第64話 選択肢は2つ
「大切な人……か」
「気に入らなかったか?」
「ううん。結構気に入ってるよ。私は七夕くんの特別だってことだから」
七夕くんの目を見れない。見てしまえば、これが恋だと気づくかもしれないから。気づいてしまえば楽なこともある。これまで知らなかったことを知れて、モヤモヤが消えるし、関係も更に楽しくなるだろう。
けど思えば、私は八尋先輩と付き合っていた時から、似たような気持ちを抱いていたことになる。そんなの、私も浮気をしていたも同然じゃないか。
そう思うと、私は自分のこれまでに嫌気が差した。確かに、恋を知らずに告白されて付き合った。ただ、話すのが楽しくて側に居てくれる安心感が心地良かったから。でも、それは好きということじゃなくて、ただの私の過去の穴埋め。
それに付き合わせていたということは、私も八尋先輩と同類ということになる。そんな私が、恋をして良いはずがないんだ。誰にも気づかれてなくて、うちに秘めた想いだけど、こればかりは気づいてはいけない。
確信してはいけないんだ。
「そうか」
声も聞きたくない。聞けば聞くほど、その顔を見たくなるから。それに、目を見て話さないと不自然に思われるから。
「話は変わるけど、体に傷はないけど心はどう?聞くのは女心分かってないかもしれないけど、気になってたから」
遠慮なしで良いから。この言葉が刺さったことにより、七夕くんもまた、遠慮なく聞いてくる。
「それは……前も言ったけど、大好きって気持ちがあったから付き合ったんじゃない。だから今も、別れたことと浮気されたことは、もう気にしてないよ」
今は別の気持ちに惑わされてるから。
「やっぱり、過去のことが影響して、彼氏さんと付き合ったのか?可奈美さんから早乙女さんの過去を聞いたんだ。過去に元父から愛情を受けずに育って、それ以降寂寥に包まれるようになったって」
「……うん。そうだと思う。はっきりとは分からないけど」
やはりお母さんから聞いていたらしい。少しは同情してくれているんだろう。
「だとしたら、今はもうそんなに気落ちしてなくて、どちらかと言えば俺が落ちたことに、気落ちしてるってことか?」
「そうだよ。もう浮気のことはどうでもいいの。今は大切なことがあるから」
浮気した人のことよりも、大切な人がそこに居るから。何よりも大切で優先される人。私に寄り添ってくれる、唯一の異性。
「なーんだ。それでそんなにテンション低いのか。そこまで彼氏さんのことを引っ張ってなくて、少しホッとした」
地面に引きずられるように体が脱力している。溶けたアイスのようにだらけた姿勢は、私の視界に入ってきていた。
「気にすることはなくなったし、何か楽しい話か何かするか?何もなかったら、今日はゆっくり寝るけど」
「何か楽しい話……」
思いつこうと必死だけど、心の底では今日は帰ってほしいとも思っていた。視界に顔が入ると、その時にもしかしたら気づくかもしれないから。
葛藤する。もう話をしたいと思うことが、これまでの私と違っていることの証明なのに、それに気づいてないふりをする。心の穴を埋めるために、近づいて仲を深めようとした。それが行き過ぎて、仲を深めるどころか、七夕くんの魅力に触れてしまう領域まで踏み込んでしまった。だから少しでも知らないふりを意識しないと、飲み込まれる。
「いつでも話せるし、今日は取り敢えずゆっくりするか。色んなことがあって、感じない疲れも溜まってるだろうし」
下を見続ける私を見て、やはりいい印象は抱かなかったのだろう。声音こそ変わらないけど、私のことを気にしてくれていたからこその提案だった。
「んー……そうだね。明日も学校休みだし、今日は」
嫌だと言う気持ちはあった。それはこれまでとなんら変わりない。声に出せないのも、いつも通り。
「だな。それじゃ、戻るから。早乙女さんもごゆっくり」
溶けた後、冷蔵庫に戻された七夕くんは、背伸びをして伝えた。私の中に、嫌だ嫌だと拗ねる気持ちがあるとは知らずに。
そのまま部屋を出ると思われたが、ベッドまで離れた私ののとこまで歩いてくる。細くて筋肉質な足が見えるだけで、胴体は見えない。近づくなら普通、不思議に思って顔を見上げるのだろうが、私はしなかった。
次の瞬間、温かくて心地良い手の感覚が頭の上にポンッと置かれた。そう。私が今垂涎しそうなことを、七夕くんは平然とやったのだ。
「嫌なこととか、不安なことが起こった日は、悪い夢とか見るから、気負わず落ち着いて寝るんだぞ?今日の嫌なことは忘れて、また明日元気におはようを聞かせてくれ」
きっと笑顔だ。私が今見ないことを悔やむくらい笑顔だ。見れないのが本当に嫌だ。けど、私はしなかった今は気落ちしてる設定。顔は上げない。
でも、気づきそうだ。そんなに優しくしないでと、私の心の扉を強く叩いて来ることに抵抗する。何も知らない、無垢な七夕くん。
ズルい……。
「おやすみ」
「……おやすみ」
名残惜しく出た言葉に、七夕くんは背を向ける。すぐそこの扉に手を掛けると、もう私の前からは居なくなってしまった。触れられた頭が、未だに温かさを求める。行かないでと、扉が閉まって伸びた腕は、悲しくも下ろされた。
こうして、濃くて濃くて、新たな何かを築こうとした私と七夕くんとの関係。一歩目を踏み出したのは、私が先だった。いや、まだ確実とは思えない私も居るのは正直なとこ。
これは過去の出来事が干渉したことによる――依存なのか、過去の出来事が干渉した上での――恋愛感情なのか。私はこれを知る必要が大いにあった。
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