37 ありったけの魔力

 フランと対峙する日までグリンは変わらずに日常を過ごした。畑の様子を見に行って、ゴーレムの建築作業を見学する予定にリリナの修行の見学も加わった。

 グリンは早い段階でフランとの戦いの場をライム湖に決めていた。この場は周囲が開けていて魔法による被害が周囲に及びにくいと考えたからだ。

 グリンと同意見だったイルヴァは実際に現地でフランの動きを一緒に実践してくれた。

 二人の距離感にリリナとシトラも最初は嫉妬していたが、鬼気迫る二人の様子に何か深い理由があることを察すると素直に応援してくれた。


 グリンの魔法の話にリリナとシトラは深入りしてこなかったし、不自然なほどにヤマネコの話もしなかった。そんな気配りにグリンがどれだけ感謝していたのかは二人は知る由もない。


 フランとの約束の日の前夜、イルヴァとシトラはアイトリノに用事があるらしく、リリナとグリンは珍しく家で二人きりになった。


「……ねぇ、グリン。私の魔力を受け取ってみてくれないかな」


「この家が爆発するから止めたほうがいい」


「もう! 私だってたくさん練習したんだから! いいから手を出して!」


 有無を言わせずリリナはグリンの手を握る。グリンは珍しく焦ったが、淡く光る手のぬくもりに安らぎを感じると体の力を抜いた。

 どれほどそうしていたかはわからないが、リリナが脱力しグリンの方に倒れ掛かってきた。グリンは慌ててリリナを受け止める。


「ほ、ほら上手く……言ったでしょ?」


「無茶は駄目」


「無茶してないよ。でもしばらく動けないかも……」


「リリナにはもっと魔法の訓練が必要。でも今はゆっくり休んで」


 額に汗を浮かべるリリナにグリンは優しく膝枕をする。リリナをしつこくたしなめながらグリンは経験したことのない異常な魔力の高まりを体内に感じていた。



 翌朝グリンは朝食を食べ終えるといつものように外出の準備をする。家を出ていくグリンをリリナとイルヴァ、シトラは変わらずに見送った。誰もがグリンがすぐに帰ってきてくれることを信じていたからだ。


 森に入るとグリンの背後にはいつの間にかフランがいた。「ついてきて」とグリンが伝えるとフランは大人しくそれに従った。

 グリンはフランを先導して計画通りにライム湖の湖畔に連れてきた。

 

 グリンはリリナから預かった魔力はもちろん、精神面でも活力に満ちていた。一週間考えて確かなものになった思考を整理する。

 自分は勝手に天界から捨てられたと思い込んでいたが、そこにもし理由があったとしたら。


 グリンは信じることにした。

 今までの竜の姿を人間に変える修行は無駄ではなかったと。両親からのグリンへの態度にも必ず意味があると。


 自分が地上に降り立ち人間の姿になったことの意味は、今後自分の手で答えを見つけなければいけない。

 その為にもここでフランに意志表示をする必要があるとグリンは考えた。足枷となっていた負の思い込みをグリンはもう捨て去っていた。

 グリンの心の奥底に炎が宿る。どこまでも澄んだ、青く高潔な炎。


「……フラン、ここなら誰の邪魔も入らない。いつもの姿に戻って」


 ヤマネコが目の奥でにやりと笑うと眩い光に包まれる。

 そこに立っていたのは、グリンと同じ銀色の髪をした少女だった。

 太ももがほとんど見えるほど丈の短い水色のワンピースに、腕も足も黒のタイツで覆われている。

 肩に届かない長さで切り揃えられた銀色のショートカットからのぞく大きな青色の瞳が不敵に細められた。


「なんか気にいらないのよね、今のグリン」


「……フランは、誰に言われてここに来たの?」


「誰にでもないわ、私の独断。もちろん里から地上に降りる許可は取ってあるわよ」


 鈴の音を鳴らすような声と裏腹な、尊大な態度でフランは告げる。


「単刀直入に言うわ。天界へ帰りましょう、グリン。竜から人の姿になれたのなら、あなたが地上に落ちたのは無駄ではなかった。きっとあなたのお母様も褒めてくださるわ」


 フランの言葉にグリンは迷いなく首を振った。


「僕はまだ帰らない」


「……そう言うと思っていたわ。魔女とずっとこそこそしていたものね。まぁ面白そうだからあえて放っておいたのだけれど」


「フランはもう帰っていい。天界に僕はここに残ると伝えて」


 フランの表情が歪む。


「何その言い草? 自分の立場がわかってるの?」


「じゃあ伝えなくていいから帰って」


 端的なグリンの言葉にフランの余裕が徐々に消えていく。


「さっきから随分と舐めた口を聞くわね? 私のことを年下だと思って甘く見ているのかしら? 落ちこぼれだったグリンがやっとこさ人の姿になれたらこうまで変わるのね。魔女に甘やかされて自分が特別な存在にでもなったつもり?」


「そう、僕は変わった。フランは知らないだろうけど」


 フランはこめかみをひくつかせる。何もかもが気に入らない。どうやら怒りの沸点が近いようだった。


「穏便に済ませようと思っていたけれど、私も気が変わったわ。これ以上グリンが駄々をこねるなら、私がこの森を焼き尽くして、グリンが帰らざるを得ない状況にしようかしら」


「焼く前に僕が炎を消す。方法は知っているから」


「まだそんなことを言えるんだ。少し頭を冷やす必要があるわね」


 フランが人差し指を立ててくるりと回すと湖の水がうねりを上げて一筋の線を描き、とぐろを巻く。それは空中で濃縮され氷になり、爆ぜてグリンを襲った。


 グリンは飛んで来る氷を余裕をもって避ける。

 フランの攻撃方法は奇しくも初めて出会った時のこの国の女王とほぼ同じだった。わざと四肢の先を狙い、グリンが躱せるように配慮してくれている。本来、相手を屈服させたいのならば胸を突いて勝負を一瞬でつければいいのに。


 脳が冴えている。身体がどこまでも軽い。今なら全てわかる。

 フランは、優しい。魔女であり女王であるイルヴァのように。


 グリンは地上に降りて来て、人の姿になって初めてはっきりと自分の意志で──笑った。

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