第51話 私は私

 珍しいことを言われ、その時を待たされる時の時間経過は早かったり遅かったり。学校にいた時のことを薄っすらとしか思い出せないほど、早く経過した時間の中で、私は待っていた。


 21時を過ぎた時、部屋の扉がノックされ、快く入室を許可した。何を言われるのかと、ただ仲を深めるためにこの機会を設けたのではないと、私は理解していた。


 まだお湯をかぶった熱を持つ顔には、今日の朝ほどの元気はなかった。七夕くんは椅子に座り、ベッドにいる私の方を向いた。


 「お風呂上がりのクーラーって気持ちいいな」


 第一声は明るかった。1週間の疲れを身に感じてるだけなのだと、私の勘違いを拭った。


 「そうだね。眠くなったりもするもんね」


 「椅子でも寝れるし、最高」


 「分かる。どこでも寝れるもん」


 今回も変わらず仲を深める他愛ない会話をしに来たのかと思うほどの、いつもと変わらない会話。聞いたとこで意味もない会話が続く今に、私はそれでも楽しいと思えていた。


 だが、それも終わりが近かった。深呼吸をする七夕くんの表情が一瞬にして変化したのだ。同時に、私も嫌な予感がした。


 「早乙女さん。今日の朝に言った話があるってやつ、その話をしてもいい?」


 「うん。いいよ」


 私はまだ残る、まったりとしたいい話が来ることを信じた。初めて見る七夕くんの表情に、そうは思えない気持ちが強まるばかりだったけど、それでも絶対に信じた。信じ続けた。


 「端的に言うけど、彼氏さん――八尋先輩は他校の女子と付き合ってるらしいんだ」


 無様にも、その信じる私の味方は誰も居なかった。七夕くんから言われたこと。私はそれを理解するのは、途轍もなく早かった。


 「……つまり、浮気してるってこと?」


 「そういうことになる。これは信じれる他校の先輩からの話で、その後にこういう動画も証拠として送られてきた」


 そう言って、スマホを取り出してとある映像を流しだした。


 『うわっ!95点?!やっぱ俺のまりんは違うな!』


 初めて見る女子生徒に、肩を組んで密着する八尋先輩。顔も近く、ほとんど抱きしめてると言っても過言ではなかった。


 「まりんっていう人が、俺の聞いた八尋先輩の他校の彼女さんの名前。送ってくれたのはその風蘭高校の生徒会長さんだから、確実かな」


 後付で説明をする七夕くん。申し訳無さそうに、そして同情するかのように、その優しさに包まれた瞳を向けてくる。きっと私のことを心配しているのだろう。親の離婚で子供がどう思うかの気持ちを共有出来て、共感出来るからこそ、それは人並み以上に。


 私は見せられて言われて、少し黙った。浮気をされていることは確実だ。それは私にでも分かった。浮気じゃないなら、他校の女子生徒とあれほど密着し、私の、共に帰る誘いを断っているのは頷けなかった。


 だが、それだけだ。私は何故か、自分でも分からないが、悲しくも寂しくもなかった。何よりもムカつきすらもしなかった。呆れた?それが正解に最も近いのかもしれない。けれど、確実な答えは浮かばなかった。


 好きという気持ちを知らないのは、自分でもよく知っている。ただ、自分の気持ちに寄り添ってくれて、楽しく会話を続けてくれた八尋先輩を良いと思って、付き合った。それだからなのかもしれない。でも、分からない。


 ――私は何故、何も思わないの?


 「これを教えるのは、複雑な気持ちで憚られたけど、言わないといけないと思ったから言った。八尋先輩は、女癖が悪いことで知られてたから、人の恋愛に口出すのも悪いけど、別れることを考えた方が良いと思う」


 落ち着いている私を、ショックで言葉も出ないと勘違いしている七夕くん。どこまでも優しくて、寄り添ってくれる人なのだと、この状況でも嬉しく思えた。


 「そう……」


 別れる。それは私にとっては悲しくもつらい決断。そのはずだ。別れたらそうだと、付き合った時に知って覚悟したのだから。でも、別れることに、今の私は「いいんじゃない?」程度にしか思っていなかった。


 ――何故?分からない。


 自分の気持ちが分からないから、そっちに引っ張られてしまう。浮気のことよりも、自分を知りたかった。心配してくれる七夕くんの優しさに反するのは悪いけれど、どうしても。


 「うん。そっか。浮気されてるなら、別れるしかないよね」


 「それはそうだと俺も思う」


 「教えてくれてありがとう。近々別れるって伝えに行くよ」


 「……大丈夫か?」


 どんな意味が込められてるのか、選択肢が多すぎて分からない。けど、どれを選んでも答えは同じ。


 「大丈夫だよ。私、しっかりしてるから」


 傷つくことはなかった。どちらかと言えば、私を家族としてずっと前から大切にしている七夕くんの方が傷ついているように見える。


 もしかしたら、私の過去をお母さんから聞いたのかもしれない。それで、私を弄んだことに憤りを感じているのかもしれない。憶測だけど、七夕くんならあり得る。


 「それにしても、浮気か。される側になるって、私もついてないね」


 「思ったより軽いな。もう少し気分悪くして落ち込むかと」


 「相手が浮気するような人なら、未だに好きって言って落ち込む方がムカついてくるからね。吹っ切れて、私はもう浮気するような男の女じゃないって思うんだよ」


 「それが、早乙女澪か」


 そう。私は私の思いがあるんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る