31 魔法の講義
翌朝、リリナ、グリン、イルヴァ、シトラの四人は森の畑へとやってきていた。事前にグリンが畑を耕して等間隔で穴を掘っていたのでリリナ達はそこに芋を入れていくだけだ。グリンが走り回って順番に穴を埋め、あっという間に種芋を植え終えてしまった。
グリンは畑を眺めて満足げに鼻を鳴らす。きっと食べきれないほどの黄金芋が育つに違いない。グリンはこれから欠かさず毎日畑の様子を見に行こうと心に決めていた。
「よし、グリン帰るよ。うちに帰って朝ご飯にしよっか」
リリナの言葉にグリンは立ち上がった。声がかからなければずっと芋を植えた地面をなで続けていたに違いない。
「……おい、シトラ。目に隈ができてるぞ? 身なりにあれだけ気を遣っているお前らしくもない。やはり街育ちには森での生活は合わないのか?」
「いえいえ、とんでもない。私はこれ以上無いほど気力に満ちていますし、リリナとグリン君とも上手くやれています。……やれていると思います。就寝時もベッドを二つ並べて仲良く三人で寝ているくらい仲良しなんですから。目の隈は、その、明日が楽しみで眠れない子供のような毎日を過ごしているからかもしれませんわ」
その言葉は嘘ではなく、シトラは多少の寝不足を補って余りあるほどに心身共に充実していた。猫可愛がりするグリンと一緒に入浴するどころか、その後も隣で寝ているのだからシトラとしては当然である。
シトラは一度は別室で寝ることになりそうだったが、彼女は恥を承知で一人で寝るのは嫌だと子供のように駄々をこねた。リリナの母シアの使っていたベッドを一人で背負って二階へと運びだしてまでグリンの横で寝ることにこだわった。
月明かりに照らされ安らかに眠るグリンを毎日眺める生活はシトラにとって何物にも代え難いものだったのである。
「そういうことにしておこう。……いいか? グリンの無知につけ込むような卑劣な真似だけはするなよ」
「イ、イルヴァ様ったら、何をおっしゃいますやら。私がグリン君にそんなことをするはずないじゃありませんか。グリン君だってだんだん私に懐いてくれているのですよ。私の髪を綺麗だと褒めてくれましたもの」
肩にかかる赤くふわふわした髪を持ち上げるシトラに、イルヴァは同調する。
「確かにシトラの髪は美しい。いつ見ても思わず触りたくなるよ」
そう言ってイルヴァはシトラの片目が隠れる程の長い前髪をかきわけ手で梳いた。あまりに自然な仕草にシトラの頬が紅くなる。これだから我が国の女王様はずるいのだとシトラは微かに頬を膨らませて目線で抗議をした。
「さぁ、お待ちかねの魔法の講義を始めようか」
「はい! よろしくお願いします!」
朝食後の紅茶に薄く口をつけるとイルヴァはリリナのほうに目をやる。リリナはもちろん、グリンとシトラも興味深そうに耳を傾けていた。
「とは言ってもこれからの指針のようなものだから特に面白くはないかもしれないが」
「そんなことないです! イルヴァさんの話ならなんでも聴きます!」
「やる気になってくれるのは嬉しいが気楽に聞いてくれればいいよ。ひとまず先に報酬としてクッキーを貰おうか」
「ええ、作り置きがあるのでいくらでもどうぞ」
「……!!」
リリナが皿に山盛りになったクッキーを抱えてきたのを見てグリンは目を見開く。一体どこにこれほどのお宝が隠されていたのだろうか。
グリンはリリナがクッキーを取り出した容器を凝視した。底に氷の魔法石のはめ込まれた食品冷蔵箱だ。グリンはこれからは欠かさずに毎日中身を確認しようと思った。
「その前にこれは話の本筋とは関係なく単純に私の興味なんだが、リリナはどんな魔法陣を描いてグリンを呼び出したんだ?」
「おや、知りたいですか? いいでしょう! 稀代の名作が私とグリンの縁を繋いでくれたのです。今ここにその作品を再現しましょう。期待してもらって構いませんよ」
やけに自信満々のリリナは紺色のブラウスを押し上げる大きな胸を張り、グリンから紙と鉛筆を受け取る。口を結びながら気合いを入れて魔法陣を描着始めた。テーブルの上の紙を皆が覗き込む中、サラサラと線が描かれ、徐々にリリナ以外の面々の顔が曇っていった。
完成した絵を見てグリンがぽつりとつぶやいた。
「……この世の終わり?」
「ええ、そのようですね。謎の生物が人間を襲っているようです。もっとも、襲われている方も人間だとは限りませんが」
「ち、違いますぅ〜! 全くこれだから芸術に理解のない人は……。イルヴァさんはこの高尚さをわかってくれますよね? 最初に描いてるときは無自覚でしたけど、おそらくそれが私の才能が目覚めるのに重要だったようです。これは魔女と竜、つまり私とグリンです!」
その言葉にグリンは衝撃を受けた。この下手くそな絵に写るひょろ長い羽の生えた謎の生物が自分だとは到底認められない。空虚な瞳で遠くを見つめるグリンを見て、さすがのイルヴァもその場を取り繕った。
「いや、味のある絵だがこれは使い魔を召喚する魔法陣とは到底認められないな。しかし魔法陣ではなかったことには意味があったのだろう。行き場のない魔力がクッションになって、空からやってきたグリンを受け止めてくれたんだからな。ただ竜から人の姿になった理由は私ですらよくわからない。グリンは関与していないようだし、本来はあり得ないことなんだが」
グリンは竜が当たり前にその身に秘めている変身能力を持っていないので、リリナの魔法が人間の姿に変わるきっかけになったのは間違いない。その時の魔力がグリンの身体に残ったことにより、グリンは人間離れした動きができたのだから。
「え? 魔方陣が無効だったなら、それじゃあ私とグリンの間に使い魔の契約は……」
リリナの目にじわりと涙が溜まる。グリンが自分の使い魔であるという事実は既にリリナにとって心の拠り所になっていた。
「安心していい、それは間違いなく成立している。リリナは使い魔を呼び出すことをしていないだけだ。グリンはリリナから魔力を受けとっているし、使い魔になって欲しいという契約も聞き入れているからな」
「はぁ……。良かったです……。でもよくよく考えたら、召喚されたよりも巡り会ったほうが運命を感じちゃいますよね。グリンもそう思うでしょ?」
コロコロと表情の変わるリリナの言葉にグリンは首を傾げた。いつまでも竜の変わり身すら出来ない自分だったが、意図しない形で念願の人間の姿になれた。運が良かったのは確かだが果たしてそれは運命なのだろうか。
「男の子ならそこは大人しく『はい』と答えなさい」と抱きついてくるリリナにグリンはくすぐったそうに身をよじる。シトラの目が鋭くつり上がり、口にしたクッキーが激しく砕け散った。イルヴァは微笑みながら自分のカップに紅茶を注ぐ。
「さて、それでは本題に入ろうか。まずはリリナがなぜ魔力の制御ができないのかだが──」
じゃれ合っていた三人の動きが止まる。特にリリナの顔は強張っていた。
「例えるならリリナには放出する魔力を調節する蛇口が存在しない。だから魔力が溢れ出して、魔法が制御できないまま暴走するんだ」
「あらあらはしたないですわね。淑女が『垂れ流し』なんて」
「もっと言い方があるでしょ! ……でも正直自分でもそんな気はしていました。同じ魔女である母との埋まらない溝があるのはずっと感じていましたし、なんて言うんでしょう……。魔女なら最初から持ち合わせているものを自分が持ち合わせていないような感覚はずっとありましたから」
その言葉にグリンは微かに身をすくませた。
そう、グリンもまた同じように竜の種族が持つ変身能力を待たずに苦労したのだ。
リリナの境遇はやはり自分とよく似ているとグリンは思った。
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