33 ライム湖での特訓
きらきらと太陽を反射して輝く湖面がどこまでも続いている。リリナとイルヴァは思い切り魔法の修行ができるひらけたライム湖へと足を運んでいた。
「私、褒められて伸びるタイプだと思うんですけど、イルヴァさんはどう思います」
「それは結構だが、魔法に関して今まで伸びたことがあるのか? リリナが?」
「……今のは私の心にグサッと刺さりましたよ」
向こう岸の見えないほど広大な湖の湖畔にリリナとイルヴァは立っている。揃いの丈の長い紺色のローブに身を包み、杖を手にする姿はまさしく魔女といった出で立ちだった。
リリナはイルヴァが自分の為に専用の装束を用意してくれたのが嬉しくてたまらないのか、緩みがちな頬を引き締めるのに必死だった。
「このローブを着てからなんだか気分がいいです。もしかしたら私の眠れる才能が今ここで目覚めるかもしれません」とリリナは鼻の穴を膨らませるが、イルヴァは咎めることなく笑みを浮かべた。
「つまるところ、魔法は使う者の気の持ちようだ。だから形から入ったわけだし、調子に乗るのも悪いことではないよ」
「はい! それじゃあ早速イルヴァさんが昨日見せてくれた方法を私なりに試してみますね。魔力で薄い膜を作って……」
すぐ横でイルヴァが見守る中、リリナは目を閉じて湖に向かって意識を集中した。
今からリリナは魔力を制御する練習を行う。目的は竜から人間の姿になり、自分の身体で魔力を生成できなくなったグリンに、主の魔力を適宜分け与えられるようにする為である。
上手くいけばイルヴァの見せた角砂糖の大きさほどの繊細さではないだろうが、魔力の膜に包まれた湖の水が玉になって空中に浮かび上がるはずだった。
リリナは静寂で穏やかな湖を静かに見つめると、頭の中で水をすくいとる想像をした。
「──よしっ! これで!」
やけに威勢のいいリリナの声にイルヴァは思うところがあったが口には出さない。すると湖面が両手を広げたほどの大きさでハンカチの中央を摘まむように持ち上がったが、見上げるほどの高さで糸が切れたように、天に引っ張る力から解放された。
そのまま重力で水が湖面に落ち、なぜか今度は水中の方に引く力が働く。一呼吸おいて大きな爆発が起きたかのように湖が弾けた!
立ち昇った水の勢いは凄まじく、二人の視界が一瞬で水の壁で覆われる。
そのまま形を保てなくなった湖の水は大きな波となってリリナ達の元に押し寄せてきた!
「うひゃあ!」
奇声をあげながらリリナは横にいるイルヴァに抱きつく。イルヴァが笑いを堪えながら手をかざすとすぐそこまで迫っていた水流は二人を避けて左右に割れた。
これもイルヴァの手によるものなのか、押し寄せた波はすぐに湖へと引いたが、辺りは土砂降りの雨が降ったかのように水浸しになってしまった。
泥や木の枝に紛れて運悪く打ち上げられた大小様々な種の魚が苦し気に湖岸を跳ねまわっている。
「なんだ? 新しい漁でも考案したのか?」
「違いますよぉ! イルヴァさん、この魚達を助けるの手伝ってください! 私だけじゃ手が足りませんから!」
リリナは泣きそうな顔で魚を拾い湖に帰そうと走りだす。イルヴァも部分的に波を起こしてその作業を手伝い、なんとか湖には平穏が戻った。
最後に横向きに浮き、運悪く力尽きたかと思われた一匹が気絶から覚めたように勢いよく水中に潜っていく。疲れて思わず桟橋で座り込んでしまったリリナを見てイルヴァはぽつりとつぶやいた。
「魔力を抑え込む意識を体現してこれか。ライム湖にまで足を運んだのは正解だったな」
「……はぁ、せっかくイルヴァさんに見てもらっているのに。本当に何やってるんだろう、私」
イルヴァは無言でリリナの頭をくしゃくしゃと撫でる。リリナはなされるがまま、魔力の爆発により水底がかき混ぜられて茶色く濁ってしまった湖面を見つめていた。
リリナが再び弱音を吐くより先にイルヴァは声をかけた。
「だが、リリナの実力の程度はよくわかったよ。次は爆発が起きそうになったら私の魔力で湖面に蓋をする。怖いかもしれないがもう一度やってみるんだ。水を持ち上げるんじゃないぞ。魔力で優しく包み込むんだ」
てっきり修行が中止になると思っていたリリナは戸惑いながら立ち上がると硬い表情のまま頷いた。再び意識を両手に集中させる。
「……やってみます」
「リリナはグリンと出会った時に、森の火事を魔法の雨で消し止めただろう? あれだってちゃんと魔力が調節できたから、消火した後に雨が止んだんだ。大丈夫、魔法とはそうやってうまく付き合えるものなんだから」
リリナの頭にグリンの顔が思い浮かぶ。考えてみればあれは魔法に関して自分の数少ない成功体験だ。あの子の為ならば私は本当の力を発揮できると思うとリリナに勇気が湧いてきた。
「今度こそ、どうか────お願いっ!」
再び湖の水が盛り上がった。今度はイルヴァの水面を押さえつける力により、水が高く舞い上がることはなかった。
しかし二人の魔力は拮抗し、挟まれた小さな水の粒子の一部が漏れて霧状になって湖面を漂い始める。
(やはりこの子はシアの子だな……。私はわりと力を加えて抑え込もうとしているんだがそれでも打ち消しきれてはいないか)
徐々に湖面に靄が広がるのを見てイルヴァが片手を振りかざす。すると重なり合った魔力は爆ぜて風が吹いた。靄が晴れ、湖の上にはぼんやりとした白い虹が円になって現れた。
「……うわぁ、綺麗。って、また失敗なのに私ったらすみません」
「構わないよ。修行だって楽しいのならそれが一番だ。だが真剣さは失ってはダメだぞ。二つは両立できるからな」
「はい! ……イルヴァさん、私絶対に魔力を制御することを諦めません!」
「いいじゃないか、その意気だよ」
イルヴァにもリリナの体質とは根気強く向き合っていかなければいけないのは織り込み済みだったので結果を急ぐつもりはなかった。
(おそらくグリンがリリナから受け取る魔力を自分で調節できるようになった方が話は早い。だがそれではリリナは納得しないだろうな)
リリナとグリンには同じように『意地』がある。
ご主人様の魔女と使い魔の竜は似た者同士だから契約できたのかとイルヴァは納得した。
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