第68話 色塗り

 「私に……興味あるの?」


 動き出すのはまだ先のよう。止まって塗料のついていない筆を、膝の上でクルクル回して自分を擽っている。見てしまえば、細くて透き通る乳白色の肌に目を奪われる。サッと視線を逸らすことも難しい中、なんとか欲に抗った。


 「早乙女さんには、家族になってから興味しかないよ」


 別れてから、「別れた」という言葉に翻弄される自分がいるのも、俺は知っている。執拗に考えて、何故かいつの間にか頭の片隅に早乙女さんが居る。執着するように、興味に駆られて。


 「だから、文化祭のことよりも気になるし、耳を傾けたくなる」


 言われて早乙女さんは、筆の回転速度を増す。何やら「うーうー」と呻き声のように、低音の訴えも続け、俺はおかしくなったのか?と、少し疑う。


 「……そうなんだ」


 間があって、可愛らしくもじもじする姿に恍惚を覚える。


 「見方って、いい方向なのか?」


 「うん。一緒に暮らしてから、七夕くんの優しさに触れて、霊の親友としての立場の過ごしやすさが分かったんだよね」


 「幽の?ってことは親友の関係を築きたいってこと?」


 親友と言われればむず痒い。けれど、俺たちはその上を行く家族だ。間柄は親友でも、やはり姉弟としての関係がいいかもしれないと思ってしまう。


 「それもある。けど、他にも求めることっていうか、知りたいことがあるの」


 「何?」


 「それが、今自分で解明してること。七夕くんにはもう少し待ってもらうことになるよ」


 俺と同じことを言ってくれるのかと期待したが、そうではなかった。でも、期待しても裏切られることはなさそうだ。今までも、早乙女さんが俺にデメリットを掲げたことはないのだから。


 「なんだかワクワクさせてくれる言い方だな」


 「ワクワクしてくれるなら、結構嬉しいよ」


 真意を知ることは、金輪際決してない。人の心を読むことなんて非現実的なことを出来る人間じゃないし、たとえそれが出来たとして、それに沿って俺が行動出来るとも思わない。


 だから今、ワクワクすることに喜んだ早乙女さんを信じて、俺は解明されるのを待つ。


 「ってほら、そんな話してると手が止まっちゃうから。これなら学校でも家でも、進行速度は変わんなくなっちゃうよ」


 灯台下暗し。早乙女さんの腕が止まってることには敏感でも、自分の腕が止まってることには鈍感。いつの間にか止められていた腕を、言われて即座に動かす。


 「話してると作業忘れるよな。早乙女さんとだと、つい楽しくて」


 「ふふっ。ありがと」


 確かに変わり始めた、初期の頃の笑顔と今。テーブルを囲み、家族で初めて顔を合わせた日。その日の美少女としての確固たる地位を確立させた、溶けない硬い表情は、今では片鱗も見せない。いや、見えなくなった。


 これが素であり、心の中を開放した早乙女さんなのだと、慣れ始めた今、俺は一歩先へ進んだ気持ちを正直に突き動かす。仲を深めたい一心なのか、それとも別の興味や好奇心なのか、俺にも解明を必要とする気持ちが、咄嗟に俺の体を支配する。


 「早乙女さんってお風呂入ったよな?」


 「ん?うん。寝巻きだからそうだけど?」


 「いじわるとかされたことある?」


 「あるよ?何回もってか、友達となら日常茶飯事だけど。それがどうかしたの?」


 顔を合わせることはなく、お互いにお面に筆で色をつける。


 「なんか、同じ作業だし、ここ学校でもないなら、早乙女さんにいじわる出来るかなって」


 「……え?私にいじわる?」


 「そう。怒る?」


 「……内容によるけど、多分七夕くんなら何でも怒らないと思う……よ?」


 心底不思議そうに、俺の顔を見る。初めて合った顔に、俺は不覚にもドキッとしてしまった。ここ最近しっかりと拝めてなかったご尊顔。艶のある唇が動くと、瞼が落ちて瞬きをすると、顔のパーツが何かしらの動きを起こすと、そこに視線が動かされる。


 めちゃくちゃ可愛いな……。


 思って、その駆られる衝動にストッパーはなくなった。俺の利き手である右腕は伸ばされ、次の瞬間、早乙女さんの頬に筆先をちょこんとつけると、赤々とした塗料が、頬の乳白色という単色に彩りを添えた。


 「――うわっ!」


 目を見開いて驚きを顕にすると、左手を後ろについて仰け反るように反応した。


 どうしてもしたかった。早乙女さんに塗料をつけるなんて、小学生中学生が、好きな子にしてしまうような衝動に駆られたのだろうか。俺自身も、この高まり続ける高揚感に、謎を抱いていた。


 「……赤の塗料……いじわるってこれ?」


 「そう、これ。いきなりで悪かった。めっちゃやりたくなったんだよ」


 頬に触れて、何色がつけられたのか、若しくは何をされたのかを理解しようとその違和感を確認した。


 「ホントに突然だね……驚いたよ、色々と」


 「俺も、咄嗟のことに驚いてる。けど、後悔はしてない。あの早乙女さんにいじわる出来たって思うと、なんか嬉しい」


 圧倒的優越感だ。ただでさえ、同じ家に過ごす家族として羨ましがられるのに、いたずらを許される関係ともなると、更に拍車がかかる。


 「これってやり返しもありだよね?」


 「そうこなくっちゃな。これでお面が10に増えたな」


 「振り出しだけど……楽しいならいっか!」


 ノリの良さは流石陽キャのトップ。可愛すぎる笑顔と共に持たれた筆は、ペン回しされて、新聞紙に塗料を撒き散らしている。

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