32 主人の役目

 要するに魔女としての資質が欠けている。イルヴァの言葉はリリナにとってはかなり厳しい宣告だったが、予想に反してリリナの様子はあっけらかんとしていた。


(この子はこういう子だったな。やはり世話を焼きたくなってくる)


「ただ、シアはあえて答えを教えずに、問題に向き合わせていた節がある。だから私もリリナの家を自分からは訪ねることはしなかった。あの子煩悩がリリナを一人で悩ませ、森の中での一人暮らしまで許可したことには必ず意図があると思ったんだ。ただグリンがやって来て全ての状況が変わってしまった。リリナに魔法を制御できるようにならないといけない目的が出来たからな。シアが未だにこの場に姿を見せないのも私に判断を任せてくれているのだと勝手に解釈する」


「……イルヴァさんは私のことを以前から気にかけていてくれたんですか?」


「親友の一人娘なのだから当たり前だろう。リリナのことは赤ん坊の時から知っているんだぞ。ずっと大切に思っているよ」


「えへへ、嬉しいなぁ」


「イルヴァ様! 私のことはどうなんですの!? 私に授けてくれたレイピア! あの風石の輝きはまやかしだったのですか!?」


「なんでそこで張り合うんだ……。シトラのことはずっと信頼しているよ、だから私の右腕である親衛隊長を任せているんだろう」


「ふふ、そうですわよね。うふふ」


「イルヴァさん、あまりこの子を甘やかさない方がいいですよ。きっとまた暴走します」


「たまにはそれもいいさ。なぁ、グリン」


 ぼんやりしていたグリンはシトラが嬉しそうだったのでとりあえず頷いた。


「シアの考えはひとまず置いておく。まずはリリナが魔法を制御できるようになるための最初の一歩を私が教えよう。しかもそれは使い魔の為にもなる一挙両得の方法だ」


 イルヴァに視線が集中する。リリナは両手を膝の上で握りしめて身を乗り出した。


「それは──リリナの魔力をグリンに分け与えることだ」


「……そんなことができるんですか?」


「ああ、人間相手には不可能でも竜であるグリンにならな。竜は魔力を体内に吸収する体質を持っている。人間の姿になったグリンは自ら魔力を生成することはできなくなっているみたいだが、どうやらその体質は失っていないらしい。言葉よりやって見せた方が早いだろう」


 イルヴァが人差し指を立てると紅茶が角砂糖と同じ大きさになって浮かび上がった。その立方体はそのままふらふらと飛んでいき。グリンの目の前にやってくる。


「ほら、あーん」


 グリンは躊躇わずに口を開き、紅茶の塊を口に含み、飲み込んだ。湯に浸かった時のような熱がじんわりとグリンの胸に拡がる。


「す、すごいです!」


「今回はイメージしやすいように魔力の膜で紅茶を包み可視化したが、実際は目に見えない魔力の塊を直接グリンの身体のどこでもいい、触れさせれば分け与えられる。グリン、手を出してごらん」


 イルヴァはグリンの手を両手で包みこんだ。グリンの瞳が輝く。


「……あたたかい」


「イルヴァ様、魔力を分け与えるのは魔法を出すこととはまた異なるのですよね?」


「ああ、そこが重要だ。込めた魔力が属性を帯びて魔法になってしまったら逆にグリンを傷つけることになってしまう」


 イルヴァの言葉にリリナは息を呑んだ。これからの魔法の修行には実直さだけではなく覚悟が必要になってくると再実感した。


「想像通り、魔力を分け与えるには非常に繊細な調整が必要だと言うことだ。この方法を今のリリナが真似すれば、おそらく全ての魔力をグリンに分け与えてしまうだろう。だからまずは魔力の玉を作る練習からだ。魔法を意のままに操る為にリリナに必要なのは魔力を出来るだけ小さな範囲で固定化するということだな」


 リリナは無意識に立ち上がり、大きく頷く。


「魔力を制御する蛇口を持たない私は、まずは魔力を小出しにする感覚を掴む必要があるということですね」


「そういうことだ。魔女の魔力も無尽蔵ではないし、グリンに全ての力を与える代わりに自分が衰弱していたら世話ないだろう? これからしばらくは私と一緒に外の開けた場所で魔力を少量で固定化する練習をするぞ」


「必要なら私とグリン君も手伝って差し上げますから、精進しなさいな」


「……しなさいな」


「はい! 私、頑張ります! ところで魔力を吸収できるとなると、グリンはやはりその魔力を使って──」


「ああ、魔女と同じように魔法が使える。それも必要ならば私がグリンにゆっくりと手解きするつもりさ。最も、私が竜であるグリンに魔法を教えるなんて烏滸がましいかもしれないがな」


「……」


 グリンは首を横に振った後に考え込む。イルヴァが使うのはまさに魔法のような魔法で、グリンから見ても尊敬に値するものだった。それを自分のものに出来るとなると心の奥底が沸き立つ思いもある。


 しかしグリンは同時に怖くもあった。竜から他の生物へと変身することだけに注力してきた自分が、本当に魔法を扱えるのだろうかと。


 両親に見放された時のようにまた期待を裏切ってしまったら、今回も同じように見限られてしまうのではないかという恐れがグリンの脳裏をよぎる。


 もちろんイルヴァがそんな人物ではないことはグリンも理解はしている。しかし今までの天界での惨めな体験がグリンの口を固く結ばせた。

 思案に暮れるグリンにリリナが話しかけた。


「グリン、私に気を使ってくれなくてもいいんだよ。グリンが私より先を行ってもすぐに追いついてみせるから」


「……そうじゃない。でももう少しだけ待って欲しい」


「まぁまぁまぁ! なんと見上げた精神なのでしょう! 最大限の学びには事前の準備が何よりも肝要。勢い任せでは得られるものは多くありません。その心構えをグリン君は既に身につけているとは。かたやそれに比べて……」


 ちらりとシトラは横目でリリナを見るとわざとらしく溜息をついた。リリナのこめかみがピクリとひくつく。


「そうか、それじゃあ今のところはご主人様を叩き直すことを優先するとしよう。焦らなくていいから時がきたら教えてくれ、グリン」


 グリンは首肯すると思い出したかのようにゆっくりとクッキーに手を伸ばした。

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