第63話 もしかしたら

 「ただいま」


 今日3回目のただいま。徘徊から帰宅し、シャワーを浴びてからすぐに私の部屋に来てくれた七夕くん。その表情に全くの曇りなく、海の中に落ち、ずぶ濡れにさせた原因の私を咎めることすらなかった。


 「おかえり」


 何も気負いなく出るはずもなく、申し訳なく負い目を感じて出た返事。下を見て、目を逸らしてしまうのは私の悪いところ。


 まだ少しばかり湯気が立つ七夕くんは、いつもと何も変わった様子はなく、前回同様椅子に腰を下ろした。


 「本当に怪我はなかった?一応防波堤もコンクリートだから、膝を強くついたりしたら擦りむきはする。それに、俺も思ってたより強く引いたから、脱臼だったりあるけど」


 ただただ優しかった。自分のことよりも、私のことを気にしていることが。だから余計に胸が苦しい。何故そうも私のことを考えてくれるのか、どうして咎めてくれないのかと、優しさに浸ってしまいそうな自分が居るから。


 「うん。本当に大丈夫だよ」


 「そうか。なら良かった」


 一応目で見ても確認する。暗闇で見えなかった先ほどとは違い、私に傷がないことや、顔を見て嘘を言ってないと見抜いたらしい七夕くんは、ホッと安堵感に包まれるよう背もたれに縋った。


 「七夕くんは?」


 「めちゃくちゃ元気だぞ」


 言いながら肩を回して、朗らかに笑って見せる。


 「下がコンクリートとかアスファルトなら、流石にここに座ってられなかったけど、そうじゃなかったから結果論で大丈夫だ」


 「でも――」


 「知ってる」


 先を読んだのか、私の言葉を遮って、雅やかな瞳を真っ直ぐ向けてくる。私は見惚れるように口を塞いだ。


 「あれは偶然海だったから助かった。言い換えればそうなる。だから、ただの奇跡でしかない。その上で、もしもあそこが海水じゃなかったら、きっと俺は大怪我、最悪の場合死んでた。だから未知の暗闇を安易に早足で歩いて、怪我を負いそうになったのは、俺も許せない」


 これは私のことを思って言ってくれていることかもしれない。そう感じていても、胸の奥にある罪悪感はその注意に対して、ありがたさをも感じていた。


 「……うん。本当にごめんなさい」


 晴れることはない。けど、軽くなる気持ちはあった。


 「うん。だけど、俺にも落ち度はある。寄り添えなかったことや、あの場で強く静止出来なかったこととか。だから俺からもごめん。次からはもっと早乙女さんに対して、親身になって接するから」


 あぁ……なんでこんなに優しく接してくれるんだろう。私なんてこれまで、自分を隠して生きてきた怯懦な人だった。だから、何かに縋って生きることに慣れ、今に至る。七夕くんはそんな私を更にダメにしていく。


 でも、七夕くんになら良いかも、なんて思ってしまう私が居る。いや、そんな私しか居ない。八尋先輩とは比にならないほど、私の心を動かしてくれる……。


 嘘じゃないのは、家族として少ない日を過ごしただけでも分かる。根っからの善人で、私のためにと体を張ってくれたことが何よりの証拠。


 きっと私は七夕くんに依存を始めているんだ。


 「だから、早乙女さんも遠慮なく生活してくれ。俺も、早乙女さんの今に寄り添えるなら、もう気にすることはないから」


 八尋隼也という呪縛が消えた今、七夕くんの前からの口癖「彼氏さんに申し訳ない」も消える。つまり罪悪感すらも消えるということ。


 「俺たちは家族だし、お互いに埋められることは多くあるだろうからな」


 知ってる。私はそうして今まで生きてきたから。これからも変わらない。はずだった。言われてからギュッと心臓を掴まれたような苦しみが襲った。それは何に対してか、知らない知らないと言い張ってきた私だが、恥ずかしくも分かってしまった


 「そうだね。私も寂しさとかは人よりも多くあったから、それだけ多くのことを七夕くんに求めたけど、遠慮なく接していいなら甘えるよ」


 どうなんだろう。初恋をする人は、こんな気持ちなのだろうか。もし、今抱く気持ちが人を恋愛感情を持って好きになるということなら、私は間違いなく七夕風帆くんのことが好きだ。当たり前のことだけど、恋愛感情の定義は人それぞれだから、いまいち掴めない。


 ただ、身近に私の心に寄り添える人が現れたから、こんな気持ちになったのかもしれないし、異性の親友としてかもしれない。一概に恋とは言えないけど、可能性は高い。


 常に落ち着いていて、クールであり寡黙として知られる人気者。そう思ってた家族になる前。それが少しだけ関わって、家族になってから私はギャップや優しさに触れることで、好きにさせられたのかもしれない。


 懸想が本当ならば、今の私は……結構凄いことになっていないだろうか。好きな人と部屋に2人きり……。


 「ねぇ、七夕くん。どうして私を気にかけてくれるの?家族だからって理由だけで、ここまでしてくれるとは思えないから気になって」


 思うままに聞いた。意識を逸したかった。恥ずかしくも、今の場に似合わないことを考えて、頬を赤く染めたくなかった。


 「大切な人だから、だな。家族としてはもちろん、友人としても大切だし、仲を深めたいのは俺も同じだから」


 やはり私は、もう手遅れなのかもしれない。これまで恋人や恋愛感情とか、色恋に関することは全く理解なくて興味もなかった。しかし今、私は興味がある。七夕くんの一言に喜び、頬を緩ませ笑顔を咲かせる。この行為が、そういうことなのではないかと、私は心の中でふと思っていた。

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