問題なーし」


 クスッと華奢に咲かせた笑顔に、負の感情はなかった。嘘偽りの不満。吐き出すこともないほど、それは皆無だったことに、ほんの少しだけ安心感が。


 「そうじゃないと、この顔の塗料が無駄になるしな」


 触覚を、適当に刺激して顔面に違和感を与え続けるそれは、不快だとしても、それが楽しい一連の流れで受けたものだと思えば、幸福だった。


 指先で少し拭い、保湿パックを施したかのような違和感に、思わず見て微笑む。こんなこと、今までなかった。家族は常に父が側に居るだけで、兄も姉も弟も妹も、誰もが俺の本懐を打ち壊した。


 一緒にこんなことが出来たら良いな。ああいうことしたいな。これはちょっと……。という、喜怒哀楽を身内で感じたかった。


 そんな思いが、未だに微かに残る俺に、まるでその救済かのように家族となった早乙女さん。俺は、口では興味もなくて、そんなに気にすることでもないと、豪語するように漏らしていたが、今はそうも言えない。


 いつの間にか、ホントにいつの間にか、心配をしては、頭の中で早乙女澪が駆け巡り始めた。「家族だから」と言って、それに甘えて振り回され、背中を追い始めると、俺は今に辿り着いていた。


 頭の片隅に、不思議と常に居る早乙女さん。幽とは違う、特別な何かが。


 「早く終わらせないとね。こんな遊んでたらいつまで経っても終わんないよ」


 真夏の風鈴のように、勝手に耳に響けば心地良さを与える声音が、俺のそんな溶けた脳みその全てを現実に引き戻した。目の前も見えなくなるほど、思い耽っていたようで、どことなく恥ずかしさが芽生えたのを自覚した。


 「……楽しいことには熱中するタイプだから、やる気が起きないんだよな」


 「やっぱり、楽をしたいのが人間だから、そう思うのも仕方ないよね。私も何か楽しいことあったら、絶対集中出来ないもん」


 「家でも学校でも、変わらず仕事は捗らないな。むしろ家での方が捗らないと思ってるけど」


 2人で作業するのは、どこでも同じだ。学校では、今日が偶然早乙女さんの部活が休みだっただけで、明日からは1人だし、2人だとしても、隣の教室に2人だけ。集中出来ないのだ。


 でも、人が来る可能性がある分、学校の方が集中は出来る。家では絶対に怠惰の片鱗を見せ、いつの間にか巫山戯て遊んで、お面を壊したり、間に合わなくなることだってある中で、少しでも集中しないといけないと分かっているが、どうも甘えたい自分が居る。


 「この仕事になったのも、いつもこうやって楽しんでるからなのかな」


 「と言うと?」


 「私は七夕くんと家族になる前までは、意外と退屈してたの。だけど、今はそんなことないし、幸せは結構貰ってると思ってる。だから、その分面倒な仕事をさせられてるのかなって」


 白から赤へと変化した、筆先の塗料。栄養失調のお面を製作しながらも、淡々と答えた。


 「でも、思えばこれも、七夕くんと笑い合える時間と思えば、正直そんなに苦じゃない。ただ……部活で一緒に活動出来ないのが難点なだけで」


 一度口ごもるが、何事もなかったかのように繋げた。作業は止まらず、「あっ」というような相好の変化すらも、驚きの表情変化に乏しいわけもないだろうに、全くなかった。


 何かに気づいたように口ごもったのは理解しているが、その奥へと、俺が暗闇の中へ入る資格はなかったらしい。


 「それはそう。俺も、器用に1人で何もかもを出来る万能な人間じゃないから、早乙女さん居ないと結構困る。休み時間とか、昼休みに少しでも完成に近づけれればいいけど」


 なにも放課後だけが作業時間じゃない。学校に足を踏み入れていれば、いついかなる時も作業は可能だ。いや、流石に授業中は無理か。


 「まだ期間はあるし、大きいけど描き終えることは出来そうだから、今から焦らなくても良いと思うよ」


 「完成の未来見えてるのか?」


 「大まかにだけどね。そもそも間に合わないなら、文化委員の2人が足してくれるだろうし、気にしてないよ」


 俺たちよりも無理難題を強いられてる係は存在する。しかし、暇を持て余す人も存在する。その暇を持て余す人材が、俺たちのサポートに回るのも必然的だろう。


 色彩的に、そんなに種類はないし、ベタ塗りで許可をされているため、塗ることに上手い下手は関係ない。看板には、ここにこの色ですよ、と、シャープペンシルで薄く色の指定もあるので、間違えることもない。簡単で、誰にでも出来る作業というわけだ。


 「よし、お面は取り敢えず完成させようか」


 「遊んだ後に気合も何も入らないけどな」


 「だよね。もう寝て、また明日からっていうのを、あと1週間は続けたい」


 「1週間後には、あと1週間延長って言ってる未来が見える」


 「バレた?」


 「そういう性格だしな」


 間違いない。誰よりも、今の早乙女さんを知っているのは俺だと思う。心を許し合い、拠り所としてお互いが寄り添っている。そんな俺たちに、性格のことなんて手に取るように分かる。


 錆びついた過去を研磨して、俺たちは俺たちのペースで距離を縮めている今、分からないことはほとんどなかった。


 しかし、その少ない不明点が、何よりも大きくて気になって、動悸を激しくするだけの材料なのは、どうしても拭えなかった。

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