30 初めてのおつかい

 暖かな陽の光に森の緑が輝いている。今日はコタの村へ畑に植える種芋を受け取りに行く日だ。

 朝食を食べ終えたリリナ達はグリンに急かされ早速エルツの森とコタの村を結ぶ転移の大樹へとやってきていた。グリンは物珍しそうに樹の周りを見て回っている。


「ふむ、さすがシアだな。もちろんリリナも知っていると思うが転移の魔法には莫大な魔力が必要になる。そしてその場所は魔女にとって自分の魔力を残しておける泉とも呼べるものになるんだ」


 リリナは樹皮の表面を優しく撫でるイルヴァの美しい顔に見とれていて返事が遅れた。


「……ええ、はい、聞いたことはあります。杖で空を飛べるのもその魔力を利用できるおかげなんですよね」


「よく知っているじゃないか、その通りだ。この樹に残された魔力の量を見れば間違いなくこれだけは断言できる。シアから愛されているよ、リリナは」


「ふふっ、知ってますよ。ありがとうございます、イルヴァさん」


 遠くにいる母が自分のことを常に気にかけてくれているのはリリナも理解していた。更に今はもう一人の魔女までもが寄り添ってくれている。

 自分を見守ってくれる二人の魔女。リリナは最近口元が緩みがちな理由がわかった気がした。



「これは魔女が魔力で刺激を与えなければただの樹木だから、不用意に転移が起きる心配はない。それでは、そろそろ行こうか。グリンとシトラは私達と手を繋げば安全に転移できるよ」とイルヴァが説いた。


 リリナとイルヴァの間にグリンとシトラが収まり、代表してリリナが転移の大樹に触れる。辺りは眩い光りに包まれた。

 グリンが一瞬の眩しさに閉じた目を開くと、そこは見知らぬ場所、コタの村へ続く街道に面した雑木林だった。


 イルヴァの提案により、転移した後はグリンが一人で村へおつかいに行くことになっていた。すっかりグリンは乗り気であるが、過保護のリリナとシトラはもじもじしていて落ち着きがない。


「本当にグリン君一人で大丈夫でしょうか……」


「う〜ん、私達と親衛隊以外の人と会うのは初めてだからねぇ」


「向こうに話はついているんだろう? 心配ないよ。なぁグリン?」


「大丈夫」


 それでも『でも』と『だって』を繰り返す保護者の二人にイルヴァは呆れたように微笑む。

 イルヴァは両手につけていた金色の腕輪を外し、二本を重ね合わせて目を閉じてしばらく念じる。腕輪はぼうっと淡く光った。


「仕方ないな。グリン、こっちにおいで」


 イルヴァは駆け寄ってきたグリンの手首に腕輪の一つをつける。グリンは物珍しそうにしげしげと細く飾り気のない腕輪を眺めた。


「これでしばらくは腕輪からの音を拾える。こちらから話す声はグリンに届かないがな。すまないな、グリン。この腕輪をつけている間はグリンの会話の内容がこちらに筒抜けだけどそれでもいいかい?」


「平気」


「グリン君、困ったり、寂しくなったら遠慮せずに直ぐに助けを呼ぶのですよ」


「もう一度確認するけど、村へと続く道は一本道だからね。道なりに進んで麦畑を抜けたところにある風車小屋が目的地だから。お芋を貰ったらそのまま引き返してあそこの『迷いの森注意』の立て看板に戻って来ること」


 グリンは何度も頷くと跳ねるように走り出した。あっという間に小さくなっていくグリンの背中を眺めながらイルヴァは念を押す。


「二人とも、いいか? グリンが本当に困ったことになるまで私たちは手を出さないぞ? グリンの人としての成長を邪魔することになるからな」


「わかってはいますが、心苦しいものですね。ああ、子を待つ母はこのような気持ちなのでしょうか」


「気持ちはわかるよ。さて、私達も遠くから様子を見ましょう」



 一面の麦畑の中の一本道をグリンが駆けていく。教わった通り、コタの村へは道に迷う心配は無さそうだった。そんなに急いでいる気はなかったが足取りが軽く、村が見渡せる丘まで走ってきてしまった。

 グリンはすぐに目的だけを果たして帰るのが勿体無いと思い、速度を緩めて歩き出す。

 見知らぬ風景も今まで自分の抱かなかったであろう感情も全てが興味深い。朝からグリンはずっと愉快な気持ちだった。


 いつものポシェット以外に、今日は折りたたんで紐でくくった大きな麻袋も脇に抱えている。帰り道ではこの袋一杯に森の畑へ植える種芋が詰まっているはずだ。


 グリンが畦道を歩いていると見たことのないトンボが目の前を横切る。つられてそちらに足を向けると細い水路が流れていた。手を入れてみるとひんやりと心地良い。何かが動いたのをよく見ると平べったい土色のカエルだった。


 腕輪から聞こえてくる水の音とカエルの鳴き声に、イルヴァは(どうやら長くなりそうだな)と呟いた。


 ついつい寄り道を重ねたグリンだったが、本来の目的を忘れてはいなかった。少しずつ村へと近づき、ついに風車のある小屋が見えてくる。この小屋で種芋を受け取る手はずになっていた。


 グリンが中を覗き込むと一人の体格のいい中年の女性が作業をしている。この小屋では風車の力を利用して小麦を製粉しているようだった。


「……こんにちは」


 グリンを追ってゆっくりと農道を歩く三人にグリンの声が耳に入る。


(グリンは無事に目的地にたどり着けたようだな。きちんと挨拶をして、偉いじゃないか)


(姫様、今日は祝杯を上げましょう)


リリナは声には出さないが、この女王様も大概グリンには甘々だなと再認識した。


「おや、いらっしゃい。見たことのない子だね。ああ、もしかしてリリナ様の使いの子かい?」


「はい」


(リリナ様? リリナは村の方々と普段どのように接しているのです?)


(私……村の人には森に住む巫女だと思われてるんです)


 リリナの言葉にイルヴァとシトラは顔を見合わせたが、堪えきれずに笑い出した。


(もう! 仕方ないじゃないですか! エルツの森の特産品とコタの村で手に入る生活用品を物々交換しているんですから!)


(いや、すまない。事情は想像できるよ。迷いの森で暮らしているのなら魔女か巫女ぐらいしか説明がつかないだろうからな)


(魔女は女王の象徴。気安く名乗るわけにはいきませんものね。しかしリリナ様とは……ふふっ)


「話は聞いてるよ、黄金芋の種芋を分けてほしいんだったね。けど困ったねぇ。こんなかわいらしいお嬢さん一人じゃ一度で全部は持って帰れないねぇ」


(これは仕方がないですよね!? 今私が駆けつけますからね!)


 興奮するシトラをリリナが力いっぱい引き止める。


(大丈夫だよ、グリンは竜なんだから! 見た目に反してすごい力持ちなんだって!) 


(グリンだって自分一人で最後まで仕事をやり遂げたいだろう。今手を貸したらシトラはグリンに嫌われるだろうな。冷たい目で睨まれてもう名前も呼んでもらえなくなるかもしれない)


 イルヴァの指摘はシトラに効果てきめんだった。しなしなと肩を落としたシトラはしゃがみこみ自分の世界へ篭ってしまった。


 グリンは「持てます」と一言告げると、その力を示すように小屋の中にあるずっしりとした小麦の袋を軽々と二つまとめて持ち上げてみせた。


「おやまぁ! すごい力持ちなんだねお嬢ちゃん。やっぱり巫女様の使いの方は見かけによらないねぇ。ちょっと待っててね今用意をするから」


「手伝います」


「いいのかい? 助かるよ。そうだお礼にここの小麦で作ったパンも持っていきな」


「……ありがとうございます」


 パンパンに中身の詰まった麻袋を片手で背負いながらグリンは紙袋を受け取る。グリンは初めてのおつかいを拍子抜けするほどあっさりとこなした。


(イルヴァさん、グリンって想像以上になんでも出来ちゃいそうですよね)


(かもしれないな。ただそれは私達が世話を焼くのを辞める理由にはならないよ)


(……そうですね。うん、今日はグリンをたくさん褒めてあげようっと)


(そう、教えて、任せて、褒める。それだけでいいんだ。さぁ急いで林へと引き返さないとグリンに見つかるぞ)



 帰り道、グリンは感動していた。さっそく口にしたパンの中には中身が入っていたのだ。ひき肉と細かく刻んだ玉ねぎ、人参が食べたことのない香辛料で煮込まれているようで、それがまた絶妙に混ざり合いとても刺激的な味わいだった。


 左右に広がる小麦畑を見渡しながら、今引き返してきた道を振り返る。自分が今日訪ねたのは小屋だけで村ではない。

 視界の奥にはぽつりぽつりと民家が見える。今度はゆっくりと村を訪ねてみたいとグリンは思った。

 その時は一人ではなくて、みんなで。

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