第54話 覚悟

 朝を迎えたとはっきりしたのは、近くに感じる人の気配からだ。ハッと脳が覚醒し、私はすぐに違和感を感じた方へ視線を向けた。昨日、どうやって眠りについたかを忘れて。


 見て分かった。私は我儘を言って七夕くんを、ベッドを枕に寝かせたのだ。寝惚け眼を擦り、ゆっくりと動いた。右腕だけが私の手元にあって、左腕は変わらず頭の上だ。


 起こさないよう細心の注意を払って、私はベッドの奥へと下がった。しかし、人の気配で起きたと言っても過言じゃない私。それは七夕くんだって同じだったらしい。流石に動けば気づかれる。


 空虚な今を変化させるように、七夕くんは瞼を上げた。学校で授業中に居眠りし、チャイムが鳴る数秒前に起きるような感覚。つい、いじわるをしたくなる表情に、私の手は動こうとするのを止められた。


 「おはよう。起こしちゃったかな?」


 私自身、ハキハキと話せないのは確かだ。起きた瞬間から、夢の中かと錯覚するほどにはボケていた。朝に弱いから、今のこの状況も私にはよろしくない。人肌を感じたいと強く願ってしまう時間帯でもあるから。


 フニャフニャの私の問いかけに、今起きたばかりの七夕くんは言う。


 「ん?……あぁ……そうか。おはよう。起こされてはないと思う」


 眉間にシワを寄せて、明かりが届かなくても視界に入る微かな光の量に抵抗する。その顔すらも私には愛おしくて、いつの間にか右腕を握っていた。


 「そっか。結局起こされることはなかったね」


 「それは……この状況だと無理だったな。慣れないとこで寝るから大丈夫かと思ったけど、逆に落ち着いて寝たわ」


 掴まれた右腕は使わず、左腕を天井に向けて、同時に背伸びする。いい朝を迎えられたようで、私の罪悪感もほんの少し拭われた。


 「取り敢えず朝は陽の光浴びるのが1番だぞ」


 右手を2回、連続して握り、開けに行くから離せと伝えられる。


 「あぁ、うん。ごめん、いつの間にか掴んでたよ」


 「それだけ寂しいのを埋めようとしたってことだろ?気持ちは分かるから、謝ることはない」


 窓に向かって歩き出し、こちらを向かずに言った。同じ境遇に立つ者同士、理由はなんであれ、寂しいことには共感してくれる。私は七夕くんの過去を詳しく知らない。だから、勝手な共感も失礼になるだろうけれど。


 ガラッと開けると、秋へと季節が変化し始めるのを、微風で知らせる。温い風や涼しい風邪引くではなく、冷たいと肌に知らされる微風だった。髪も靡き、片目を閉じて髪に触れた。


 「今日も晴れか。いい天気だな」


 合わせて電気もつけて、明順応した瞳でその後ろ姿を眺める。昨日から私の側に居てくれた、心の拠り所。その1人が、晴れ渡る空を欠伸をしながら見ている。実は人気で魅力のある七夕くん。そんな存在を独り占め出来ているのは、贅沢だったりする。


 「七夕くんは、朝強いの?」


 私よりも明らかに元気な姿に、しれっと負けず嫌いが発動した。どう見ても強がってる様子はなく、敗北は目に見えていても、私は聞きたかった。知りたかった。


 「早乙女さんよりかは強いかな。起きて10秒もあれば動き出せる」


 「完敗だよ。冬とか出られるの?」


 「もちろん。足から出して、徐々にベッドから落ちる。そしたら脳も覚醒して、動き出さないといけないスイッチが入るから」


 「独特すぎるね……」


 想像するだけで面白い。その姿を見てみたいと、いつか冬の朝、忍び込むことを今決めた。勝手に入るのは非常識でも、家族間にそんな常識はない。一応ノックして、言い訳は出来る。


 もう1度、今度は窓の外で背伸びをすると私と目を合わせる。既に澄んだ目は、何を言うのかを示唆していた。


 「今日、行くんだろ?」


 「そうだね。寝る前に連絡入れて、許可もきてるから、あの人の大好きなカラオケ店で待ち合わせ」


 「そうか。何かあったら連絡してくれ。相手は獣だからな」


 「ふふっ。分かってる。ありがと」


 きっと七夕くんが側に居てくれたら、私はどんなことも言えて、悔いなく問い詰めることは出来るだろう。だけどそれは情けない。私が1人の女として、裏切られたことに対抗する意思を示すためにも、七夕くんの力は借りれない。


 「別れることに、嫌だとかそういう気持ちはないのか?」


 「少しだけ。どれだけ浮気をするような人でも、隠して接して、私と楽しく会話してくれたことは消えないから。だからそこが記憶されてる限り、離れるのは嫌だと思ってる」


 初めて食べた料理にハマって、それが依存性のある違法の調味料を使われていたようなものだ。知らずに美味しいと感じ、何度もそれを求めるが、結局それは手放さなければいけないもの。依存度は低いけど、それでも少なくとも私の心の拠り所ではあったのだから惜しさはある。


 「でも、今はもう気にしてない。人の生き方に口出しは出来ないけど、自分や他人に迷惑をかけるのは誰でも許されないからね。裏切られるのは辛いこともあるし」


 「だな。特別視するのは仕方ないけど、家族が遊ばれたなら俺も気分は悪いから、スカッとやってくれ」


 特別視。初めて実感したかもしれない。七夕くんの口から私を家族として特別視してくれてることが聞けるとは。この同じ部屋で過ごしたことが、もしかしたら大きかったのかもしれない。


 「うん。スカッとやったる!」

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