36 報われた努力

 その正体が竜であるフランが姿を変えたヤマネコは神出鬼没だった。彼女はグリンをあざ笑うかのように時間や場所を問わずに姿を見せる。不気味なのはグリンに姿を見せる以上の接触はしてこないことだった。


 翌日、グリンとイルヴァは早速二人きりで森を散歩していた。フランの気配を探りながら、イルヴァはグリンがどうフランと対峙するつもりなのか耳を傾ける。


「魔法を魔法で打ち消す? 酷な話だがそれは非常に難しいぞ。火に水、土に風のように相反する魔法をぶつける必要があるからな。とてもではないがその繊細さを身に付けるには時間が足りないと思う。それは経験の域の話でもあるしな」


「……でも僕はそうするしかない。フランを傷つけたくないから」


 グリンはフランとの戦いに勝ちたいのではなく、フランに誰も、何も傷つけて欲しくなかったのだ。リリナの家やエルツの森を守ることはもちろん、彼女が後々心を痛めてしまうようなことは避けたかった。

 その為にはフランの魔法の全てをグリンが対になる力で打ち消すしかない。


「グリンの覚悟はわかるが……。とりあえず説明を続けるぞ。まず相手の魔法と逆の属性を持つ魔法を咄嗟に放つのはかなり難しい。相手が操る魔法の属性が事前にわかっていれば多少は準備ができるが、後手に回るのは同じ事だ」


「……」


「もう一つの方法としては相手と同じ属性の魔法を、同じ呼吸で使えば、その力は異なる魔力同士の衝突になり、打ち消し合うかもしれない。相手に合わせるだけで自分で考えないで済む分、相手と逆の魔法をぶつけるよりは対処しやすいだろう。ただ相手と同じ魔法を扱える能力が必要になるし、魔力の量と相手との呼吸にずれが生ずれば行き場のない魔力が合わさりあって制御不能になる恐れがある。そうなったら大惨事は免れないな」


 グリンはイルヴァの言葉を反芻する。どちらにせよ魔法を学んだことのない自分には絶望的な話に思えた。本来はフランの攻撃を防げるかどうかすらグリンには怪しいのだ。


「いずれにせよ相手の力量をはるかに上回る必要がある。厳しい言葉ばかりになってしまうがそれが現実だ。そんな顔をしないでくれ、まずはグリンの実力を見てみようか」


 辺りにフランの気配がないことを確認すると、グリンの手を引いてイルヴァは歩き出す。立ち止まった二人の目の前には半分土に埋まった大きな石があった。

 イルヴァはグリンと離れ、おもむろに木の葉を拾うと石に向かって投げた。真っ直ぐに飛んでいった葉はものの見事に石に突き刺さる。

 続けてグリンの頭をイルヴァは優しく撫でた。グリンは自分の身体に微かに魔力が宿るのを感じた。


「物は試しだな。次に私はここから魔法を使ってあの目印のついた石を、あらゆる魔法で砕こうとする。グリンはそれを防いでみてくれ。如何に魔法を打ち消すことが難しいかわかるはずだ。本番と同じでぼんやりしている時間はないぞ、いいかい? ──それっ!」


 グリンは無我夢中で目を凝らし、身体に宿った魔力が魔法に変わるように願いを込めて手をかざした。目の前の景色が──歪む。思考が自然に働き、イルヴァの仕草が全て手に取るように分かった。


 石に向かって魔法を放ちながら、イルヴァは驚きを隠せなかった。

 グリンは無自覚にイルヴァの魔法をすべて模倣して見せたのだ。

 しかし一番驚いていたのはグリン本人だった。グリンは一度も使ったことのない魔法が使えてしまったのだ。それも初めて見た魔女の魔法を。

 

「……正直驚いたよ。どうやら私がグリンに教えることはないようだ。今、目の前にグリンが起こした魔法の原理は魔女の私でも全て説明できる。グリンが竜の持つ力を使ったわけではないのは確かだ」


 イルヴァとグリンが魔法を放った石の周りは黒々と焦げた跡があり、水浸しにもなっている。それに加えて木の根がもつれて地面から突き出しており、色を失った魔石の欠片までが落ちていた。

 それでも肝心の石には新しい傷は何一つなく、刺さった葉までもが無事に残っていた。


 グリンはイルヴァの放った魔法を瞬時に判断して同じ魔法で打ち消し、その全てを見事に防いでみせたのだ。


「あとはフランの使う魔法がどのようなものかだが、なんせこれだけの魔法の素養を見せられてはな。理屈ではない種の違いを感じる。竜という種族は全てこうなのか?」


「違う……と思う」


 グリンは顎に手を当てて黙りこくる。魔力の大小はともかく、魔法の取り扱いに関してイルヴァより巧みな存在をグリンは天界でも見たことが無かった。

 今まで竜が持つ変身能力を覚醒させるための修練しか積んでこなかったグリンがイルヴァに匹敵する能力を咄嗟に出せたことに一番驚いているのはグリン自身なのだ。


 これは偶然なのだろうか?

 それとも、自分が学んでいたのは……。


 思考の海に沈むグリンの不意を突いてイルヴァは腰を落とし自分のおでこをグリンのおでこに当てた。鼻と鼻、唇と唇が触れ合いそうな距離。イルヴァの魔力が額から身体に流れ込んでくる。


「──大丈夫、グリンならやれるよ。これは全部グリンの力なんだから」


 顔を離したイルヴァの瞳には力強く頷くグリンの姿が映る。

 グリンは確かに身体中から力が湧いてくるのを感じていた。イルヴァの与えてくれた魔力が自分のものになった感覚と竜に姿を変える修行が決して無駄では無かった事実。今のグリンはもう昔のグリンではない。


「残りの日々は今までと変わらず穏やかに過ごそう。そうだな、フランがどんな子なのか教えてくれるかい? 向こうの出方がわかれば万全を期すことができる」


「わかった」


 正直、フランについてグリンはあまり深く考えたことがなかった。天界にいた時のグリンは自分のことに精一杯でそんな余裕はなかったからだ。ただ彼女ほど自分のことを気にかけてくれた存在はいなかったように思う。

 フランとの思い出をイルヴァに話すグリンの顔には自然と笑みが広がっていた。

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